第29話
この時一季は鼻に心地よい違和感を覚えた。
「この匂いは・・・」
いつも鼻を突いて来たあの匂いだった。彼女は鼻を親指と人差し指でくすくすとつまんだ。それでも、匂いは消えなかった。やはり、いい匂いだった。気を許せば、眠ってしまいそうな心地よい匂いだった。
今日の弘美は何かがちょっと違う、別の人のように思う、と一季は感じていた。夢なんかじゃない。怖くはない。でも、ちょっとだけ胸がドキドキするのは、
「なぜなの?」
「私は・・・いや、僕と君が初めて会った時のことを覚えているかい?」
老いた弘美はじっと一季を見つたまま、いった。
「うん・・・いや・・・」
一季は戸惑ってしまった。というのは、確か・・・初めて会ったのは若い弘美だったからである。若い弘美にも会っているし、この老人も時々だけど、見掛けていて、会っている。
そんな一季を見て、
「どうしたんだい、そんな顔をして?私が怖いかい」
と老いた弘美は聞いて来た。
一季はまだ頭の中を整理していなかった。また、この精神状態で平静でいられるわけがなかった。目の前にいる老人とあの時の若い弘美が、まだ同じ人だとは思えなかったのである。
「いいよ。疑問に思っていることがあれば、遠慮なく聞いて。でないと、この先僕の居場所がなくなってしまうから」
この人、また変なことを言った、と彼女は思った。居場所がなくなるって、どういうこと?と聞きたかったが、まず根本的なことから聞きたかった。
「あなたとあの時の弘美は似ているけど、どうしても同じ人だとは思えないの」
老人は窓に映る自分の顔を見て、悲しい表情をした。でも、その表情はすぐに消えていた。
「こっちにおいで」
老人は二人の間に座っていたミャーに手招きをした。すると、ミャーは素直に老人に近寄って行った。老人はミャーを抱き上げ、
「この子は、君と僕を近付けた猫なんだよ」
と言うと、ミャーの頭を撫でた。すると、ミャーは老人に体を押し付け、ニャ、ニャと二回泣いた。一季にはそんなミャーの顔は見たことがなかった。そんな老人にちょっとやきもちをやいた。
「君に見せたいものがある」
というと、老いた弘美は一冊の本を見せた。相当古い本のように見えた。
「ははっ!見た通り、これは本ではないんだよ。日記だ。私の家にあったんだ。私が家の片付けをしていた時に見つけた。手に取って、見ていいよ。君もよく知っている人が出て来るし、君が今体験している出来事が書いてある」
こういうと、老いた弘美は恥ずかしそうに笑った。そして、彼は、
「ここに書いてあることは、みんな真実なんだ」
と念を押した。
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