第六章 とりかご

寺島はげほっ、げほっと猛烈に込み上げる咳で夢から目を覚ました。


 ――隣に、雅はいなかった。

今はもう朝食も済ませて、部屋で勉強している時間か。


 喉がやけに痛むのは、昨日動揺して加湿機能付き空気清浄機の電源を入れ忘れたせいかもしれない。


寺島が枕元に置いたスマホに手を伸ばす。画面に表示された日付は五月五日の木曜日。ゴールデンウィーク最終日は五月八日だ。


とりあえず小さく息を吐いて胸を撫で下ろした。


「明日は創設記念日かぁ……ほんとなら普通の平日だもんな」


 カーテンも閉め忘れたようで、窓からの朝日が異様に眩しい。寺島は絞った雑巾のように顔中に皴を寄せながらベッドから重い身体を降ろした。


 スマホに表示される時刻は八時四十五分。普段より目覚めが早いようだ。


寺島は着替えを済ませた後、廊下に出て古時計に触れると、普段通り洗面台で顔を洗って、歯を磨き、寝癖を直した。


広間は閑散としていた。修一は恐らく部屋でパソコンに向かい仕事をしているだろう。野々宮も外で庭の手入れをしているに違いない。


自分だけが暇な状況にちょっとした罪悪感を覚えながら階段を上ってぐっと伸びをすると、コーン、コーン、と鐘が鳴るのとほぼ同時、玄関の方で扉の開く音がした。


広間に足音が近づいてくるのが分かる。屋敷の人間だとは理解しつつも、寺島は少しだけ身構えた。


「うわ、びっくりした! あ、あれ、てらしまきゅん⁉」


 広間に入ってきたのはエリスだった。服装は変わらずメイド姿で、キャリーケースを引いていた。


寺島を見ると一瞬相当驚いた顔をしたが、すぐに前回会った時のにこにこ笑顔に戻り、もしかしてこの人はメイド服で旅行に出かけたのかと逆に寺島の顔が引き攣った。


「……おはようございますエリスさん。実は色々とあってゴールデンウィークの間、この屋敷でお世話になってるんです」


「ええ!」

エリスが両手で口元を押さえる。


「それならもっとプレビオスリーに知りたかったですよ! ゴォルデンウィークの間だけですかぁ?」


「はい。あとちょっとですね……はは」


 ゴールデンウィークの発音がやけに良い。

 プレビオスリーは事前にって意味か。エリスは拗ねたように唇を尖らせたままキャリーケースを置いて、階段を上がってきた。


「もしかして寺島きゅんも、この時計がライクなんですか?」


「……? ああこれですか。俺も好きですよ。なんかエモーショナルな感じで」


 偶然、日本時間を知らせる大きな振り子時計の前に寺島は立っていた。慣れないながらも英単語を使っての会話を試みる。合っているのかは分からない。


「最近は時計もデジタルばっかりですから、文字盤は案外見る機会が少ないですよね」


「雅さまのおじいさまが亡くなって、大体5年ほど前にこの時計は屋敷にきたんですよ。でも、この時計もうオールドだから、毎日くるくるってねじ巻きしないとだめなのよ」


「そうなんですか?」


寺島は、この時計がねじ巻き式だと知らなかった。


「普段はのののが毎朝、回してるんですよ。ほら、2つホールがあるですよ」


 見ると、確かに文字盤の5と8の数字の上に穴が2つある。代々受け継がれている時計など、考えて見れば充電式でも電池式でもあるはずのない時計だ。


「ミーは残念ですよ。寺島きゅんが今日で本当に帰っちゃうなんて。ミーも寺島きゅんとトーキングしたかったですのにぃ」


 エリスは青い瞳を瞑って、拒否をするようにポニーテールにしたブロンド髪と白いフリルのスカートを横に揺らした。

野々宮と違って、エリスの本物感あるメイド姿もまた見応えがある。


 ――と、そんな悠長なことを考えていた寺島は自分の頭の上に疑問符を浮かべた。



「そういえば、エリスさんってゴールデンウィークの最終日に帰ってくるはずじゃ……?」


 エリスを見送った時、野々宮が耳打ちをしたはずだ。

――エリスはゴールデンウィークの最終日に戻ってくると。


「はい。今日は最終日ですよ? あれ、寺島きゅんも今日で帰っちゃうのではないですの?」

 エリスがきょとんと小首を傾げた。


「え? 違いますよ。だって、まだ日曜日までゴールデンウイークはあるじゃないですか」


 今日は五月五日の木曜日。明日六日の金曜日に金が城学園高校の設立記念日を挟んで、七日八日と土日が続く。ゴールデンウィークの最終日は八日であるはずだ。


「そういう見方もありますね! でも、明日は普通の平日ですよ。実は今日でゴォルデンウイークは終了ですっ。七日、八日の週末はゴォルデンウイークに含まれませんですよ!」


「……え? 今週末はゴールデンウィークに含まれない……?」


「そーですよ! 社会では明日からまた変わらぬ日常がやってくるですね!」 


「……まさか」

寺島は躓きそうになりながら木製の廊下を駆け出した。

「そんな馬鹿な」


 ノックは省略して雅の部屋の扉を開き、中に入る。


 ――雅はいない。


 ベッドの布団を剥いでも、クローゼットを開けても、人の姿は無い。


「どうしたんです寺島きゅん! 何事ですの?」


「クソッ! しまった、勘違いしてたっ!」


 野々宮の部屋にも誰もいない。

修一の部屋にも誰もいない。

ドライバーの加藤の部屋も誰もいない。

瀬崎憲明の部屋にはもちろん誰も。

トイレも、浴室も、物置部屋も、キッチンにも、表の庭にも、裏庭にも――


誰もいない。雅が攫われた――。



 ゴールデンウィーク最終日――ねじ巻き式の振り子時計――瀬崎憲明の死亡推定時刻三時から三時半――雅の散歩時間三時から三時半。


「日本時間を知らせる時計は一つ。鐘の鳴った時刻が三時ではなく、ずらされていたら……」


 ――その場合、アリバイは一切関係ない。



「そういうことか………。全部、繋がった」


 瞬間、寺島は腰を低く落とし、玄関へ向かって長い廊下を駆け抜けた。後ろのエリスが何か寺島に向かって言っているが、何も聞こえなかった。


『死にたくなければ、K24の相談係を頼れ』


 もし、自分が一連の出来事にパーツとして組み込まれているのだとすれば、雅が連れ去られた場所は一つしかない。それは寺島と雅の共通点であり、出会いの場所。

 

金が城学園高校しかない。


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