第三章 殺害予告とK24④
三十分ほどして、正門に白塗りのロールスルイスが一台到着した。
黒塗りの高級車に紛れる白塗りのロールスルイスは金が城学園高校でも普段でも一際目立つはずだ。
運転席に座っていた加藤は、立派な白髪を生やした英国紳士風の男性で、年齢は五十歳を過ぎた辺りだと見受けられる瀬崎家専属のドライバーだった。
三人は車内に乗り込み、助手席に座った野々宮は学園に三人の早退連絡を入れた。三十分ほど自動補助運転機能を駆使して車を走らせると、丘の上にある広々とした豪邸に到着した。
近隣に住居は無く、丘から見下ろす形で瀬崎邸は建造されていた。辺りは自然に囲まれており、レトロな薄橙色の壁が日に照らされて淡く映える。
「ザ・ヨーロッパのお屋敷って感じだな。俺の家とは別物だ……」
目の前の豪邸に圧倒された寺島が嘆く。
流石は『K』、『純金』から選ばれた特別な存在だ。
「将生君、行きましょう」
身長より高い鉄製の扉が開き、雅に導かれるがまま石畳の階段を上る。玄関前、雅が隣に少しずれて寺島を先に入れるようドアを開きかけた時――
「あ、雅さま」
後ろで鉄の門を閉じる野々宮が、何かを思い出してこちらに振り返った。
「言い忘れておりましたが、今はまだエリスがおられま――」
「え、エリスがまだいる⁉」
野々宮は忠告しかけたが、その時にはもう既に玄関のドアは半分以上開いていた。屋敷の内側から地響きのような足音が着々と迫ってきている気がする。
「な、なんだ……? なんか大型のペットでも飼ってるのか?」
――すると、玄関の目の前に立っていた寺島の視界に、奥の内装ではなく覆いかぶさるように正体不明の影が飛んできた。え、飛んで……?
「みやちゅああああああん! もしかしてエリスのお見送りのために早退してきたのおおお!」
「うわッ! なんだこれ! ――うぐっ!」
後方に跳ね退く寺島だったが、影を避けきれなかった。
突然、関節にぐっと重みが圧し掛かる。寺島は体勢を崩しかけるも、歯を食いしばってその場で持ち堪えた。
柔らかく心地の良い丸みを帯びた何かが両頬を包みこんで、腰辺りに巻き付いた何かに触れると温かくすべすべとした触り心地だった。視界は真っ暗闇で呼吸は苦しいが、不思議と嫌な気分ではない。
「エ、エ、エリス! 私はここ! その方から離れなさいっ!」
「え……? あれ、みやちゃま……。じゃあこの御方は?」
「その方は客人ですよ! 早く降りなさい! 呼吸が出来ないでしょ! ほら、か、顔が!」
「あらほんとだ。ごめんなさい。ゲストさまとみやちゃまを間違えたようで」
ふっと体が軽くなった。視界が晴れて寺島の前に現れたのはメイド服姿の女性。寺島から降りた彼女は一応謝ってはいるけれど、悪気の一切感じられない笑顔でにっこりと微笑んだ。
「どうもメイドのエリスですよ」
「初めまして、あの、寺島将生と言います」
カチューシャを付けたブロンドの髪と青い瞳、若干アクセントの拙い日本語が特徴的で、フリルのふわっと広がったスカートから伸びる白い脚線美は自然と視線を吸い寄せる。
高い双丘がシャツのボタンを圧迫しており、意識せずとも寺島は顔面を包んだ柔らかい物体の正体に納得した。大型のペットじゃなかった。
「野々宮から先ほどゲストが来るとは聞いてましたけど、まさか男性だったとはエリスサプライズドゥですね! 寺島きゅんはみやちゃまのボーイフレンドさんでしょぉか?」
「……寺島きゅん? み、みやちゃま? 彼氏ではないですけど……」
エリスは青い瞳をきらきらさせて躊躇なく寺島の両手を掴む。独特な語り口は随分昔の外国タレントを想起させ、寺島は久々に苦笑いした。
「あ、でも寺島きゅんは金が城の生徒なんですね! あ、キャリーケースを持ってるのは今から旅行に行くんですよ! いいでしょ! バケーション羨ましいでしょ!」
「エ、エリスさんは年上の方なんですね……」
ぐいぐい迫ってくるエリスの勢いに負かされ、寺島は後退りする。珍しく顔を引き攣らせる寺島の隣にすっと野々宮が現れ、寺島にだけ聞こえる小声で耳打ちをした。
「寺島さま。こちらはメイドのヴィエガド・エリスでございます。彼女の性格は自由奔放、並びに初対面の方にも馴れ馴れしく接することが不幸を奏することがございます。それと、エリスは自分だけの呼び名を付ける癖があります」
「功は奏さないんだな……」
「彼女はこれからイギリスに旅立ち、こちらにはゴールデンウィーク最終日に戻って参ります」
「そういうこと……。なら、殺害予告の日と同じわけだ」
寺島も野々宮が聞き取れるぎりぎりの小さい声で囁いた。
「ちなみにですが憲明さまがお亡くなりになった時も、彼女は相当落ち込んでしまい仕事に復帰するのに時間が掛かりましたので、まだ殺害予告の件について明かしておりません」
殺害予告の件を現段階で知っているのは、寺島と雅とエリスのみだ。
寺島は小さく頷く。
「……あの、気になったんだけど野々宮さんはエリスさんに何て呼ばれてんの?」
「私はのののです」
「のののッ!」
呼び名が相当な破壊力を有している。公共の場では絶対叫ばないでほしい。
「ほらエリス、早くしないと飛行機間に合わないでしょ急ぎなさい!」
「えー、みやちゃま~エリスもガイダンスさせてほしですっ」
「だめです。あなたがいると話が進みませんし、乗り遅れたら知りませんよ」
「みやちゃまコールドです。ミーの方がお姉さんなんですよ?」
「関係ありません! ほら、車も待ってますよ」
「もう、……はーい」
背中を押す雅に、エリスは分かりやすく肩を落として唇を尖らせた。
「みやちゃまからもコールしてくれないとアングリーですからね!」
馴れ馴れしいというより人懐こい犬のような性格で、特に雅に懐いているようだ。
「じゃ! 寺島きゅんもミーが帰ってきたら沢山トーキングしましょうね!」
石畳の階段を下りたエリスは最後、寺島にウインクをお見舞いして軽やかに鉄の門を閉めた。停車していたロールスルイスが静かに出発し、寺島が瀬崎邸にやって来たのと入れ替わりでエリスは空港へと向かった。
エリスが帰ってくるのはゴールデンウィーク最終日。つまり雅が殺害予告されている日だ。今日が雅とエリスの最後の日にしてはならない。
「将生君、行きますよ」
ふんっと小さく息を吐いて玄関に入ってゆく雅の後ろについて、寺島も瀬崎邸の中に足を踏み入れた。雅のご機嫌が若干悪い気もするが、寺島がその意味を知る由もなかった。
*
一階――
玄関ホールを渡ると、瀬崎邸の広間が現れた。中央に設置された楕円形の巨大テーブルの上方に、シャンデリアが二つ垂れ下がっている。
ブラウン色の革製ソファーが囲む応接間が隣にあり、巨大テーブルを挟んだ向こう側の木造階段が二階へと繋がっていた。
「すごい時計の数だな……」
寺島が注目したのは、階段の壁に沿って掛けられた無数の時計だった。ただ、どの時計も針がバラバラに向いており、時間の流れに逆らいながら自由に意思を持って休憩したり進んでいるように見える。実用性はあるのだろうかと眺めていると、雅が隣に並んだ。
「実は父が世界の時計を集めるのが趣味だったの。どれもWSZグループが拠点を構える国の時間を表していて、間違った時間の時計は一つもないのよ」
「へぇ、実用性はあったのか。これが日本の時間を示す時計か?」
寺島が指したのは、中でも特別年季を感じさせる大きな振り子時計。チクタクと心地よい音を響かせながら時を刻んでいる。確かに集めたくなるのも分かる気がした。
「それは瀬崎家に代々受け継がれてきた時計で、何度も修理を重ねて今も動き続けてるの。午前9時と午後3時に時刻を知らせる鐘の音が鳴るわよ」
「他の時計は鳴らないのか?」
「この時計だけね。父は休みの日にまで時間を気にしたくないからって、休日はこの時計が知らせる鐘の音だけを聞いて生活していたわね」
二階――階段を上がって、一番左側にあるのが瀬崎憲明の自室だった。
「この部屋は父が亡くなってからも家具の移動は行っていないの」
壁際にある棚には隙間なく紙の本が詰められているが、他には窓際にシンプルなオフィスチェアとウッド調のデスク、それからベッドが置かれているだけで、寺島の想像よりも随分簡素な部屋だった。世界的な経営者は物を多く持たないと記事で見たけど、このことか。
「親父さん、時計を集めるのが趣味だったみたいだけど、他の趣味は何かあった?」
何となく手元に一番目に付いた本を取って、寺島が雅に尋ねた。
古い心理学や催眠に関する書籍が多いのは、《催眠術師》に殺された瀬崎憲明の一種の皮肉にも感じられた。部屋に埃すら溜っていない。瀬崎憲明が亡くなった後も毎日のように掃除はしているらしかった。
「うーん、スキーとか釣りとかサーフィンとかキャンプとか……意外と趣味は少なかったかも」
「……いや、それ充分多いぞ。しかも全部アウトドア系だし」
「でも道具とかは全部海外のお家にあるから、日本の家にはあんまり物を置いてないのよね」
「あーあー、そうでした。俺とは違って瀬崎さんは家が何個もあるんでした」
寺島が耳を塞いで、手法の古い聞こえない振りをする。
「大丈夫、四つしかないわよ」
「……四つもあるのかよ……ちょっと凹んだぞ。せめて二つにしてくれ」
――と、ページを捲りながらがくっと肩を落した寺島の手が不意に止まった。
なにやら本の真ん中辺りのページに名刺サイズの紙が挟まれている。寺島は雅から見えないよう背中でその紙を咄嗟に隠した。
――I Guess Everything Reminds You of Something.
何を見ても、何かを思い出す?
ヘミングウェイの未発表短編の原題か?
ゆっくりと裏を見る。
『I was guilty』――そこには、私は罪を犯したと英語で書かれていた。
「将生君、どうかしたの?」
「いや、ちょっと趣味が合うのかなって思ってさ。意外と本を読むんだよ」
寺島は本をパタンと閉じて元の位置に戻し、「さて」と会話を本題に移す。
「早速だけど、親父さんが亡くなっていた時の状況について教えてほしい」
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