第2話 恨魔

 その白猫から発せられた声はまぎれもなく十年前に亡くなった親友の声そのものだった。


「仁、久しぶりだね。会いたかったよ」

 とことこと白猫は仁に歩みより、そう言った。


 その声を聞き、やはりこの声は間違いなく愛のものだと確信した。

 そのどこか中性的でやや高い特徴のある声は愛のものだった。


 猫が人の言葉を発していることに対して仁は不気味さや恐怖よりもこれは非日常の始まりではないかという好奇心と期待がうわまわった。

 仁が子供のころから数えきれないほど妄想を繰り返していた非現実的な出来事が今、目の前で起こっている。そのことに仁は鳥肌がたつほどの感動を覚えた。


「君は本当に白神愛しらがみめぐみなのかい?」

 仁は訊いた。


「ああ、そうだよ」

 愛を名乗る白猫は答える。


「では訊くよ、映画星はまた輝くで主人公のナターシャの最後のセリフは?」

 仁は試しに訊いた。


「星の輝きがすべてなくなったらあなたのものになるわ」

 白猫は答えた。

 それは病院で見たロシア映画だ。かなりマイナーな映画で仁の父親がDVDを持っていた。懐かしい思い出の一つである。


「僕が初めて買ったCDは?」

 もう一つ訊く。


「声優堺良華のフリフリフリル」

 さらりと白猫は言った。

 堺良華は十年前に流行した声優アイドルグループフリラーズのメンバーの一人だった。そんな彼女のソロデビュー曲がフリフリフリルである。

 十年たった今ではアニメだけでなくドラマや映画で活躍する演技派女優となっていた。


 この二つのかなりマニアックな質問に間髪入れず答えるのを見て、仁はこの猫に愛の心が宿っていると確信した。


「しかし、どうして……」

 仁は言った。

 どうして十年前にこの世を去った愛が白猫に宿り、目の前に突然あらわれたのか。


「それはね、僕は十年前に死んで魂は輪廻の輪に入る予定だったんだ。でもね、僕はどうしても君にもう一度会いたかったから、そのために死神になる試験を受けたんだよ」

 愛の言葉は、愛自身が信じられない存在ではあるがそれ以上の言葉がでて、仁は正直混乱しかかっていた。

「そして僕は最終試験までこぎつけたんだ。その最終試験とは恨魔はんまを倒すことなんだ。僕は無事に死神になって、君とまたすごしたい。そのためには仁、君の力が絶対に必要なんだ」

 愛は説明した。

 仁はどうにか理解しようとした。

 どうやらこの白猫の姿は愛にとっては一時的なもののようだ。

 愛が目指す死神になるにはその恨魔はんまと呼ばれる存在を倒さなくていけないようだ。


「僕も愛とまた会えて、かなりその姿は変わってしまったけどうれしいよ。でも僕の力と言ってもなにをしたらいいのか」

 仁は言った。

 自分はただの妄想好きなサラリーマンにすぎないのに。

「大丈夫、君にはきっと僕が求める力がある。うん……」

 そう言うと愛こと白猫は仁の肩に飛び乗った。


「ごめん、この辺りに僕が狩らなければいけない恨魔がいるのはわかっていたけど、まさかこんなに近くにいるなんて」

 愛は仁の耳元でささやく。

その金色の瞳で前方の曲がり角を見た。


 仁もその視線につられて同じところを見る。



 その曲がり角にゆっくりと得体の知れないものが近づいてきた。

 最初、それは黒い「もや」のようなものに見えた。よく見ると、それは人の形をしていた。かろうじて人の形をしていると言った方がいいだろう。

 瞳孔が開ききった瞳は互いちがいで唇はなく、歯はむき出し。しかもその歯はぐちゃぐちゃで犬歯だけが飛び抜けて長かった。

 手足はブクブクとふくれあがり、真っ赤に腫れていた。腫れた皮膚はあかぎれのようだ。

「パパ……ママ……寒いよ……」

 声だけは幼児のものだった。



 それを見て、仁はかつてないほどの不気味さと恐怖を感じた。

 体の奥底から恐怖を覚えた。

 この存在に関わってはいけない。

 生存本能がそう告げる。


「あれが恨魔。この世にある種の執念や憎しみなんかの強い感情を持ったまま亡くなった魂が変化したもの。僕たち死神が輪廻の輪に戻さなければいけない存在」

 愛が言った。


 これが愛が戦わなければいけない存在なのか。いったいこんな得体の知れない存在に自分は何かできるのか。

 仁の心にあきらめに近い感情が芽生える。


「ちっ、なんてことだ。あいつはしかもシードつきじゃないか」

 大きく舌打ちし、愛は言った。

「な、なんだい。その種つきというのは」

 黒いもやに気づかれないように小声で仁は訊く。

「やつの胸の真ん中を見てみなよ。大きな種がついてるだろう。あれがついているのは種つきと呼ばれる恨魔はんまの中でも上位種にあたる存在なんだ。任命試験で種つきの相手か……」

 仁は腹立たし気に言う。


 その声に反応したのだろうか、二メートルちかくあるもや、恨魔と呼ばれる存在は仁たちの方を向き、歩みは遅いが近づいてくる。


「まずい、気づかれた。今の僕たちでは勝ち目は低い。幻想世界イマジンワールドを構築して、逃げ込もう」

 早口に愛は言った。

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