第6話

「何があったのよ?」

一季は自分に問い掛けた。すぐに答えは返って来た。

「お父さんの病状が悪くなったんだ」

それは分かるんだけど、気持ちの整理がつかない。

父忠が病気だとは分かっている。しかも、いつ再び悪くなるか分からない病気なのである。でも、今日の朝家を出て来る時には元気な声が返って来た。昨日も一昨日も忠は元気だった。だから、何も心配はしていなかった。

それなのに・・・。

彼女は悪いことが起こったのだと思うしかなかった。きっとまたしばらく入院ということになるかも知れない。

今日に限って電車の鈍さにいらいらする。何で、何で、こんなに遅いの。いつもなら全然気にならないのに。

(また、きっと元気になって、父は家に帰って来る)

一季はこう思うしかなかった。

北楠駅から、一季は家まで走った。通学の行き帰りに歩いているが、早く家に着いて、と思いながら走るのは初めてだった。風が、一季の気持ちを遮る。そんなに強い風ではないが、台風がやって来ているせいか、気になる風であった。彼女は走りながら、空を見た。まだ、晴れていた。

秋の真っ最中の空は青い色そのものだった。だが、その青い空の色の中を、雲は風に遊ばれながら流れていた。走るのを止めたい気分に襲われるが、すぐに忠の苦しそうな顔が浮かんだ。

「どうして?」

朝、あんなに元気な返事が返って来たのに。夕子は何度も何度も同じ思いに襲われた。こんな気持ちになるのは初めてだった。忠が初めて病気で倒れた時も、こんな気持ちに襲われたことはなかった。彼女は、不吉な予感に襲われた。

「お父さん!」

高見一季は家に入るなり、叫んだ。父忠が、家にいる訳ないのに・・・。

すぐに気付く。

「誰かいないの?お母さん。たかし」

一季は叫んだ。誰かがいてもいいはずなのに。彼女は家の中を探し回った。そして、最後にたどり着いた台所のテーブルに書置きが置いてあった。

「救急車でお父さんを病院に行きます。たかしも連れていきます。心配しないで待っていなさい。

読み終わると、一季は、何が心配しないでだよ。何で、私だけ置いておくの、と愚痴が出てしまう。食卓のテーブルに座るが、落ち着かない。立ったり座ったりした後、今度は自分の部屋に行くが、やはりじっとしていられない。彼女は気が狂ってしまいそうな気分だった。


R13は、

「あの時が・・・」

と言った。

検事はおやっという表情をして、R13を見た。

「あの時?何を言おうとしたのですか?言って下さい。私はあなたに興味を持って見ています」

R13は若い検事をみていなかった。検事の言葉も聞いていなかった。だけど、R13は話し始めた。

「あの時、私は、あの子の家の前にいた。私の気持ちに迷いは少しもなかった。だから、あの子の家の中に入った」


「五郎君。どうしたの?」

一季は玄関にいる五郎にびっくりした。彼が、ここにいる理由が全く思い付かなかった。

「君のことが心配になってね」

一季は笑顔でいった。一季の好きな五郎の笑顔だった。一瞬、病院に運ばれた忠のことを忘れるが、すぐに五郎の言ったことが気になった。

「心配って、どういうこと?」

一季は五郎の心を読み取ろうとした。でも、もやもやっとして、頭の中が混乱してしまった。

「お父さん、病院に行ったんだね。君も行った方がいいね」

五郎は、一季には理解し難いことをいった。だから、彼女は返す言葉が思い付かなかった。

「僕が連れて行ってあげる。僕と一緒においで」

五郎は手を差し出した。

一季は五郎の手を握った。不思議にも、彼女は少しの抵抗もしなかった。

弘五郎は彼女を抱き寄せた。

一季は故老の胸の中に顔をうずめた。この時、彼女の頭の中に快い香りが入り込んできた。

何処かでかいだ覚えのある香りだった。でも、すぐに思い出せる香りではなかった。というのは、香りの気持ち良さのためか、夕子は気を失ってしまったのである。

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