第26話

まだ完全に氾濫した水は引いていない。その水の上に浮かぶように、あの人は立っていた。しかも、彼が・・・あの老人が腕に抱いていたのは、ミャーだった。

橘一季は、ミャーと叫ぼうとしたが、思い留まった。なぜ、あの人がミャーを抱いているの?確か・・・あの時聞こえて来たのは・・・弘美の声だった。

頭の中がこんがらがっていた。少し冷静に考えようとするが、今彼女が目にしている光景が信じられなかったから、何をどう考えていいのかさえ分からなかった。

「ねえ」

一季は声を掛けた。周りの音は何も聞こえなかった。この世界に、二人だけになってしまったように感じた。

老人は微笑んだ。

「抱いている猫は、ミャーなんでしょ?」

一季は聞いた。

老人は頷いた。

「昨日・・・いや今日の朝かな。君が言った通りの場所に、ミャーはいたよ」

「ひろみ・・・なの?」

一季はこの瞬間、これ以上の言葉が出て来なかった。

「ふっ、驚いているようだね」

老人は微笑んでいる。彼女・・・一季にしてみれば当たり前である。すぐに頭の中の整理がつかない。

「ここで、ずっと君とにらめっこしていても何も始まらないから。今私が住んでいる家に行こう。家・・・というには余りにも変形しているんだけどね」

老人はこういうと、水の上を歩き、一季に近付いてきた。

老人はミュャーを夕子に渡した。

「ミャー!」

ミャーの体は暖かく柔らかかった。もう何年も抱いていなかったような懐かしい感覚で気持ち良かった。

「行こう」

老人は先に歩き出した。

「何処へ行くの?」

一季は不安だった。老人と弘美が同じ人物なの・・・という疑問のままだったから、不安というより怖さで体が震え出そうとしていた。彼女は、

「弘美・・・なの」

と聞いた。

老人は頷いた。

「あの・・・私の知っている弘美!」

「そうだよ。今は見た通りの老人だけど、いつでも君の見た歳の弘美に変われる・・・いや、違う。いまの私は・・・もう若い弘美には戻れない」

老人は肩を落とし、悲しそうな後姿を見せた。

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