第14話

橘一季はその匂いにつられ、自然とその方向に目を向けた。

 「あっ!」

彼女は自分の出した声の大きさにびっくりして、慌てて口を押えた。今何処にいるのか気付いたのだが、遅かった。彼女の叫び声は社内に響き渡った。

あの時の老人が、一季と同じ電車に乗っていたのである。老人は彼女と向かい合う形になった。言葉を交わせる距離ではなかった。

(なぜ・・・この電車に?)

正に、クエッションマークの気持ちがぴったりの状況だった。一季は、

「あっ!」

一季は小さく呟いた。今のこの電車の中で、これ以外の言葉が出て来なかった。そして、ただ、老人を見つめるしかなかった。

一季は何らかの行動をしたかったが、どうしたらいいのか、考えた。まず言葉を掛けようと思ったのだが、何と声を掛ければいいのか分からなかった。匂いは全然消えていなくて、むしろだんだん強くなって来ていた。鼻に

《つん》

とその匂いが忍び込んで来た。この距離なら、お早う、くらいは言えないでもなかった。そこから、始めるしかなかった。

一季は少し勇気を出して、

「お早う」

と気安く声を掛けられた。というのは、老人が言った、会いたいと思っていた人に会えたと言ったのを覚えていたからである。彼女は、老人のこの言葉が忘れないでいた。会いたいと思っていた人って、誰なんだろう?

老人は、一季を見て、にこりと笑った。そして、ゆっくりと頷いた。前にいた人は、夕子を見て、老人を見て、そっと横に退いてくれた。その後窓の外に目をやった。

一季は老人に聞きたいことがいくつかあったが、この電車の中で聞けるようなことではなかった。一季と老人の間にいた人は、次の塩浜駅で降りた。多分、急行に乗り換え、名古屋くらいまで行くのだろう。この辺りの通勤する人の通常のパターンである。

いくら混んでいても、塩浜駅で大概席は開く。一季は老人がどうするのか見ていた。すると、老人の座っていた横の席が空いたので、彼女はすぐに座った。その横に座るのはちょっと狭かったが、夕子は強引に座った。彼女は今しか聞く機会はないと思った。老人が、何処の誰だか分からないのだから。明日、この電車の乗っているのかも分からないのである。

老人は、遠い未来と言っていた。彼女には、この言葉にも理解不能だった。そして、一番聞きたいのは、あの日、どのようにして家に帰ったのか知りたかった。この老人なら、知っていると思った。

老人が、何処まで乗って行くのか、分からなかったが、とにかく今しかないと思った。彼女の心はわくわくし始めていた。

「聞いていいですか?」

一季はこう切り出した。

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