第二話 人間界に降りた魔女②
まだ人々が起きていない朝五時頃に、私は目を覚ます。
起き上がって背伸びをすると、昨日花屋の青年にもらったパンを食べた。
それは中までバターが染み込んだ手作りパンで、冷めていてもとても美味しかった。あの花屋の青年は料理もできるようだ。
時計塔の
少しするとすぐに街が賑わい始める。
そして、いつも通り街を散歩しようと踏み出すと……
ズズズズズ……
急にこの世のものとは思えない音が聞こえ、それと同時に地面が揺れ始めた。
だがそれは、地震のようなプレートの
まるで、空間そのものが押し広げられているような。
「な、何が起きているんだ?」
不意に空を見上げると、何故か太陽までもが揺れ動いていた。地震であるならば、揺れるのはこの地球上の大陸だけだろう。
周りの人々も空を見上げ、悲鳴を上げている。それは、これが人間界にとっても異常な事態であるということを意味していた。
そして、自分の目を疑うような現象が起きる。
青空に紫と黒が混じったブラックホールのような物が現れ始めたのだ。
それはどんどん大きくなり、
「うっ!」
襲い掛かって来る寒気と吐き気。
あのブラックホールのような物からは
何故だ、一体どういうことなんだ。
ブラックホールのようなものの成長は止まり、街人の中の冷静な人たちは落ち着きを取り戻してきている。
しかし、私の気持ちは全く収まらないままだった。すると、一人の女性が私に話しかけた。
「大丈夫ですか?」
「私は大丈夫だ、取り敢えず全員に家に避難しろと言っておいてくれ!」
「分かりましたわ」
私は人のいない場所を探し、誰にも見つからないよう慎重に、箒を使ってブラックホールのような物の場所へ向かった。
そのブラックホールようなものは、御伽噺に出てくるお城の敷地くらい大きい。
あまりの迫力に、気分が悪くなりそうだ。
間近で見ても、これが何なのかは検討もつかない。
「これは……⁉︎」
「魔界と人間界を繋ぐゲート」
疑問を口に出すと、誰かが答えを出してくれた。
ここは空中、こんなところに来れるのは、魔女しかいない。
「誰だ!」
「わたしはミィナ。『物語の魔女』、ミィナよ!」
声のする方を見ると、小さな女の子が宙に浮いた一冊の本の上に立っている。
ローズピンクのお下げの髪に、ラベンダー色の帽子とワンピース。
どちらもフリルがたくさん使われており、「ゆめかわ」という言葉を連想させる。手には彼女の身長と同じくらいの大きさの本があった。
その本はタロットを連想させる複雑な模様と、いくつかの宝石で飾られている。
そして何より印象的なのは、ずっと瞼を閉じていることだ。彼女は目が見えているのだろうか?
取り敢えず、相手が子どもだと分かって安心する。
「あなたはだあれ?」
「私はサファイア。……『能力』は、言えない」
「話したくないことを深く聞くのはブレイって母さんが言ってたよ。よろしくね、サファイア!」
ミィナと名乗るこの子は街のお
「魔界で何があったか知っているか?」
「わたしの
「そんなこと、誰がなんのために」
「……サファイア、知らないの?」
「何をだ?」
「二年前、死んだはずだった魔界の『災厄』、『破壊の魔女』が生きていたことが分かったこと」
「『破壊の魔女』が⁉」
『破壊の魔女』とは、その名の通り「物を破壊する能力」に特化した魔女であった。
普通、能力は親のどちらかから引継ぐものであるが、『破壊の魔女』は突然変異だったらしく、両親は一般的な能力を持った魔女だった。
その魔女は生まれて一年で自分の家族全員の体を破壊し、殺害した。
その『破壊の魔女』は魔界の『災厄』となるとして、魔界の神代わりである『救済の魔女』が直々に手を下したと聞いていた。
「その後すぐにわたしはこの世界に来たから詳しくは知らないけど……今でも『破壊の魔女』は生きているわ。空間を
「『破壊の魔女』がこのままずっと生きていたら、どうなる?」
「本で読んだの。魔界で『災厄』と判断された存在は……」
ミィナは言葉を詰まらせる。
彼女からは信じたくない、言いたくないという思いが伝わってきた。
「いつか魔界を、滅亡させる」
二年前まで普通に過ごしていた世界が滅亡するなど、信じられなかった。しかし、絞るように出された彼女の声が、これは誰も信じたくない現実だということを物語っていた。
「でもわたしは、魔女騎士団と『救済の魔女』さまがなんとかしてくれるって信じてる!」
「そうだな、滅亡なんてそんなこと、あるはずがない」
自分に言い聞かすように何度もそう言うが、胸騒ぎは収まらない。
「わたしは二年前にここに来たの。だから、魔界のことはそれ以上知らない……。サファイア、私はここから少し南のチェルッソという場所にいるよ。何かあったらお互いにジョウホウコウカン、しようね」
彼女は情報交換という言葉を得意げに言った後、私に背を向けた。すると、彼女の周りから六冊の本が出てきた。
本は、階段のように段差をつけて配置する。彼女は本の上を慣れた足取りですたすたと歩いて、地上へと向かっていった。
両手で持っている本が大きくて邪魔そうだが、彼女は絶対にそれを手放さなかった。
彼女を見送った後、私も箒で地上に降りることにした。
ふと、空を見上げる。ゲートは私に「幸せは長く続かないものだ」と語りかけているようだった。
『破壊の魔女』が生きていると判明したのは二年前。
私は昔からゴシップばかりの新聞が嫌いで読まなかったため、知らなかったのだろう。
魔界と縁を切ったとは言っても、私の故郷だ。
幼い子もいる、自分の未来のために頑張る学生もいる、そんな学生を支える優しい大人たちだっている。
そして……
「父さん、母さん……」
魔界の滅亡なんて、望むことじゃない。
だが、魔女騎士団が対応しているのならきっと大丈夫だ。
彼らほどの力なら
箒である程度の高さまで下ると、私は人のいなさそうな場所に飛び降りる。
飛び降りて街の中心部へ歩くと私の名を呼ぶ声が聞こえた。
「サファイア!」
「エイダンか」
「朝の地震とドス黒いあれはなんなんだよー!」
彼は空を震える指でさし、そう言った。
大人でさえも立てなくなるような地震だった。子どもの彼が怖がらないわけがない。
「ん~……。もしかしたら、エイダンの言う魔女さんとやらが
「おお!やっと魔女がいるって信じてくれたのか!」
「あくまで可能性の話だ。正確には分からないが、きっとエイダンが心配することじゃない。お前の身には何も起こらないさ」
「良かった〜。あ、いや、怖いとかじゃないからな!いざという時はオレがサファイアを守ってやる!」
私より足も遅くて筋力もないというのに、強がってかっこつけて……呆れると同時に、私もついつい笑顔になってしまう。
元気を取り戻したエイダンを連れて、いつも通り依頼を探し始めた。
地震が起きた直後は人が全然いなかったが、街はどんどん賑わいを取り戻す。
「地震もそうだけど、空のアレなんなの⁉」
「ま、まさか地獄に繋がってるとか……」
「ちょっと、怖い事言わないでよ!」
街は地震とゲートの話で持ち切りだったが、それ以外はいつもの様子とほとんど変わらなかった。
あれが何なのか誰も分からないので、いつも通りの生活をする以外に行動の選択肢がないのだ。
人間たちはこの件において無力だ。そして、勝手に巻き込んだのは私たち魔女。
私たちが責任を取らなくてはいけない。
私とエイダンは、イタリア料理店のシェフに頼まれた庭の管理や掃除の仕事を一日かけてした。報酬はチーズ、パン、スープのお昼ご飯と、夜ご飯にと彼のレストランのパスタをいただいた。
パスタは私にとって量が多く、半分くらい残してしまった。
それを見たエイダンが「オレが食べてやる!」と意気込んでいたが、すぐにギブアップした。
「お、お腹がはちきれる……歩けない……」
「だから無理するなって言っただろ」
歩くスピードがいつもより二倍遅いエイダンに合わせながら彼の家へと向かう。
「……俺たち、これからもこんな幸せな毎日を送れるかな」
家に着くと、彼はそう呟く。
やはり、まだ今朝のことが不安なのだろう。
「心配するな。お前のことはお前の家族が守ってくれる」
「サファイアは?」
「私も守ってやる、大丈夫だ」
そう言って頭を撫でる。彼は一瞬辛そうな顔をしたように見えたが、すぐに笑顔に戻った。
「おやすみ、サファイア!」
「ああ、おやすみ」
彼が玄関の扉を閉める。
いつものように手のひらを月に向け、箒を呼ぼうとすると……
ズズズズズ……
突然、魔力の変動を感じた。
それは朝感じたものより弱かったものの、ズシンと身体が重くなる。
まさかと思い空を見上げると、ゲートから人影が落ちてきている。
「あれは……魔女だ!」
重い身体を必死に動かし、箒を手にして魔女が落ちたであろう場所に向かった。
時計塔は、もう七時を指していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます