第四章 過去と提案②

その日の夜。


修一が会社から帰宅し、寺島、雅、野々宮、修一、瀬崎家専属ドライバーである加藤の五人はシャンデリアの薄明りの下、楕円形の巨大テーブルで食事を共にした。


そして時刻は八時を過ぎ、寺島は再度テーブルに五人を集めた。


「お手数おかけしてすいません。集まって頂きありがとうございます」


 加藤と修一を含め、既に五人は《催眠術師》による脅迫状の件について知っている。寺島が収集を掛けた時点で、殺害予告絡みの話だとは全員が察していた。


「俺から皆さんに二つだけ提案があるんです」


「提案?」


 雅が首を捻った。


「まず一つ目に、俺とドライバーの加藤さん以外の外出を、明日以降禁止したい」

 寺島はなるだけ柔らかい口調を意識して、全体に視線を向けた。


「修一さんも憲明さんが亡くなって、仕事があるのは重々承知です。ですが出来ればリモートワークに切り替えてもらいたいです」


「その外出を禁止するという提案の目的は?」


 修一が尋ねた。怪訝に思うというより、他意なく提案の意味を知りたがっている表情だ。


「憲明さんが亡くなった時、屋内には憲明さんだけでした。相手は脅迫状の通りに襲ってくるとは限らないし、屋内には監視のためにも常に多くの人がいて欲しい」


瀬崎憲明の名前が出ると、場は針の穴に糸を通す時のような神経質な緊張感が走る。


「それと考えたくないですが内通者がこの中にいるという線もあります。外出時は誰の目も気にする必要がないため、外部の人間と連絡が取れますから」


 テーブルを囲んだ五人は微動だにしなかった。


「君の言う通り、殺害予告に書いてある日付など『行けたら行く』くらい当てにならないものだ。それに私も考えたくなかったが、内通者がいるという可能性は捨てきれていない」


《催眠術師》は寺島の前に一度現れて以降、接触を図ってきていない。しかし、殺害予告が実在する以上、雅の命が狙われているのは揺るぎない事実。


「はい。しかも内通者には、無意識のうちになってしまうこともありますから」


「無意識って?」


雅がもう一度小首を傾げた。


「憲氏さんは世界を股に掛けるWSZグループの最高取締役。超が付く有名人だ。人柄は知らないが、この不景気の時代で経済を頂点で引っ張る経営者は、誰に恨まれているか分からない。もしかすると、修一さんが連絡を取っている顧客や社員、ライバル企業の社長が今回の件に関わって、修一さんが無意識に情報を与えているかもしれない」


「でも……そんなことあるのかしら」


「例えば、簡単に修一さんが会社にいる時、野々宮さんと電話しているとする。この場合、修一さんは家におらず、野々宮さんも聴覚が奪われて、周囲への注意力は多少落ちるはずだ」


「近くで私を監視している者が会社にいるとすれば、実行犯と連絡を取り合い、この屋敷に侵入する隙は突きやすくなるということだな?」


「はい。雅を殺害できる可能性はぐっと上昇します」


 寺島が真剣に言い放ち、修一は固唾を呑んだ。


瀬崎憲明が亡くなった時の《催眠術師》の侵入方法、殺害方法は判明していないが、寺島の前に本物の催眠術師が実際に現れたことで脅迫状は真実味しかない。


「そこで、憲明さんが亡くなった時に、関わりのなかった俺が日常品や食料品の買い物は済ませます。スーパーやコンビニは遠いので、加藤さんにお願いして車で移動しますが」


 ドライバーの外部との接触は寺島が監視を行えば問題はない。


「将生君、それで、もう一つの提案は?」


 雅が静かな声で聞いた。寺島の提案とは二つで一つ。

 両方の協力を得てやっと完成する。


「二つ目の提案は、パソコンからスマホ、一応腕時計まで全てこの屋敷にある外部と連絡できる電子機器類を夜の数時間だけ俺に預けてほしい。腕時計も最近は通話機能が搭載されているのが多いですから。勿論、寝る前には返却します」


「外部との連絡と言えば、メールか通話が普通だからな」

 修一が頷き、これは話が早いかもしれないと寺島も次の言葉を紡いだ。


「とはいえ、電子機器には個人情報が含まれてる。他人の俺に手渡すのは簡単じゃないと思う。ただ、できれば一時間でもまとめてチェックさせてもらいたい」


 何もせず限りある時間を過ごすよりは何か些細でも行動に移すことが大切だ。


「電子機器からの証拠の削除は簡単だと思うが、それを君は見破れるのか?」


「いいえ残念ながら。気休め程度にしかならないです」


 もし内通者が存在するとして、メールや通話の履歴を削除しないはずがない。寺島は修一に正直な返答をした。ただ修一の表情を見る限り、それが彼の信頼をより強めたように見えた。


「強制はできませんけど、どうですか?」


 眉間に皴を寄せ、不安げに四人を見渡す。この時点で『強制はできませんけど』と付け加えることで、寺島は意識的に『拒否』への選択肢は打ち消していた。


「これ、私のスマホよ。後で、パソコンとスマートウォッチは部屋に持って行くわ」

 最初にスマートフォンをテーブルの上に置いたのは雅だった。


「私が、将生君にお願いしたもの。なんでも協力する」

 雅は膝元で拳を小さく握り、ヘーゼル色の優美な瞳で寺島に目配せした。


「私もノートPCと腕時計を後で部屋に持って行こう。デスクトップPCはいつでも部屋に来て自由に触っていいぞ」


 次に修一がテーブルに自らのスマホを置いた。


「明日から仕事を全てリモートに変更することも約束する」


「ありがとうございます」

 これで修一と雅が提案を受け入れた。――あと二人。


「野々宮も、寺島さまの提案を全て了承してこちらのスマートフォンをお預け致します。タブレトットもロックを解除してお部屋にすぐお持ちいたします」


 無表情のまま野々宮もテーブルの上にスマホを置き、続くようにドライバーの加藤も静かに自らのスマホをスーツのポケットから出した。寺島の提案に誰も反対を示さず、十分程度で滞りなく話は進んだ。


 ――後は、これに気づいてもらうだけだ。


 明日は五月一日。ゴールデンウィーク最終日が八日だとすれば、残り八日。


        *


 日々は平穏に過ぎていった。

 五月二日の平日は学園を休み、日付は五月四日になった。


 明後日――六日の金曜日は金が城学園高校の創設記念日であり、八日の日曜日がゴールデンウィークの最終日である。


 五月一日から今日まで日用品や食料品などの買い出しは寺島とドライバーの加藤で行い、他の雅、修一、野々宮の三人は一度も外出をしなかった。


 毎夜、屋敷で暮らす全員の電子機器を集め、メールから通話履歴のチェックまで出来る範囲で寺島は確認を行ったが、言うまでもなく怪しげな痕跡は見つからなかった。刻一刻と迫る殺害予告の日に、緊張感が走る。


 午後九時を過ぎ、寺島はスマホを片手に、瀬崎家に代々受け継がれてきたという壁に掛けられたアンティークの大きな古時計を眺めていた。


 喧嘩別れした後、幾度となく雀に連絡を繰り返してきた寺島だったが、彼女からは折り返しの電話もメールの返信すら返ってこない。


 食事は御用達である出前の置き配達サービスを頼んでいるだろう。位置情報アプリも正常に作動しているので安否の心配はない。


「あれ、将生君もうお風呂入ったの?」


 扉が開く音がして振り向くと、シルク素材の淡いピンク色をしたパジャマを着た雅がタオル片手に立っていた。髪はしっとり濡れて、ミルクティーベージュの髪が艶めいている。


「さっき入った。今は野々宮さんが入ってるぞ」


「私が上がったばかりなのに、なに随分早いわね。ちゃんと洗ってるの……?」


「なんだその訝しげな目線は……。本当は毎日一番最後で良いんだけど、掃除も兼ねるから私が最後に入りますって野々宮さんが引かないんだよ。だから長風呂するのは申し訳なくてな」


「そういうことね。私もたまには掃除を手伝うのだけれど、野々宮って完璧主義だから私が掃除した後でも自分でもう一回掃除しちゃうから意味ないのよ」


 濡れた毛先をタオルで拭きながら、雅がくすっと笑う。


「つーか、露天風呂があることにも普通に驚いたけど……」


「何を言ってるのよ。家族では父しか使わなかったけど、一軒家では普通でしょ?」


「……待て。全然普通じゃない。何がこじんまりとした家だ。俺からしたら大豪邸だぞ」


 雀の通帳にもこれほどの家を何軒も建てられる数字が羅列されているのだろうか。


「将生君、もしかして時計が好きなの? 最近、この時間になると扉の開く音がするから」


 ふわっと濡れた髪から椿の匂いを漂わせ、雅が古時計の前に立つ寺島の隣に並んだ。


「こんなに見事な振り子時計を見たことないから、目に収めとこうと思ってな」


 朝が苦手な寺島でも、響き渡る鐘の音で瀬崎邸に来てからは強制的に毎日朝九時に目を覚ます。この屋敷にいる間はもう一度鐘が鳴る三時を過ぎるまでは昼寝も出来ない(しないが)。


「父も夜はこの時計をよく見ていたわ。亡くなった日の前日も……。そういえば、将生君どうだった? なにか数日間で分かった事はある?」


 殺害予告の日は着々と迫ってきている。平常心を保てなくても何も変ではないが、雅の声音は穏やかな波のようで、とても柔らかい言葉遣いだった。


「いや……正直何も。《催眠術師》への手掛かりは全くなかった」


「そうよね。父が亡くなった時も《催眠術師》は殺害予告の他に何も残さなかったもの」


 寺島は更なる混乱を招くだけだと考え、不気味な緑髪の《催眠術師》と出会ったことを雀以外には明かしていない。雅を攫った男二人が《催眠術》に掛けられて操られていたという事実だけ理解していれば《催眠術師》への危機感は保たれる。


「でも、大丈夫だ。安心していい」


 無数に並ぶ時計から目を逸らず寺島が言った。雅は寺島の表情を覗くことは出来なかったが、彼が自分をただ安心させようと無責任に言ったような気はしなかった。


「うん……。私は……将生君を信じるわ」


「雅は俺が守るよ」


「――――え?」


 まさかの直球を投げてきた寺島に思わず雅は困惑し、ば、ばかじゃないのと、小さく呟くと横目で寺島を確認しながら赤くなった頬をタオルで隠した。


「どうした? なんか俺、変なこと言ったか?」


 雅の気持ちも知らず真顔で蟀谷を掻く寺島には、雀に数百時間以上見させられているはずの恋愛ドラマが1ミリたりとも効果を発揮していない。


「大したことじゃないわ。私もべ、別にあなたのことなんか何とも思ってないし」


「は、はぁ……」


「ちょっと、わ、私、髪を乾かして歯を磨いてくるわね!」


 入浴したせいで顔の火照っている雅は、ぎこちない動きで階段を下ってゆく。


「ご勝手に……。俺は先に寝ることにするよ……」

 寺島がそんなぎこちない雅の背中に向けて軽く手を振ると、雅の足が止まった。


「え……あ、寝るのね……」

「ん? 雅は寝ないのか? いつも早寝早起きだと思ってたんだが」

「私ももちろん寝るわよ?」


 少しだけ雅の声が上擦る


 「…………その、でも」

 なんだか歯切れが悪い。


 寺島が続きを待っていると、階段の途中に立つ雅は何かを決心したように落ち着きなく揺れていた体を止め、深呼吸をして肩の力を抜くと勢い良く振り返った。


「あ、あとで……部屋に行ったいいかしら」



            *



月明りが夜空を照らし、東京では滅多に見られない星屑が窓の外で瞬いている。


「ねえ、こっち向いたら殺すから」

「……そんなこと言われなくても分かってるよ」


 さっきの会話……、修一さんには聞こえてないだろうな……。


 布団に包まれた身体が昨日より暖かい。客室に用意されたクイーンサイズベッドは一人では十分すぎる大きさにあって、密着させずとも二人で楽々寝られる。


しかし、この瀬崎邸でまさか男女の添い寝を経験するとは寺島も思わなかった。決して如何わしい気持ちは――。


 事態は数分前。


ベッドに腰を掛けて銀色の月を見上げていると、控えめに扉を叩く音がした。


寺島が縮こまった心臓を抑えながら取っ手を回すと、両手で枕を抱えた雅が唇を噛んで瞳を泳がせていた。その後、幾つか会話を交わしたが何も覚えていない。


「将生君さ」


背を向け合ったまま、雅が名前を呼んだ。


「私が攫われた時、何で助けてくれたのか聞いたら『K24の相談係としての肩書きに関わる』って言ったけれど、あれ嘘でしょ?」


「どうしてそう思うんだよ……」


 本当に唐突な質問だった。


「だって、相談係のプライドは将生君にないでしょ。あったら学ランで学園をうろつけない」


 言い当てられては反論できない。

 寺島は切れ長の細い目を瞑り、布団を肩まで掛ける。


「……何度も言うように、あれはK24の相談係ということを隠すためだ。確かにプライドは無いし、K24の相談係として俺が特別だと思ったことはないけど……」


 白い羊の群れの中に、ぽつんと黒い羊がいれば悪目立ちする。秘密を隠すための学ランも考えものだ。寺島がそんなことを思っていると、雅がため息にも似た吐息をついた。


「将生君にとって、K24は特別な存在……?」


「ああ、そりゃ特別だよ。命の恩人だからな」


 いつにもなく弱々しい雅に、寺島の声のトーンも自然と下がる。


「なら……もしだけれど、K24が《催眠術師》に襲われたら、どうする?」


「必ず助ける」


 そう寺島は簡単に言い切った。そんなことは寺島にとって考えるまでもない。雀が寺島将生の生きる意味だ。雀を守れなければ、自分は相談係失格だ。


「……でも、どうやって?」


「どうやってでもだ。例え死んでも俺は自分の『主』を守る。それが契約だからな」

 寺島将生にとって、飛鳥馬雀は自分の命より重要な存在。彼女を無くせば明日は来ない。


それを聞くと、雅はそっかと蚊の鳴くような、かすかな消え入る声で呟いた。


「なんだよさっきから……。どうかしたか?」


「ううん。ほら、実際、私たちって数日前に出会った他人でしょ? 将生君は私の都合で巻き込まれているだけで。本当は迷惑なんじゃないかなぁ? とか思ったりしたの」


 雅は誤魔化すようにえへへっと笑った。その下手くそな笑いは、普段クールに見せる雅の印象とは真逆に感じられ、それがなぜか胸を痛ませた。


 一瞬静寂が走る。


 お互い背を向けたままだったにもかかわらず、寺島は後ろに腕を伸ばし、体側に沿って置かれていた雅の右手に寸分の狂いなく寺島は自らの左手を触れさせた。


 暖かいベッドに身を埋める雅の手は、氷のように冷たかった――。


「不安を隠す必要はないんじゃないか? こんな状況で気丈に振舞える方がおかしいと思うぞ」


 夜風が木々を揺らし、冷たく窓に吹き付ける。自然に囲まれた丘の上に建つ瀬崎邸は、電気自動車の往来する音すら聞こえない。


 それからは徐々にすすり泣く音が聞こえて、いつしか彼女は声を上げて噎び泣いていた。


「将生君、私、私死にたくないっ……。まだ友達もまともにできてないし……、本当のデートも、学園だってまだ卒業してないものっ……」


 雅の胸に抑えようのない熱い感情が押し上げて、止めどない涙が頬を伝った。


 雅は寺島の前で泣き声すら聞かせたくなかった。でも、隣に寺島がいると思うと、不思議と安心して感情を剝き出しに泣いてしまう。


「そうだな。まだやることがたくさん残ってる」

「まだだよ……、まだ私は生きたいよっ…………!」


 雅の震えが左手を通して、全身に伝わる。雅は痛いくらいぎゅっと寺島の手を握り返して、寺島もそれに応えるようにぐっと強く握った。


 明後日六日は金が城学園高校の創設記念日である。


ゴールデンウィーク最終日である五月八日の日曜日まで、明日から数えて残り三日。


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