プロローグ2
速水透は居間から出て(半ば追い出されて)二階の両親の寝室に向かう。階段を一歩ずつ登るにつれ声がだんだんとうるさくなり耳が痛い。
速水透はこの日始めて喧嘩をする両親の元に向かう。今までは耳を塞いで距離を取っていたが、最近になって姉が仲裁に入ってくれるようになったから安心していた。しかし、こうやって自分自身の力で二人の喧嘩を止めないといけないとなると妹には悪いが正直行きたくない。
そんな事を考えているウチに階段を登り切ってしまう。階段を上りきった先に見える大きな引き戸の部屋が両親の部屋だ。尚、今も怒鳴り声は鳴り止まない。
二人の怒鳴り声を聴いて耳を思わず塞いでしまう。言葉にもしたくない暴言の数々が直接インプッドされるようで気持ち悪い。そしてそれが恐ろしくもあった。
いくら止めてと言おうが二人は止めてくれないだろう。先ほど思っていた期待も無くなってしまいそうだ。
怖くて右手が震えている。まるで生きている魚のようだ。気持ち悪く揺れる。
僕はこんなにも恐れているのか!
しかし、自分の意思に反して震えるそれを見て帰って冷静にならなければと思えた。
今も怒鳴り声は響く。それでも妹と約束したから行かないとだろう。しかし、それは建前で本当はこの雑音を消したかったからだ。
「父さん……母さん……」
恐る恐る扉を開ける。
電気も付けずにいる二人は全くこちらを見る様子も無く怒鳴り声を交わし続ける。そんな中で父が先に気づいた。
「透、どうした?」
先ほどとは声色が変わりいつもの優しそうな様子で話しかけてくれる。
「あの……そろそろご飯だから」
「あぁそうかごめんな」
優しそうな声で謝る父だったが、
「お前、子供達が可哀想だろう!!」
一瞬でその声色は先ほどの怒鳴り声に戻る。
「ふざけんなよ!! お前がチンタチンタラ喋ってるからだろうがよ!!」
母は怒鳴り声を間近で聴いて耳がギシギシする。
「はぁ!? お前が理解できないからだろう!!」
「理解できないのはお前だろう!!」
声を出そうとするが二人の怒鳴り声がうるさくて耳を塞ぐ。しかしそんなものは格好だけで無意味だった。
「お前がそうやって家事やってんのが当たり前だと思う態度をどうにかしろって言ってるがまだ分からないのかよ!!」
「思い込みもいい加減にしろよ!! どこがそんな風に見えるんだよ!!」
「子供みたいに帰ったらソファーに座って何もしないで、前にも同じようなことで喧嘩しても何も改善してねぇじゃないかよ!!」
あぁ、やめて。僕の悪口を言わないで。
速水透は「子供みたいに」と言われて自分たちの事も言われているような気がして溜まらなく、心の中で何度も謝った。
「ソファに座って何がいけないんだよ!! 改善しろって文句ばっかで何も提示してないじゃないかよ!!」
父は母の苦労を理解して欲しいと言っているのに理解しようとしてくれない。そのことに怒っているの母の気持ちも分かるが父も仕事が大変なのを知っている速水透にはそんな事を言えるわけが無い。少なくとも怒鳴っている二人に対してはそんな事を言えたモノでは無い。
あぁ、もうこんな喧嘩は止めて欲しい……
そんな思いに答えてくれるはずもなく二人の間で立っている速水透は怯えることしかできない。
速水透の人生において、その時ほど自分が無力に感じた事は無い。そしてそれがとても怖かった。
そんな風に怖がっていると右手がまた震える。また魚のように。
ヌルッと、
ボタッと、
…………ボタッと?
右手に、否、右腕に違和感を覚えた。
二人の怒鳴り声で聞こえないが確かに変な音がする。自身が恐怖のあまりに生み出した幻聴だろうか? 分からない。しかし、たった一つ正常に機能している前提で不気味な感覚を覚える。
左手で右腕を触るが痛みを感じたりするわけではない。ふと、パーカーの袖をまくってみた。
子猫が小さく鳴いたような奇妙な音が聞こえた。どうやら右腕の関節辺り、一本の黒い線がある。音もそこから聞こえる。
それは開いて一つの瞳孔になる。
すると目玉は笑みを浮かべたように三日月の形を作る。
右腕はヌルッと伸びだしやがて黒いドロドロのモノが床に飛び散る。そしてそれを見てから右腕を確認すると既にそこに右腕は無い。
「えぇえ、え、えっ? なんだこれ」
腕から流れるドロドロとした黒い液体は暗くて見えないが何かを形成している。それと同時に父と母が床の違和感に気づき始める。
「なんだ? 床がやけに」
下を振り向いた父は黒い液体から出てきた小雀によって、喉を貫かれた。
文字通り貫通した。
当然血は流れる。しかしその血を塗り替えるように黒い液体が父の首まで羽音を出して登り、首を貫いた雀と交わり黒い液体として集まる。
それが父の首を囲うと、一瞬にして大きな生物のたくましい手になって握りつぶす。その手が開くと肉球には針が浮き出ていて父の首はボテッと落ちた。
「え、父さんが……母さん!?」
母の方を振り向くと母の腹には蛇の群れが居る。
蛇の群れは服を噛んでいると、蛇の顔がピラニアになった。
そしてバクバクと餌を貪るように腹を食いちぎる。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
皮膚がちぎれると同時に母の絶叫が部屋にこだまする。
右腕のない速水透は急な事でその場から動くことができない。
ただ、どうすることもできない状況で涙を流すことしかできなかった。
脳だけは働いているおかげで目の前で何が起きているかだけは分かる。
父の首はちぎれて意識を失った母は今にも無数のピラニア蛇に腹を喰い裂かれている。
ピラニア蛇が消えた頃になると母の腸が見えた。腸は辛うじて繋がってはいるがうどん一本でつなぎ止めているような状態であまりにもおぞましかった。
速水透はそれを見て吐き出してしまった。
「うぅぐばぁ! ……はぁはぁ……ダメだ! ダメだダメだダメだ!!」
速水透は拳を握り必死に吐き気を抑える。
「これは、これは両親なんだ!! 吐いては、いけない!!」
この地獄絵図を見て「気持ち悪い」と思ってはいけない!!
速水透は目の前の両親に決してそんな事を思ってはいけないと何度も何度も拳を握る。そして何度も何度も荒い息を抑えるために深呼吸をしようと試みる。
そして数回に過呼吸を終えてようやく呼吸がまともになる。
「お兄ちゃん?」
今にも発狂しそうな状況で妹の声がしてハッと我に戻る。
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