第三章 殺害予告とK24②
「なっ――」
修一と対面する寺島がつい声を洩らし、周囲の生徒たちにもどよめきが起きた。
「おいっ! け、決闘ってあれだろ! 金が城の古い伝統のあれだろ!」
「あれってなんだよ! ちゃんと説明してくれよ!」
修一が叫んだ宣言の意味を上手く理解していない生徒もいるが、生徒手帳を隅々まで読み込んだ生徒や、金が城学園高校の古い歴史に詳しい生徒たちは無意識に声を上げてしまった。
「寺島将生、君も生徒手帳に記載されている文章を全て読んだことがあるなら分かるだろう」
深呼吸をした修一が寺島に問う。
「『第六章 第一条 生徒同士は、互いの位置づけを確認するため『決闘』を行うことが許可される。又、勝者は事前に提示した要求を敗者に承諾させることができる』――ですよね」
「そうだ。物分かりは悪くとも、君は話を進めやすい」
第六章は六十年以上前の、初期の純金会が定めた規則だ。
金が城学園高校における序列は『K』を除いて非常に曖昧で、当時は『純金』同士の序列争いが絶えなかった。
そのため、初期の純金会は争いの解決手段として『決闘』を生徒規則に盛り込んだ。当時の『文武両道』という流れも受け、資金力だけでなく身体的な強さも兼ね備えた生徒が学園内で権力を手にした時代を生んだのだ。
今でも上層部を除き、教師は生徒規則や揉め事に介入できない故に、『決闘』という文化は形骸化しながらも金が城学園高校に眠っている。
「生徒規則の第六章は古くから引き継がれたものだ。最近では第六章不要論も純金会で上がっているが、最終的な結論は出ていない。さあ、寺島将生、君は受けるか?」
「どうせ拒否するという選択肢は残ってないんでしょう」
『決闘』は互いの位置づけを確認するために行う。
しかしK18の相談係である修一は『純金』でありながらもK24の相談係を務める寺島将生より序列は下だ。明確な立場の違いがあるが――寺島は『決闘』を拒否することができない。
「寺島将生、勘違いするな。君も拒否権はある。ただ、拒否する場合には、君が私より上の地位に立つ決定的な証拠を提示しなければならない。言質でも構わないぞ」
修一が大声でギャラリーの注意を集めた理由。それは寺島に『決闘』を受けさせるため。寺島が『決闘』を拒否する場合には、自らK24の相談係であることを告白しなければならない。
「生徒規則を読んだときは、まさか『決闘』という制度が機能するのは思いませんでしたよ」
「時間が早いに越したことは無い。はやく受け入れたまえ」
「……わかりました」
これ以上食い下がっても意味がないと判断した寺島は小さく頷いた。次は、お互いの要求を提示しなければならない。経済的、社会的、身体的に不可能な要求以外は拒絶できない。
「では、再度確認だ。私が『決闘』に勝った場合は、土曜日に起きた出来事を詳しく詳細に話してもらおう。君はどうする?」
思い通りに事が進んだのだろう、余裕の表情で修一が寺島の要求を確認する。
「そうですね。…………あ、良いのを思いつきました」
寺島は後ろ頭を掻きながら少しだけ逡巡した素振りを見せると、わざとらしくたった今思いついた振りをかまし、八重歯を少し覗かせた。
「なんだ?」
「『決闘』で俺が勝った場合は、雅さんを俺がもらいます」
寺島の発言に、はああ⁉ と、今度は修一が『決闘』を申し込んだ時よりも遥かに大きなどよめきが裏門の辺りを包み、地面を揺らした。
「もらうってお嫁にってことだよなぁ……?」
「おい! あの男何者なんだ⁉ 『主』のいない相談係じゃないのか?」
数分前まで小声で会話をしていた野次馬達が、寺島と修一を取り囲む形でお祭り騒ぎになっていた。汗だくで『主』を呼び出してきた相談係もいる。気づけばギャラリーはとんでもない数に膨れ上がっていた。
「どうせ君は何と言おうと要求を変えることは無いだろう。君が私に『決闘』で勝利したら雅さまの意志はともかく、私は君と雅さまが交際すること、ゆくゆくは結婚することも認めよう」
寺島の提示した要求に修一は怒気の籠った冷笑を浮かべた。
「後悔することになりますよ修一さん」
「大丈夫だ。私が君に負けることは無い」
「……そうですか。なら修一さんには悪いですけど、その鼻をへし折ってあげますよ」
負けん気の強い寺島も今度は余裕の表情でにへらと笑い返した。
寺島が土曜日に起きた出来事の詳細を明かさなかったのは、雅との約束を破り、自分がK24の相談係ということを学園中に知られないためだ。
しかし、『決闘』を申し込まれ、瀬崎雅をお嫁にもらうことを多くの野次馬と修一の前で要求として言い放った寺島は、金が城学園高校中で一躍有名人となった。
寺島は食堂の件に続き、自分が後に深く後悔することを秒針が一周する前には悟ったが、額から妙な冷たい汗が流れるだけであった。
*
武道場はかつてない興奮と熱狂に沸いていた。
校舎の方では微かに重低音のチャイムが聞こえるが、教室はもぬけの殻状態だった。
K18の相談係である瀬崎修一が凡庸な学ランの相談係に『決闘』を申し出た、しかも学ランの相談係の方が勝利時に瀬崎雅をお嫁にもらうことを要求したとなっては、学園中が騒ぎになることは避けられなかった。
なんでこんなに人が多いんだよ。と、寺島は絶賛後悔中だったが。
「本当に私のフィールドで戦うのだな?」
「え、ええ、もちろんです。その方が勝った時に気持ちがいいでしょう?」
金が城学園高校の武道場は一階に競技スペースがあり、中央入り口から右側に柔道用の畳、左側には体操用のマットが敷かれている。
そして中央には修一と寺島が向かい合う剣道用の床板がある。
校舎の豪華絢爛なイメージとは違い、武道場は黒と白を基調にしたモダンな空間で唯一現代的だった。二階の三百人は収容できる観客席は競技スペースを囲んで頭の位置が重ならないように工夫され、階段状上へと伸びている。今は満席状態だ。
「初めて武道場来たんですけど、競技する所と観客席の比率おかしくないですか?」
寺島が数メートル離れて正座する修一に聞いた。修一は目の前に置いた布製の長細い袋に括りつけられた紐を丁寧に解いている。
「身体に損傷を与えかねない競技やスポーツは金が城学園高校では敬遠される傾向がある。武道場も授業カリキュラム自体ではほとんど使用されない。お飾りみたいなものだ」
「へぇ、そうなんですか……質問は普通に答えてくれるんですね」
寺島は少し意外だった。
「こちらを使いたまえ」
修一が紐を解き終わり出てきたのは二本の竹刀。
修一は片方を寺島の方に差し出した。
「君も知っている通り、日本は決闘罪というものがある。本当の決闘をするわけにはいかない。規則にある『決闘』とは互いで内容を決めるものだが、君がわざわざ私のフィールドで戦ってくれるというのに免じて戦いは剣道勝負とする。私も君とは一度正々堂々戦いたい気持ちもあるが、今はプライドより何より君に要求を呑ませることが最優先だ」
寺島が竹刀を受け取る。二人はそれぞれ竹刀を持つと、その場に立ち上がった。
「ルールまで私が決めるのはアンフェアが過ぎる。どんなルールでも君が決めて良いだろう」
竹刀の柄を握る感覚を確かめながら、何度か素振りした修一は傍目から見てもそれだけで素人でないことが分かり、会場の空気を引き締めた。
「『決闘』ですから降参するか、面を一本取られたら負けにしましょう。打撃は下半身無しの上半身のみで顔面も無し。修一さんのせっかくのイケメンが台無しになっては困りますしね」
「防具は要らないのか? 私は剣術を幼い頃から習っている。面に一本でも入れば脳震盪は必ず起こる。本気で仕留めれば後遺症すら残るかもしれないぞ」
「いえ、大丈夫です。さらさら負ける気もありません」
最低限の配慮のつもりが、思考する様子もなく断る寺島に修一は何度か目を瞬かせた。
「……そうか、ならば良い」
中央入り口から怯えながら旗を持った審判を務めるらしき相談係の生徒が入場する。寺島と修一が互いの開始戦まで下がると、竹刀を突き出し、膝を曲げて腰を低くまで下ろした。
「こ、これより瀬崎修一と寺島将生の『決闘』を始めます!」
上擦りながらも大声で審判が宣言すると、会場のボルテージが最高潮に上り詰めた。武道場のムードは中世ローマの闘技場を思わせる熱狂ぶりで、生徒の体温で空気が熱される。
寺島と修一が視線を交えたまま礼をした。
「で、では始めっ!」
審判が旗を振り上げ――『決闘』の火蓋が切られた。
――瞬間、仕掛けたのは修一だった。
重心をぶらすことなく足を前に突き出す修一の足捌きは、寺島の視界には瞬間移動にも見えた。肩の上下運動が極端に小さく、足の移動を見逃してしまえば間合いは気づかない内に消えてしまう。
速い。
そう寺島が思った隙に、修一が中段に構えた竹刀から手首の返しだけで面を狙った。反応に遅れた寺島だったが、間一髪のところで上段に構え、面を防ぐ。
「構えや動きは素人だが、やはりK24の相談係だけはあって反応速度が相当早い。一か月も練習すれば私の練習相手くらいにはなるかもしれない」
「それは暗に今じゃ勝てないって言ってるんですか?」
間合いを十分にはかる寺島だったが、またいつ襲ってくるか分からない。冷静に脳を機能させ、相手の小さな隙を見抜く必要がある。
「寺島将生、私が習っているのは剣道ではなく剣術だ。その違いを履き間違えると大変なことになる。今からでも降参するのは遅くない」
「降参しませんよ俺は! そっちこそ先に参ったと言ってもいいんですよ!」
ハァ! と声を出して次に仕掛けたのは寺島の方だった。
攻撃を仕掛けた時に相手に出来る隙と、自分が防御に徹したときに相手に出来る隙、どちらがより面を取りやすいか見極めるための攻撃か、と修一は判断する。
間合いを詰め過ぎないように注意しながら修一は寺島の動きを予測した。
「青いな、寺島将生」
鼻で笑って、修一は寺島の大振りを摺り足で数センチだけ横に回避する。
――そして、隙だらけになった寺島の腹部を手首のみを返して打った。
バシィンッ!
と撥ねるような鈍い音がして、胴を打った修一はそのまま竹刀を振り抜く。動きは競技剣道ではなく本物の日本刀を腰に差した武士に近い。
打ったというより斬ったと言った方が正確だった。
「痛みに耐えられるか? 防具を付けていない相手だ、手加減したつもりではあるが」
「痛くないですね」
食い入るように寺島がかぶりを振る。
振り返った寺島がまた大振りの上段を修一目掛けて放った。
「何度やっても同じことだ! 諦めろ寺島将生ッ!」
修一がもう一度寺島の腹を斬ると、鈍い音がして観客席に座る生徒の一部は目を伏せた。あれほど過熱した武道場の空気が一瞬で急激に冷たさを帯びてゆく。
それから何度も何度も素人同然の寺島は竹刀を振り上げ修一に立ち向かうが、修一はその場から数歩だけ動いて相手を斬るだけだった。白熱するはずだった『決闘』の雰囲気が圧倒的な力量差に殺伐とし、処刑場と化してきた。
「もう諦めるんだ」
満身創痍になった寺島に修一が慈悲の声を掛ける。
「それ以上は致命傷になる可能性もある」
「え? 面を取られない限り試合は終わらないですよ」
どうしてこの男はここまでして戦うのか。修一には理解が出来なかった。理解できないがゆえに、早く『決闘』を終わらせてしまうのが得策だと考えた。
修一にとっては形にすらなっていない上段の構えで寺島が飛び込んでくる。修一は避けなかった。
中段に構えて腰を低く落とすと、完璧な間合いで逆袈裟切りをするように竹刀を払った。風が切れる音がして、しかし竹刀が捉えたのは寺島の面ではなく――
竹刀にはめられた鍔だった。
「――っ!」
修一の竹刀が正確無比に鍔を捉えると、寺島が振り下げるのと逆行する方向に力が加わり、寺島の握った竹刀は掌をすり抜けて空中に浮かんだ。
――カタカタっと滑稽な軽い音を立てて竹刀が床板に落ちる。
「止まれっ!」
踵を返して竹刀を取り戻そうとする寺島を先回りして、修一が喉元に竹刀を突き付けた。
防具を身に着けていない状態で『突き』を繰り出されたらただでは済まない。それ以前に寺島の手には何も握られていなかった。
「寺島将生、降参しろ。そうすれば面だけは打たずに済む」
江戸時代の武士でも刀を持たない相手に斬りかかるなど、相当な悪でなければ行わないはずだ。無防備な相手に止めを刺す趣味は修一にも無い。
ほんの数分の『決闘』だった。
「降参は言いません。打つなら打って下さい」
当然の如く言った寺島に、修一は小さく笑って柄を持つ手にこれ以上にない力を込めた。
「それが望みなら仕方ない」
鋭い視線を寺島に向けたまま、修一が上段まで竹刀を振り上げた。
「行くぞ、寺島将生ッ!」
剣術を嗜む修一は普段大きな隙を作り出す大振りは絶対にしない。いつも中段に構えて相手の動きを読み、歩幅の動きで間合いや可動域をカバーする。
「ヤァァァァァァ!」
修一が鬼の形相で叫び、撓り声を上げた刀は風を切り裂きながら寺島の面へ一直線に振り下ろされた。冷え切った観客席の生徒は目を伏せるか、寺島を嘲笑しながらも最後の光景を看取ろうとコートを覗くかに分かれた。
誰もが『決闘』の勝者を確信し、修一自身も自分の勝利に余念がなかったはずだった。武器を持たない者が武器を持つ者に勝つことはあり得ない。
――ただ、寺島将生は自分の顔面へ竹刀が向かってくる途中、一度も目を閉じなかった。
それどころか目を見開いて修一の双眸を挑発的に捉えていた。最悪の場合脳震盪で倒れてしまっても不思議ではない渾身の打撃を与える軌道に最後まで畏怖しなかった。
――あんたじゃ打てないよ、修一さん。
肉食獣のような八重歯を見せて、何かを言いかけた――いや、何かを言った寺島には余裕綽綽の表情を浮かび、反対に修一の顔が無意識に引き攣った。
打撃が命中する寸前に最大限力を削ごうと決めていた修一が、黒く光り淀んだ寺島の瞳を見て、反射的に柄を持つ手に握力を込めてしまう。それは相手を脅威だと認識する時に咄嗟に出てしまう行為。
一瞬、修一の脳裏に自分の敗北の瞬間が映った。
「なぜ目を瞑らない寺島将生ィ!」
――勝敗は決まっている。私が勝つに決まっているはずなのに、なぜこの男はこの瞬間これほどにも私に敗北のイメージを過らせる?
なぜだ、なぜなんだ、なぜっ!
「――待って!」
打撃が接触する寸前、ピタ、と修一の竹刀が静止し、一瞬で掻いた汗が細かく飛び散った。
「み、雅さまっ!」
妹の姿が視界に入った修一は自分が興奮状態だったことに気づき、驚愕した。
武道場は金が城学園高校にあるどの門からも遠い。
雅は急いで走ってきたのだろう、前髪が束になっていて呼吸が荒かった。見慣れない走り姿で雅が駆け寄ってくる。
「あ、ああこれは……その……えっとスポーツだよ、スポーツ! な? 修一さん?」
寺島が戸惑う必要はないが『決闘』で勝利したときの要求が『雅をお嫁にもらうこと』だと修一に暴露されるのではないかと瞬時に思った寺島は、必死に言い訳することにした。今の今まで『決闘』をしていた相手にウインクでサインを送る。
突然の雅の登場に立ち尽くしてしまった修一だが、冷静さを取り戻すと視線を下に落とし、自分の掌を見た。――右手が震えていた。
「お、おい! 雅!」
兄ではなく寺島の元にたどり着いた雅が、寺島の右手首を掴むと躊躇なく学ランの袖を捲り上げた。すると、手首の付け根辺りから肘まで――数か所の切り傷と青黒い痣が出来ていた。
「将生君やっぱり……怪我してたのね……」
黒のボックスカーが急停止して地面に打ちつけた時の傷と痣だ。切り傷はガラス片が下敷きになったとこで刺さってしまったもの。
「ああ、いやこれは大したことないんだけど……」
「寺島将生、なんだこれは……」
修一も寺島の怪我を見て顔を歪ませた。
「そんな状況で君は『決闘』を……」
「お兄さま」
肩を震わせて唇を噛む雅の瞳が、強い意志を持って修一を捉えた。
「土曜日の出来事は全て私の責任です……。詳しい事情は後で必ず説明いたしますので、今は早急に彼を保健室へ連れていきます」
「雅……これは……どういう……」
「行きましょう将生君」
「あ、うん」
優しく手を引いて先導する雅に連れられ、寺島は武道場を後にした。寺島が振り返って見た修一の顔は、これまでにない悲痛に歪んでいた。
結局、『決闘』の勝敗が決まることは無く、会場は深い静寂に満ちた。
最後まで修一の掌は震えたままだった。
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