第7話 悲しき恨魔

 愛と同じデザインの軍服を着た少女は仁の方向を見ると、その愛らしい顔に笑みを浮かべた。

 ひとつ頷くと愛のところに駆け寄る。

 その姿を見送った直後、仁はかなりのひどい頭痛を覚えた。

 頭の血管からずきずきと血が流れるのがわかるほどの痛みだ。

 それに体がかなり疲労している。

 足腰がふらつく。

 仁は頬に流れる油汗を手の甲でぬぐう。

 油断すると地面にしゃがみこみ、そのまま眠ってしまいたい欲求にかられる。

 そんなふらつく仁の体をささえる人物があらわれた。

 その人物は黒スーツを着た細身の女性だった。

 その女性は仁の腰に手をまわし、体をささえる。

 間近でみるその女性の肌は白く、美しかった。

 目元のほくろが印象的だ。

 その人物は死神の一ノ瀬市子いちのせいちこであった。


「しっかりしたまえ、黒崎仁。ここで君が意識を失ってはこの幻想世界イマジンワールドは崩壊してしまうぞ」

 一ノ瀬市子はそう言った。

「は、はい……」

 一ノ瀬市子に体を支えられながら、仁は答えた。

 そうだ、ここで自分が意識を失ったらもとも子もない。

 ぐっと拳を握りしめ、仁はどうにか意識をたもつ。



 愛の隣に立ち、平井夢子はその豊かな胸の前で複雑な手印を結んだ。

「司様、あの敵は気体です。通常の物理攻撃では効果がありません。夢子があの妖魔の動きを止めます。その隙に司様はあの敵を粉砕してください」

 早口に平井夢子は言うとさらに複雑な手印をいくつも結んでいく。

「わかった、夢子。まかせる」

 そう言い、愛は腰の日本刀の柄に手をかける。

 この三尺の刃の日本刀は銘を鬼切丸という。

 仁の物語では渡辺司の祖先で鬼殺しの武将である渡辺綱わたなべのつなが愛用したものであった。

 その伝説の鬼切丸ならば、きっとあの恨魔を倒すことができるだろう。

 むろん、気体の敵であるあの恨魔の特性をどうにかしなければいけないが。


「臨兵闘者開仁列在前!!」

 夢子はその胸の前で次々と手印を結んでいく。

 彼女が得意つする早九字の呪法であった。

 うっすらと目をつむり、夢子は精神を集中させる。

 ふうっと大きく息をはき、巨乳がゆれる。


「おまえたちなんか消えちゃえ!!」

 黒いもやの恨魔はその短い、あかぎれだらけの手をあげ、愛たちに襲いかかる。


 平井夢子の体がうっすらと光につつまれる。

 それは彼女の霊力が体の表面にあふれだした状態をさす。

 彼女はさらに意識を集中させる。

 それはトランス状態に近いものであった。

「我が父、四海竜王が一柱、東海青竜王の御名において命ずる。我らに仇なす者を封せよ」

 平井夢子はそう唱えた。


 そうするとどうだろうか。

 あの黒いもやの恨魔の真下に魔法陣が浮かび上がった。

 目を開けているのがやっとの光につつまれる。

 足元から光に包まれた恨魔はぎゃああという耳をおおいたくなるような悲鳴をあげた。

 光はすぐに消えてなくなる。

 仁はその光によって痛む目をこすりながら、その様子を注視した。

 光が消えると黒いもやの恨魔は青い鱗によっておおわれ、閉じ込められていた。

 どうやらこの青い鱗で黒いもやの恨魔の動きを閉じ込めているようだ。

 鱗におおわれた恨魔は必死に中でもがき、どうにか脱出しようと試みていた。


「そうはさせない」

 短く言い、愛は地面を蹴った。 

 腰の鬼切丸の柄を握りしめ、一息に距離を縮める。

「和泉斬鬼流抜刀術十文字!!」

 そう叫び、愛は鬼切丸を抜刀し、真横一文字に斬りつける。

 さらに続け様に縦一直線に鬼切丸を恨魔に叩きつける。

 すでに青い鱗にほぼ同化しかかっていた恨魔はその斬撃を受け、体を十文字に分解された。

 体の中心にあった発芽しかけていた種も粉々に粉砕されていた。

 どろどろに恨魔は溶けていき、黒いもやは蒸発していく。

 やがて黒いもやはすべて消え、中から裸の幼児が姿をあらわした。

 その幼児は体中に痣やあかぎれ、火傷のあとでいっぱいだった。


「どうやらお役にたてたようですね」

 平井夢子は仁に振り向き、愛らしい笑みをうかべるとどこかけに消えていった。


 仁は一ノ瀬市子に体を支えられながら、白神愛の横にたつ。

「どうやら、あの恨魔を倒せたようだね」

 仁は愛に言った。

「ああ、そうだね。ありがとう、仁。君の助けがあって倒せたよ」

 愛は言い、一ノ瀬市子に代わり、仁の体をささえる。


「見事だ。あの恨魔の魂はこれで無事に輪廻の輪にもどることができる」

 一ノ瀬市子は二人にいった。

「それじゃあ……」

 仁は一ノ瀬市子の切れ長の瞳を見る。

「ああ、合格だ。白神愛候補生、君はこの瞬間から正式な死神だ」

 そう言い、一ノ瀬市子はポンと愛の肩を叩いた。


 地面に倒れている裸の幼児に歩みより、その体を抱き上げた。

「ねえ、お姉さん。パパとママはいつ迎えにくるの?」

 傷だらけの幼児は一ノ瀬市子にそう訊いた。

「もう君は両親のことは忘れるのだ。忘れて、輪廻の輪に戻るのだ」

 そう言い、一ノ瀬市子はそっと幼児のまぶたに手をあてる。

「忘れたくないよ……」

 細い声でそう言うと、幼児はすやすやと一ノ瀬市子の胸の中で眠りについた。

「ご苦労だったな、白神愛、黒崎仁。君たちにはこれからも死神としての活躍を期待しているよ」

 そう言うと、一ノ瀬市子は光に包まれ、消えていった。


「さあ、僕たちも戻るよ」

 愛は仁に言う。

 仁は頷いた。

「それじゃあ、幻想世界を解除するよ」

 愛はそう言った。

 その言葉にあわせて、仁はそっと目をつむった。

 次に目を開けたとき、愛と仁は再び薄暗い道路に戻っていた。


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