第7話

「一季。一季。起きて・・・病院だよ」

聞き覚えのある声と体を揺すられたことにより、一季は目を開けた。

 「あっ。ここは・・・」

 すぐに自分が何処にいるのか分かった。一季は父忠が前に入院していた時に、見舞いに何度も来ていたし、退院の時に、

「もう、こんな所に二度と来たくない」

と、心底思ったのを、一季は覚えている。そして、自分が、なぜここにいるのか思い出した。

 「そうだ。五郎が・・・」

 そう気付いた一季だった。誰かに支えられて立っていたのだが、顔を向けると、

 「さぁ、お父さんの病室に早く行った方がいいね」

という五郎が傍にいて、一季を真剣な目で見つめていた。

一季は五郎の言う通りに病院の中に入って行こうとしたが、戸惑いがあった。

「集中治療室だよ」

五郎の声に振り向き、頷いた。

「有難う」

と、言ったが、夕子は弘美に聞きたいことがいくつかあった。でも、今は・・・今は父忠の病状が気掛かりだった。

「集中治療室・・・」

忠の病状については母英子から聞かされていたが、歯切れの悪い言い方をする母が気にはなっていた。ひょっとして、もう助かることのない病気なのかも知れない、と思ったりもしていた。そうだとしても、今忠はまだ生きているのである。一季はそう思うことにしていた。だが、今また入院することになってしまった。彼女の胸騒ぎは、不安だらけだった。


「それで、どうしたんだね?」

検事は聞いた。

「人・・・人間は、はっきりと死ぬまでは生きているのです」

検事は首をひねった。R13の言っている意味がよく理解できなかったのである。

「私は、この時代の裁判所で自分の意志を通そうなんて思ってはいません。素直に判決に従うつもりです。ただ、出来うるならば、もう一度あの時代に戻りたい。それが、私の望みです」

検事はR13の次の言葉を待った。

「私には、これ以上話すことはありません。私はいかなる判決にも従います。あっ、雨が・・・その内、風も吹き始めるでしょう。あの時と同じです。きっと嵐はやって来ます」

R13はこれまで何の弁明もしていなかった。する気もないようだった。検事にはそう思えた。だが、若い検事としては、被告の言う通りに事件を終わらす訳にはいかなかった。


父忠の命は持ち直した。一時間前に集中治療室から一般病棟に移った。今は眠っている状態だった。

橘一季は四階の病室から外の様子を見ていた。雲の動きに注目していた。学校を出た時とは空の様相がかなり変わっていた。これから、もっと変わる可能性があると見て取れた。でも、この先天気がどう変わって行くのか、彼女には全く想像出来なかった。台風は、この辺を逸れてしまうかもしれなかった。出来たら晴れて欲しいが、小雨なら体育祭は強行するだろう。

どっちでもいいとは思わない。余り見ない天気予報を昨日の夜見たが、最悪台風が直撃なる可能性もあるようだった。

一季は下の方を覗いてみた。まだ五郎がいるかもしれない、と思ったからである。

だが、五郎の姿はなかった。

一季は体の中から力が抜けて行くようなめまいに似た感覚に陥ってしまった。このまま、へなへなと倒れてしまいそうだった。

(五郎は・・・誰なんだろう?)

瞬間、浮かんだ疑問だった。頭の中が、ポァッとしている。こんな気持ちの状態で、その答えを出せるとは思っていない。どうして一瞬の内に、病院の前に来たんだろう?そのことも気になった。

夕子は足を踏ん張って立っていた。倒れたっていいのに、倒れない。そして、一つの結論を得た。

(一度・・・もう一度度会った時、聞いて見たい。学校に行ったら、それか、また電車の中で会えるかもしれない)

考えて分からないことは、五郎に直接聞くしかなかった。

それに、あのいい匂い・・・。何処かで嗅いだ記憶があるんだけど、どうしても思い出すことが出来ない。まぁ、その内、思い出すだろう。こっちは、誰にも聞く訳にはいかない。私だけの印象?他の人は、あんな匂い・・・嗅いだことはないかも知れない。

「一季」

という聞き慣れた声が耳に入った。振り向くと、母英子がいた。忠はまだ目を覚ましてはいなかった。

「天気の方、どう?」

英子の膝にはたかしが眠っていた。たかしは口には出さないが、父の病気を気にはしているんだろう。重い病気だと知っているのかもしれない。一季はね父が病気になってから心から笑っているたかしを見ていない。

一季は、しっかりしなければいけない、と自分の気持ちを引き締めた。父忠はしばらく入院することになる。英子は病院と家を何度も行き来することになるだろう。

「雲は走っているよ。来るかもしれないね、台風」

英子の言葉に、一季は窓の外を見た。台風・・・来てもらっては、困るんだけどな。考えるすべてが不安だらけだった。今の所、一季には心から笑える楽しいことは、何もなかった。

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