第1話 ③


 俺には聞き覚えのある声だった。辛うじて単語を聞き取れる程の低い声。淡々と事実を伝えてくる自分勝手な喋り方。自分を上の存在だと勘違いしたかのような喋り方。


 その声はまさしく先ほど思っていたアレだ。俺の右腕になっている怪物。


 俺はソイツの声を聞いて直ぐさま右腕を反対に向ける。右腕が変化したことに0.01秒でも早く気づけるように右腕を左手で掴む。


 光夜は反応が鈍いから声がどこから聞こえるのかをまだ探しているが、俺の大袈裟な反応で気づいてくれたようだ。


「トオル、まさか今のは君の右腕!?」

「そうだ光夜隣。

 初めましてだ。

 君がトオルの説得に時間がかかりそうだから私が出たまでだ」


右腕は俺の意思を無視して光夜に向かって喋り出す。袖越しでは見えないが腕に奇妙なさわり心地のものが動いている感じがする。恐らくコイツが作り出した発生器だろう。


「光夜、俺の右腕を絶対に見るな!!」


 俺は必死だった。予め知っていたとは言え、右腕に人間の発生器が浮かび上がっているえげつないモノを見せるわけにはいかない。そんなものを見てしまえば正気では居られないだろう


 ただ、袖の上から右腕を掴んでいてもコイツの変化に気づけるだけでほぼほぼ有効策では無い。一番の有効策は距離を取ること以外無いだろう。


「必死だねトオル。君も無駄だと分かるだろう。私は無形の存在だと何度も教えそして君自身も見てきたはずだ」

「黙れ。こんな人前で出てきやがって何のようだ」

「言っただろう。光夜の代わりに説得をしに着たのだ。私はある約束事があって君の姉を襲わないと伝えに来た」

「約束事だと?」

「それは時期に分かる事だ。

 しかしね、それだけでは君も信用できないだろう。

 ホラ、君の目は私を強く注視して疑っているじゃないか。小さきウサギが警戒しているようにね」


 コイツの嘲笑する声を聞いて、パーカー越しでもコイツがニヤリと人を馬鹿にするように口元を緩めているのが目に浮かぶ。コイツには俺との肉体的なリンクがあるせいでパーカー越しでも俺がコイツを見ている事も分かる。今のコイツは俺の全てを分かると言っても良い。


「何が言いたい?」

「トオル、君の一時の平和を守るために取り引きしようと言っているんだ」

「……はぁ、そんな事だろうと思った」


 自分を上のモノだと言いたげな喋り方をする故知ウノ名はウイリーらしい。コイツはいつも自分が有利になるための方法を考えている狡猾な生物だ。だからコイツの話す事など容易に想像できる。


「で、お前は何か欲しいものではあるのか?」

「ふむ、では君の節美に貯めている貸しを使ってあるものを入手して欲しい」


 コイツの言う貸しとは恐らく社長が未払いでいる給料の事だろう。


 社長は俺の事務所での寝泊まりを許可している分だとか依頼関連での交通費、食事代等々を免除しているとかで給料を払わない。しかし、世の中的に経費は会社負担が当然なのだ。社長の居ないところでこう言った事を愚痴っているのを聞いてコイツもそれを知ったのかも知れない。


「社長の未払い給料なんてどうせ一銭も無いぞ」

「大丈夫だ。恐らく金が無くても入手できる。トオル、私が欲しいのはね―

―」


 ――ウイリーの言った言葉は意外なモノだった。


「お前、そんなもの手に入れてどうすんのよ」

「いつか必要になるからだ。安心しろ。困るのは節美だけだ」

「まぁ、なら良いけど。取りあえずそれの約束をするには俺の約束も守って貰うぞ」

「良いだろう。私は今後、君の姉を殺さないよ」

「違う、俺が命令しない限りお前は喋るな」


 あと、あの人は速水透の姉さんだ。


「トオル、君如きが命令できると思っているのか? これは脅しではなく君の経験不足を思っての意見だ」


 やはりこう言った極端な約束ではダメか。


「だったら速水透の姉さんと光夜隣、一応社長と俺と……えっと対話をしている人間に危害を加えるな」

「ほう、その頭でよくそこまでの内容を思いついたよ。立派と言っておこう」

「いちいち小馬鹿にしやがってうるさいヤツだ。この内容で良いだろう?」

「あぁ、私もそんなに異論は無いよ。約束してあげよう。君との約束事を。私はこれまでも破った事無いだろう?」


 そう。皮肉な事にコイツは口約束を破った事が無い。俺のドジでほぼ毎回コイツの口約束を聞く羽目になるがコイツはそのほとんどを守っている。


 勿論、そんな事で俺は気を許したりしないが口約束に関しては人間よりも信用できる。それが逆に怖くもあるが……。


「その通りだよ。用が済んだらもう静かにして貰うぞ」

「あぁ、今の所何も無さそうなので今回は静かに休ませて貰うよ」


 右腕から音が無くなる。袖をめくって確認するが確かに右腕には至って普通だ。先ほどまであったと思われる発生器も無い。

 ただ、右腕の感覚はコイツが繋げないと戻らないので今は右腕の感覚が無い。そのためコイツが本当に静かにするのか分からない。隙を見て出てくる可能性もある。


 しかし、口約束はした。何も無ければ今晩くらいは静かなハズだ。いや、そうで無いと困る。もし、コイツが透の姉さんを殺したら俺は今度こそ命を絶ってやる。


 そして俺は光夜の元に戻る。


「待たせたな。もう大丈夫だ」


 光夜は律儀にもう反対方向を向いたまま何かをジッと堪えるように拳を握っている。


「あ、トオル。もう済んだのか」

「そう言ってるだろう。もしかしてちょっと見てみたいとか思ってたのか?」

「そんな事はないけど、心配だから一応確認くらいはいつか」

「心配ね~。まぁ、見たら絶好だけどな」


 光夜は危機感があまり無い危なっかしヤツだからかこう言った「絶対見るな」とか言うものを見てしまいたくなるのだろう。だから、好奇心を抑えるために拳を握ってムズムズしているのだろう。分かりやすいヤツだ。


 だが、それでも言ったことを律儀に守ってくれるのもまたコイツらしい。


「取りあえず、俺の心配事は無くなったよ」

「本当か? だったら勇さんの所に今すぐ行こう!」

「光夜さ、俺は本当に行くべきなのか?」

「何言ってるんだ。勇さんはトオルに会いたがっているんだぜ」

 

 そう、トオルに合いたがっている。だが、そのトオルは本当に俺の事なのか? コイツはきっと俺の事を言っている。しかしあの人の言っているのは恐らく俺では無い。


「あの人がどこまで知っているか分からないが今の俺を見て幻滅したらどうするんだ? 

 今回会ったせいで精神的ショックを受けたらどうする? それをお前は責任を取れるのか?」


 少し卑怯な言い方をしてしまったと思ったが、これは妥当な意見のハズだ。それにコイツだって分かるハズだ。俺の異質さを、人が近寄るべきじゃない恐ろしさを。


「幻滅なんてするはず無いだろう。例えそうだとしても俺がしっかり謝る!」

「謝って済んだら俺もこんなことを言わねぇよ」


 俺の意見に「ぐぅ」と歯を食いしばる。光夜は相変わらず猪突猛進気味だがそれで上手くいくこと何て滅多に無い。中学生にもなって冷静さが足りないヤツだ。


「だが俺はそれでも勇さんとお前の優しい心を信じている。そんな二人だからこそここで希望を見出せるハズだ!」

「希望、ねぇ。そんなものあるのやら」

「今はないかも知れないがそんな二人だからこそ作れるかも知れないだろう。俺みたいなバカには思いつかない。家族の愛の詰まった希望を!」

「お前、中二にもなってそんな恥ずかしい台詞よく言えるな」

「やめてくれ。今だんだん恥ずかしくなってきた!」


 だんだんと言うとおり、本当に顔が赤くなってきている。言葉と体がここま

でシンクロしているとは。全く面白ヤツだ。


 というか聞いているコッチも体が妙にムズムズしてくるから毎度こんな恥ず

かしい台詞を言わないでくれ。


「俺は正直期待するものなんて無いよ。だからお前に責任が取れる何て思っていない」

「えぇぇ。俺の事もっと信用してもいいのに」

「でも、まぁ、俺だってあの人の事は気になる。だから遠目から様子だけ見るだけなら……」


 そんなのでいいだろうかと思いつつ妥協案を提案する。

「あぁ、もちろんだ!! それじゃ、さっそく行こうぜ!!」

 提案は案外簡単に認めてくれた光夜はいつもの明るすぎる声色で走り出して

行く。

「ちょ、お前行きなり過ぎ」


 いきなり走り出すもので出遅れた俺も急いで走る。ただ、忘れてはいけない事だが俺の姿は小学四年生の速水透のまま。中二の光夜と小学生体型の俺とはスピードが違うため簡単には追いつけない。


「待て待て、お前は新幹線か? 頼むから悟られないようにしてくれよ」

「ン? 分かってるって任せろ!」


 本当に分かっているのやら。てか今の「ン?」って絶対聞こえていないだろう。

 

 そうして俺と光夜は人気の少ない道を走るのだった。


 ところで光夜はウイリーが出たときに色々あったせいで自転車を忘れている事に気づいていない。


 光夜の自転車は人通りの少ない道でポツリと置き去りになっていることを後になって気づく事になった。

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