第一話 人間界に降りた魔女①

 とある国の西側に位置する街、ルーデンベルク。

 争いもなく、事件もない。

 皆がお互いを助け合って生活している。

 この街は世界で一番地味で、そして世界で一番幸せな街だ。


 そんな街には、唯一のシンボルと言える大きな時計塔がある。

 時計塔には噂があった。


 その時計塔に魔女が住んでいる、というものだ。


 もちろんそんな非現実的な噂を信じる者はごくわずかだ。

 その時計塔は扉が硬く閉ざされており、誰も時計塔に住む魔女を見たことはない。


 魔女が住んでいるという決定的な証拠は、今も見つかっていない。

 だが、満月の夜に夜更かしをした子どもたちは見たという。


「箒に乗って空を飛ぶ、魔女の姿を」

「おおおおぉぉー!」

「かっこいい~!」

「おれもよふかしするー!」


 小さな子どもたちが、十二歳くらいの若い話し手を囲いきゃっきゃっと騒いでいた。

 私はその様子を一瞥いちべつして通り過ぎる。あんな風にちやほやとされていると少し照れくさい。


 何故ならば、私がその噂の魔女だからだ。


 満月の夜は明るいので、箒に乗って時計塔に帰るところを見られてしまったようだ。

 これからは気をつけよう。


 魔女はこの人間界において、み嫌われる存在だ。

 だから私は人間のふりをして、平和に生活している。


 入り組んだ路地に、緑が映える木組みの家が並んだ街の中を、気分で道を変えながら歩く。こうして毎日散歩していると、毎回誰かに手伝いを頼まれる。


 この街はそういう互いの助け合いで成り立っている街で、そんなことは当たり前だった。


 私はこれと言って職に就いていない。それに就く必要もないので毎日そのお手伝いで生活している。だが、お手伝いと言っても楽な物ばかりではない。


「サファイアじゃないかい、おはよう」


 ふいに声をかけられ振り返る。そこには先日、風邪で寝込んでいたルミ婆さんがいた。


「婆さんか。元気そうで何よりだ」

「私が倒れている間、孫たちの面倒を見てくれてありがとうね。助かったよ」

「どうってことないさ」


 なんて言うが、本当は倒れるほど体も心もへとへとにさせられた。


 彼女の孫たちは大変元気だった。私の事を「ばばあ」と呼ぶ、暴言の語彙だけはあるいじめっ子の長男。


 長男の暴言でいちいち傷つき一時間おきに号泣する長女。目を離すとすぐどこかに行く次男。極めつけにはトイレの水で遊び、床を水浸しにする三男。


 育児とは大変なのだなと、二十歳を過ぎてようやく知った。こんなの毎日一人でやってられるわけない。


 そう思えば、いつもルミ婆さんはそれをほぼ一人でこなしているらしいので、やはり人生経験が違うのだと思い知らされた。



「婆さん、もししんどくなったらまた手伝うからな……」

「あはは、ありがとうね。あ、そういえば頼みがあるんだった。この手紙を花屋のお兄さんに渡してきてくれないか?」


「分かった。報酬は今日の夜ご飯で頼むよ」

「相変わらず金じゃないんだねぇ。いいよ、とっておきのご飯を作っておくさ」



 彼女は微笑みながらそう言うと、食材を買いに行くと言って去っていった。


 花屋までは少し距離がある。箒を使えば一瞬だが騒ぎになるのも面倒なので、回り道をして景色を楽しみながら行く事にした。



「エイダン!」

「ん……?あ、なんだサファイアか!」



 気ままに歩いていると、今年の八月で十三歳を迎えた少年、エイダンを見つけた。彼は花壇の側にしゃがんで虫を観察していたようだ。


「何を見ていたんだ?」

「カマキリだ!この手で虫を捕まえて食うんだぜ、かっこいいだろ!」


 エイダンはカマキリを掴んでこちらに見せてくる。彼の掴む力が強く、カマキリが可哀想だったので、そうだなと同意しつつエイダンからカマキリを離した。


「お前は今日も一人でここに?」

「ああ、そうだよ。また母さんが怒っちゃって、飛び出してきたんだ」


 エイダンは反抗期が来たのか、家族とよく喧嘩するようになったそうだ。

 そしてその度に家を出て、私に会うために街をふらついているらしい。


 心が優しく、私に会えば必ず無償で様々なお手伝いをしてくれる、良いやつだ。


「サファイアはどうしてここに?」

「ちょっと花屋に用があってな。今日も手伝ってくれるか?」

「もちろん!」


 彼は顔を輝かせ、勢い良く立ち上がった。

 そして、私はエイダンと花屋に向かうことになった。


 彼と色々話をしながら道を進む。私が人間界に初めて来た時から、彼の話がこの世界を知るのにとても役立った。


 例えば、人間は魔界の住人である魔女にあるような魔力や『能力』を持っていないという事だ。ちなみに、魔女は能力にちなんだ「〇〇の魔女」という風な二つ名を持っている。


 そしてもう一つ。人間の生命力はかなり弱いということが分かった。これまでのことを比較すると、人間より魔女の方が秀でた存在なのだろう。


 だが、その代わりに魔女は生まれ持った魔力や『能力』の強さで人生が決まる。


 人間も同じようなことはあるのだろうが、魔力や能力は努力でどうにかなるものではないのだ。

 その点、あまり才能に左右され過ぎない人間というのはとてもいい物だと感じた。


「そうそう、時計塔に住んでいる魔女っているだろ?」

「噂は聞いたことがある。非現実的で信じられる話じゃないが」


「へっへっへ、それがだな……!エルカビダっていうちょっと遠くの街に、これまた別の魔女が住んでいるっていう噂が流れてるんだぜ!」


「それもただの噂だろう?」

「いや、エルカビダにも噂が流れたってことは、魔女はこの世にいるということだ!」

「はぁ、勝手に信じていろ」


「まだ信じてくれないのか⁉くっそ~、いつか絶対に魔女の尻尾を掴んで、サファイアに魔女はいるんだって証明してやる!」

「魔女に尻尾はないぞ」

「ことわざだよ、こ・と・わ・ざ!」


 冗談だと笑うが、エイダンの発言が少し気になった。


 人間界に魔女がもう一人いる?


 私は二年前、突然魔界からこの人間界に転移した魔女だ。転移した理由も転移するのに用いられた魔術も、そして誰が私をここに来させたのかも知らないが。


 そもそも魔界と人間界は存在している次元が違う。魔界から人間界に転移した魔女など、伝記にしか存在しなかったのだ。


 それほど次元を超える転移魔法はレベルが高い。だからこの世界に魔女は私一人しかいないと思っていた。


 だが、エルカビダに本当に魔女がいるのだとしたら……私はその魔女に会う必要があるのだろうか?


 いいや、魔界での友達も一人きりしかいなかったのだ。家族にだって会いたくない、合わせる顔もない。


 魔界とは完全に縁を断って私は今幸せに生きている。

 今の幸せを崩すつもりなんて一切ない。


 もし人間界に魔女が存在したとしても、この幸せを崩される可能性がゼロにならない限り、私はその魔女と関わるつもりはない。


 ウサギや牛が穏やかに生活している牧場、動物の皮で作られた服屋や鮮度が売りの八百屋、海がないこの街にとっては貴重な、海の産物が並ぶ魚屋を通り過ぎて、広大な花畑に着く。


 その花畑をしばらく歩き進むと、花屋が姿を見せた。


「あ、花屋が見えてきたぞ!」


 エイダンはそれを見るなり走って先に行ってしまった。


「あ、待て!」

「花屋に先に着くのはオレだー!」


 はぁ、とため息を吐く。どうして子どもというものはこうも競争心が強いのだろう。面倒だが、これで負けては私のプライドが許さない。


 タッと地面を蹴り、まっすぐの道を走り出す。あっという間に私はエイダンを追い抜き、私が先に花屋に着いた。


 ふん、と鼻を鳴らすのも束の間、エイダンがすごい勢いでこちらへ向かってきた。


「あわわわわわ!サファイア、受け止めてくれええぇぇっ」


 全力で走り過ぎて急にブレーキをかけるとこけてしまいそうだ。

 だから私に助けろと言っているのだろう。


「全く仕方のない奴だ……っと!」


 急ブレーキをかけて前のめりになる彼の体を支える。私が支えていなかったら、花屋が全壊していたかもしれない……なんて、流石に冗談だが。


「気をつけろよ、これで私がいなかったらどうするんだ」

「サファイアがいない時に本気なんて出さねーからな!」


 にかっと笑う彼の笑顔はまるで向日葵ひわまりのようで可愛らしかった。心の底では愛らしいと思ったが、それを表情に出さないように溜息をついた。


「いらっしゃいませ」

「騒がしくしたな、すまない」

「いえいえ、静かすぎるのも退屈なので」


 店の中から出てきた爽やかな青年がこちらに微笑みかける。


「あぁ、そういえばルミ婆さんからラブレターだ」

「え!」

「いや、冗談だよ」


 少し冗談を言っただけなのに、青年は想像していたより驚く。それを見てクツクツと笑ってしまった。

 笑わないでくださいよ、と彼は照れていた。


「お返しの手紙を書いて来ます。すみません、花畑の水やりを手伝っていただいても?」

「お安い御用だ」

「よし、任せろ!」

「ありがとうございます」


 そう言って、青年は店の奥に消えていった。


 花屋の所持する花畑はとても広く、二人で終えられるものではなかった。

 じょうろでひとつずつやっていくと腰を曲げることになるので、三十分だけでもかなりの腰痛と疲労が出てくる。


 人間界は魔界より科学が発達していないようで、様々な点で不便だ。遠く離れた人との連絡手段もなければ、このように手作業でやらなければならないことも多い。


「サファイアって体結構ばーさんなのか?」

「いいや、違う!私はまだ二十六歳なのだから……っ!」

「まぁ、結構大人だよな……」


 強がってはみるが、やはり痛い物は痛い。呻き声を出しながらじんじんと痛む部分を撫でていると、エイダンの笑い声が聞こえた。若さというものは時に羨ましい。


 しばらくして、やっと青年が戻ってきた。


「すみません、お待たせしました!水やりありがとうございます」

「き、気にするな。私は平気だ」

「さっきまで腰が痛いとか言ってたくせに……みゅっ!」

「悪い事を言う口はこの口か?」


 変な事を言い出した口の端を摘まんでむにむにと揉んだり引っ張ったりする。


「ご、ごべんなさい……」


 手を離して花屋に報酬のパンとお返しの手紙を受け取る。その間、エイダンはずっとこんなの脅しだのなんだのと頬を膨らませていた。



 エイダンを家の前まで送ると、あたりはあっという間に夕方になっていた。彼は自分の家を前に、少し寂しそうな顔をした。



「はぁ~あ、いつも楽しい時間ってすっげー短いよな」

「時間はいつも一定のはずなのにな。気持ちは分かるが子どもはもうねんねの時間だ」

「また子ども扱いかよ~……」


「子どもだからな。あと七年待てば大人だ、それまで辛抱しろ」

「ああ。オレ、大人になったらサファイアとしたいことがたくさんあるんだ!」



 そういうところがまだ子どもなんだよ、と思い笑みが溢れる。


「そうなのか? 楽しみにしてるよ」

「じゃあな!」


 私はエイダンが家の中に入るのを確認して、その場を後にした。


 そして、私は朝に会った婆さんの家に向かった。私がそこに着いたときには、既に彼女の孫たちが美味しそうにご飯を食べていた。


「サファイア、いらっしゃい。今日は野菜たっぷりのグラタンと、ガーリックとバターで味付けしたエスカルゴ。あとジャガイモと豚肉の煮込み。ワインで煮込んだこれは絶品だよ」


「本当に御馳走ごちそうだな。手紙を渡してきただけなのに」

「花屋なんて遠かっただろうし、孫たちの世話のお礼もしてなかったからね」

「ふふ、ありがとう。あとこれ、手紙の返信」


 ズボンのポッケから手紙を取り出すと、婆さんに渡した。

 彼女は礼を言いながら受け取り、エプロンのポケットにしまった。


「ごちそうさま。とっても美味しかったよ」

「それは何よりだ」

「ばばあ!またばあちゃんを手伝えよ!」

「サファイアさんにそんな口聞いちゃだめだよぉ、お兄ちゃん」


 ご飯を食べ終えて遊んでいた長男と長女が顔を出す。長男は相変わらず生意気で、長女もまた相変わらず泣きっ面である。


「お前たちこそ婆さんに迷惑かけるんじゃないぞ」

「うっせぇばばあ!」

「こーら、なんてこと言うの! 罰として明日洗濯物やってもらうからね!」

「ええっ!ばあちゃんそれは!」


 流石だ。やはり婆さんは子どもの扱いが上手い。長男はしょんぼりとしながら二階へ上がっていった。


「今日もゆっくり休むんだよ」

「ありがとう。おやすみ、婆さん」


 そう言って外に出ると、すっかり夜になっていて、朝に賑わっていた道は人ひとりいない状態になっていた。



 誰もいないことを確かめ、私は手の平を月に向けた。

 すると、一秒もしないうちに空から箒が落ちてきて、それを掴む。

 浮かぶ箒に跨り箒の持ち手を空に向けると、一息で大空へと飛んだ。


 空は風が強く、右に流している前髪がなびいて右目の視界がさえぎられたり急に開いたりする。

 街を見下ろすとオレンジ色の灯りが片手で数えられるくらいしかなく、住民が眠りにつき始めたことが分かる。


「今日も平和そうで何よりだ」


 街になんの異変もないことを確認すると、住処である時計塔に向かった。


 時計塔の文字盤もじばんには簡単なおまじないをかけている。私が手で宙に「open」と書くと、勝手に開く仕組みだ。


 指で文字を書くと、大きな文字盤はギギギと音を立てながら開く。時計塔に入り箒から降りると、それは自然に閉まった。


 少しずつ時期は秋になりつつあるせいで、部屋の中はひんやりとしていた。


 布団もベッドもないこの場所だが、静かでとても居心地がいい。特に夏は風がよく通るので、暑さが苦手な私にとっては凄く住みやすい場所だった。



 床に寝転がり、瞼を閉じる。

 今日の水やりが相当疲れたのか、私はすぐに眠りについた。

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