プロローグ3
「ダメだ!!」
速水透は階段まで聞こえるように必死に叫び廊下の方を向く。
しかし、そんな叫びも無駄だった。
妹は既に階段を上り終えていた。
階段を上ると両親のいる部屋は見えてしまう事を思い出した透は再び胸がバクバクし始める。
「どうしたの? すごい声がしたよ」
妹は不思議そうな顔をしている。
「ダメだ。部屋に戻れ!!」
「どうしたの? お兄ちゃん」
何が起こったか分からず戸惑う妹に対して速水透は必死である。
この先は、この先にある家族の姿は絶対に見せてはいけない。まだ小学四年生の速水透でもそのくらい分かる。
もし、妹が両親のこの姿を目にしてしまえばきっと絶望してしまうから。
しかし、無垢な妹は速水透の声なんて関係なく近づく。
「ダメだ。ダメだダメだダメだ!! 絶対に来てはいけない!!」
「お兄ちゃんうるさいよ!! もう、どうしたの」
妹の無邪気な興味本位が速水透の方まで足を運ばせる。
妹が部屋に近づいた瞬間、
ベチャ
と音がした。
すると、父の首が指で動かすサイコロのように廊下まで鈍い音を立ててゆっくりと転がる。
「!?」
速水透は言葉を失った。もっとも見せてはいけないものが自らやってきた事に。
「キャァァァァァ!!」
妹も思わず声を上げてしまう。驚きのあまりにその場で腰を抜かしてしまったようだ。
しかしそれだけでは無かった。
今度は父の首から、目、鼻、口、耳等の穴があるところから黒い液体が流れる水性に思えたそれは父の首の中で暴発するようにあふれ出す。
父の首からフローリングの隙間をたどって黒いドロドロの液体が流れ、妹の方まで近づく。
「その液体から逃げろ!!」
速水透が妹に黒い液体が危険であることを警告した次には妹の真下には黒い液体の水たまりができていた。
そして、妹は黒い液体から出てきた無数の針に足を貫かれる。
「イヤアァァアァァァアアアアアアアアアア!!」
妹は味わった事も無い激痛に痛々しい声を上げる。
そして妹が動けない事を良い事に針は再び黒い液体になる。すると妹の足には無数の穴ができていた。
「お兄ちゃん。痛いよぉ」
「あぁ、……頼むよ。もう、こんなこと止めてくれ」
「痛いよぉ……痛いよぉ」
妹は痛々しく泣く。そんな妹のそばに走り左手で抱える。今の速水透には痛々し妹を抱える事しか出来ない。
泣き叫ぶ妹に寄り添う事しかできないと理解すると、速水透自身も声を堪えて泣いてしまう。
泣いている妹を抱えながら悲しんでいると妹の首が黒くなり直ぐに顔まで黒いのになる。
「え?」
泣き続ける妹は我を忘れていて自分の状態に気づいていない。
すると妹の顔の黒色は風船のように膨張すると、
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」
妹が「痛い」と叫ぶ毎に声が大きくなり皮膚が膨張する。
パチンッ!!
最後には内側から破裂した。
妹は皮膚が破裂した衝撃で意識を失う。後ろに倒れようとする妹を抱えていた透は何が起きたか分からずに居た。
皮膚が破裂して赤色になった妹から服がビチョビチョに濡れる程の血があふれ出ている。妹の目は既に焦点が定まっていない。
速水透も左頬が熱いと感じその部分に何かが付いている事に気づく。
妹の皮膚だ。妹の皮膚が血でこべり付いていた。
「何なんだよ一体」
速水透にとってこの惨状は未だに受け入れがたいものだった。
「あぁ……何だよこれは」
速水透は恐怖のあまりに妹を手放し、自らの頭を抱える。
その時、左手だけで抱えている事に気づき、ようやく右腕が無い事を思い出す。
「僕の右手がどうして?」
速水透は右手の行方を追う。何故か黒い液体になった右腕が様々なモノになり家族を殺した。
そんな右腕の行方を追うため視線を動かす。両親の部屋。父の体。母の体。廊下父の首。妹。
右腕の黒い液体は今どこなのか?
そもそもアレは何なのか?
何故、今生きているのか?
「血が……出ていない」
始めて右腕があった場所から何も出血していないことに気づく。
それどころか痛みも無い。
恐る恐る服の上から今まであった右腕と右肩境目を触る。しかし右腕が無いにも関わらず痛みが無く肉がちぎれたことでできる切断面も既に塞がっている。
「え、なんで!? どうなっているんだ!!」
この違和感に対して恐怖を覚えると供に明らかに自分の身に奇妙な何かが起こっていることに気づく。
「そんな事があり得るのか?
人間の腕が取れたにも関わらずそれが塞がっている?
ありえない。だって腕が無くなるなんてこんな致命傷であるはずなのに父さんや母ん、そして妹みたいに血も出ないし痛みも感じない。おかしい。マジでおかしい。何だよコレ」
ただ右腕がないだけの体に違和感を覚える。当然だ。右腕が無いだけでそれ以外何も人間的なものが無いからだ。
「そうだ。だってアレも、あの黒い液体は俺を襲わなかった。どうして? どうして?」
「それはお前だからだ」
誰かの声がした。それは家族の声で無い。聴いたことも無い声。かろうじて発音が分かる程度の低い声。
声がしたのは後ろから。後ろを振り向くとピクピク動く右腕がある。
「コイツ……俺の右腕」
右手の大きさ、太さどれも左手とそう変わりないことから自分の右腕だと思われる。それにこの状況で右手が無いのは自分だけだからこそ尚更に。
後ろにいる右腕は数秒ピクピクと動いた後に止まる。
すると右手の甲に人間のような目と口が内側から浮かび上がってきた。
「ヒィ!?」
「初めまして。君の事はカタカナでトオルと呼ばせて貰うよ。漢字は君にふさわしくないからね」
右手は落ち着いた様子で自らを語り始める。
「右手が喋った!?」
「その調子では話が進まない。君の下らない反応は無視させて貰おう」
右手は怯える速水透を他所に淡々と喋り出す。
「何だよコイツ……お前が家族を、父さんと母さんと妹を?」
「そうだ」
何の躊躇いもなくあっさりと答える。まるでその行為に何も感じていないようだ。
「……」
速水透は様々な感情がわき上がる。怒り、悲しみ、恐怖。きっとこれだけでは無い。しかし、冷淡とした奇妙な右腕を見てそれらの感情が一歩後ろに下がる。だからこそ喋る事ができず沈黙している。両親に怯えていたときとは違うまた違った恐怖をコイツに感じた。
「君の沈黙も主格の感情だ。否定はしない。だがもっと冷静に場を把握したまえ。
いいや、
するんだ!!」
右腕が目と口を大きく広げて怒鳴り声を上げる。
「う、うるさい…………」
いきなり大声を上げられてしまい恐怖のあまりに吃る。
何度も心の底で同じ言葉が繰り返される。「うるさい」が脳内をかき乱し混乱してしまう。
「クソクソクソ!! 黙れよクソが!!」
怖くて、ただ怖くて、叫ばずには居られなかった。
「良いぞ。あぁ、良いぞ。
獣として相手に屈しないために威嚇。私の見立てはやはり正しいか。だが、それぐらいはできないと困る」
右腕の目は瞳孔を広げたまま歓喜の声を漏らす。
「さて、トオル。先ほども言ったとおり君はカタカナのトオルだ。どうしてだと思う?」
「だから何言ってんだよお前は」
速水透はこのあと「いい加減にしろよ」と言うつもりだった。しかしそれを遮るように右腕は答える。
「それはね、君の体は既に人間では無いからだ」
「……えっ?」
「君の体は人間では無いのだ。でないと説明できないだろう。右腕が取れたに件と切断面が塞がっている件、それらの回答が「私は人間の作る義手」とでも思ったか? お前らにこれほど便利な義手を作る能力は無い」
その言葉は速水透、否、トオルにはもっとも分かりやすい話だった。
右腕が無いにもかかわらず血も出ず切断面も無く既に塞がっている。そして動く右手。こんなありえない事が起きているからこそ、こんな嘘みたいな話でも信憑性があった。
これが俺が速水透では無い事に気づいた話。
トオルと名付けられた理由は速水透では無いから。そんな理由で俺は自らをトオルと名乗るようにしている。
俺はトオルだ。しかしそれ以上は分からない。
それを知るためにこれからこの体で生きる事になる。
我が輩は猫である。名前はまだ無い。そんな言葉があるが俺の場合は逆だな。
俺は何者か分からない。だが、名前はトオル。
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