第八話 『爆弾の魔女』②

 まばたきをすると、そこには先程までいた場所とは違う景色があった。

 あたしたちの周りは森がおおっていて、小鳥のさえずりや、森の中で動物が草をき分けて進む音が響いている。

 湖はみ渡っていて、透明に近い水色をしている。水面に太陽が反射して、キラキラと輝いていた。


「これがわたしの能力、わたしの世界」

「その歳でこんな上等に能力が使えるのか……! ミィナは凄いな」

「す、すごいッスね……!」

「そういえばミィナ、いつも持っている本が開きっぱなしだな」


 ふと、サファイアさんが床に置かれた大きな本を指差した。


「うん! この本を閉じることは物語の終わり……が壊れてしまうの。気を付けてね」


 彼女の能力は『物語の魔女』という名に相応ふさわしい。

 自分の世界を作り上げるなんて、ロマンチックで夢のような能力だ。


「でも、現実の時間はここにいても普通に流れているよ。時間を忘れないようにね」

「それなら感心している場合じゃないな。さぁ、魔術の訓練を始めよう」

「ここでッスか!?」


 サファイアさんはこくりと頷く。

 確かに人目も気にならず、魔女の被害がないこの場所は最適かもしれない。

 

 そうして、二日目の魔術訓練は始まった。



「集中……集中して……っ!」

「……」


 何時間経ってもやはり魔力は出てこず、あたしは次第にイライラするようになっていった。そんなあたしを見て、サファイアさんは私に問いかけた。


「……サナエ、本当に魔界に帰りたいか?」


 ドキリとした。

 あたしの心を見透かしているのだろうか。本当に思っている事を隠すため、精いっぱい笑いかける。


「え、そりゃ帰りたいッスよ~」

「下手くそ」

「へ!?」

「嘘吐くの、慣れてないだろ」


 サファイアさんの言う通りだった。あたしは嘘が嫌いで、今までだって嘘を吐いたことは全くなかったのだ。


「悩みなら聞く。相談されるのには慣れていないが、一人で抱えるよりマシだろう」


 彼女の優しい声が、心の鍵を解いていく。

 

 いいのかな。

 馬鹿に、されないかな。


「馬鹿にはしない。お前がそれほど真剣に悩んでいることなんだろう」

「サファイアさん、エスパーッスか?」

「こんな時お前が何を考えるかくらい分かる」

「実は……」


 反抗期、というものだろうか。


 最近あんなに優しくしてくれた、あたしをここまで育ててくれたママ、パパ、ツキにも腹が立って仕方ない。

 家族が嫌いというわけではなく、ただやけに発言一つ一つが頭に不快感を残していく。

 それに耐えきれなくて、あたしは家族に怒鳴りつけたりした。


 親に感謝しなければいけないなんて分かっている。

 あたしが最低なことをしているなんて分かっている。

 むしろ理解しているからこそ、大好きだったはずの自分のことが嫌になったんだ。

 

 そんな時、ゲートに行きついた。


「逃げ出しちゃおうよ」


 そうゲートはあたしに語り掛けていた。この生活が少しでも楽になると思った。

 そして立ち入り禁止の表示も、私を止める魔女騎士団の団員さんのことも無視して、あたしはゲートに飛び込んだ。


「ほんと、最初はここが人間界ってことを知らなくて、なんか魔界より時代遅れだし、スマホも繋がらないし……怖かったんスけど。ミィナちゃんとサファイアさん、マクスおじさんに出会って、ここがすごく居心地よく感じちゃって」


 少しだけ笑って誤魔化した後、まるで懺悔ざんげするように、今の自分の弱さを語った。


「あたしはこの世界で現実逃避してるんス。ダメだって分かってるけど、この世界は嫌な事全部を忘れられる場所なんスよ……」



 話し終えるまで、サファイアさんは静かに話を聞いてくれた。

 あたしは気が緩むとすぐ涙がこぼれそうで、ずっと下を向いていた。


「私にもあったよ、反抗期」

「え、ほんとッスか!?」


 意外だ。

 こんなにモデル体型でクールな人にも、あたしと同じようになったことがあるなんて。


「誰にでもある。むしろあった方がいいんだ。立派に成長できる時期だからな」

「そうなんスか……」

「誰にでもあるからって、大した悩みじゃないってことじゃないからな。成長に必要な苦しみや努力は人によって違う。サナエは家族が大好きだから、その分苦しみが大きいんだろう」


 サファイアさんの言葉は一つ一つ暖かかった。

 こんなにも真剣に、あたしの心情までも考えてくれることがとても嬉しい。


「自分が魔界に帰らなきゃいけないとは思っているんだな」

「もちろんッス、でも今はまだ、帰りたくないッス……」

「そうか。なら焦る事はない。人間界でゆっくり自分と向き合うといい」


 そう言いながら、サファイアさんはあたしの頭を撫でる。

 普段の彼女からは想像もつかないほど、優しい手。

 サファイアさんに悩みを打ち明けて良かったと、心から思った。

 ゆっくり、焦らないで、自分の気持ちと向き合っていこう。

 そしたら、きっと前より成長したあたしで、魔界に帰れるかもしれないから。


「誰かの相談に乗ったのなんて何年ぶりだろうな」


 サファイアさんはそう言って微笑んだ。彼女の視線はどこか遠くを見ている。何かを懐かしんで、寂しがっているようだ。


 彼女は不意に首に巻かれたマフラーを掴み、辛そうに眉をひそめた。あたしはサファイアさんのことを知らないから、何に苦しんでいるのかが分からない。

 何が苦しいんスか、と口を開こうとしたその時。


「ステキね!」


 背後から急に声が聞こえて、ビクッと肩がねた。

 サファイアさんも驚いたようだ。大きく声や行動には表さないものの、目を見開いている。


「ミィナちゃん! 聞いてたんスか!?」

「ううん、何も聞いてないよ。でも二人が仲良くしてるの、とってもステキ!」

「気配もなく近づくな、びっくりした……」

「えへへ。わたし、仕事から帰ってきたおとうさんを驚かすことが得意だったの! だから二人のことも脅かしてやろうと思って!」


 そういえば、ミィナちゃんは人間界にかなり前からいたと聞いた。

 それなら、彼女の家族は魔界にいるのではないだろうか。

 飛行はできるはずなのに、どうして魔界に帰ろうとしないのだろう?


「そういえば、今何時くらいなんだ?」

「お昼くらいね、わたし少しお腹がすいちゃったわ!」

「えぇ!? もうそんな時間なんスか!」

「二人共、今日からしばらく訓練は休もう。私は急用ができてしまった」

「サファイア、忙しいのね!」


 ああ、とミィナちゃんに返事して、サファイアさんはあたしに耳打ちをする。


「決心ができたら、ルーデンベルクの時計塔の下に来てくれ。今から『救済の魔女』について調べてくる。それまでここでミィナと遊ぶといい」

「は、はいッス!」


 サファイアさんはそう言って、森の中に歩いていく。

 それを、ミィナちゃんが呼び止めた。


「サファイア、ここから出るにはわたしが物語を終わらせないといけないよ?」

「あっ」

「もしかして忘れてたんスか?」

「う、うるさいな! 私にもミスはあるんだ!」


 いつもクールな彼女が、口を大きく開けて弁明べんめいする姿はとても可愛かった。







 台所から個室までの廊下を歩く。

 手にはティーポットと二つのコップを乗せたトレイ。

 ふとれたての紅茶が香ると、焦らされているようで口に含むことがより楽しみになった。私はこの時間が好きで、いつも台所で紅茶を入れてから彼の部屋に向かう。


 個室の扉を開くと、そこにはベッドですやすやと穏やかに眠る私の子どもたちと、それを見守るギアス様の姿があった。


「ギアス様、お茶を淹れてきました」

「礼を言う。……いつものとは香りが違うな」

「ええ、新しく仕入れた茶葉ですわ。二人の世話でお疲れでしょうから、疲労回復の効能があるものをいただきました」


 彼の近くにある、アンティークなテーブルの上に紅茶を置く。私がギアス様に向かい合うように座ると、彼は目を閉じて紅茶をすすった。それに続いて、私も一口だけ口に含む。


 最初に感じられたのはほのかな甘み。だがいつしかそれは酸味に変わった。不思議な味だが、身体が温まる素晴らしい紅茶だ。感動しながらそれをたしなんでいると、目の前の彼が口を開いた。


「シヴァニ、今日のゲートの様子を聞かせてほしい」


 報告の時間だ。

 私はゲートが現れてから小さい子どもたちを彼に任せて、ゲートと魔女たちの監視をしていた。


「今日は何もありませんでしたわ」

「魔女たちの様子はどうだった」

「彼女たちは『爆弾の魔女』の世話を焼いていました。きっと心優しいのでしょうね」

「そうか。では明日からも監視を頼む」

「分かりました」


「改めて言っておくが、彼女たちは魔界の最後の希望だ。くれぐれも殺すなよ」


 彼の口調はいつだって単調で機械的だが、この言葉を言う時の口調はとても威圧いあつ的だった。

 彼にとって私は唯一の仲間であり、そして大きな問題でもある。

 私は先の幸せを想像しながら、視線を手元に落として口角を上げた。


「ふふ、大丈夫ですよ」


 そう言って、また一口鮮やかなあかね色の紅茶を啜った。

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