第二章 緑髪の催眠術師①
土曜日。日本の暦上、今日は二〇三九年の四月二十三日。
ゴールデンウィークは、四月二十九日から始まる。五月二日に平日を挟み、六日の金曜日は金が城学園高校の創設記念日で、休校となる。
三日から八日まで最高の六連休だ。
金持ちで構成される『純金』は、学生の間から親や親戚の会社経営や企業の挨拶回りなど、仕事の一部を任される者も多い。自ら会社を経営している者も多く在籍する故、普段バカンスやレジャーという過ごし方をする人々は案外少ない。
『純金』も大変な日常を過ごしている。
相談係は、学園生活以外の場でも『主』と共に行動することが原則義務付けられ、住み込みで遣える者も多く存在する。
学園の外に出ても、相談係の役職から解放されるわけでは無い。土日祝日に関わらず『主』に仕え、毎日を過ごす相談係がほとんどであろう。
ではなぜ、寺島は自分の『主』でもない『純金』の――それも赤の他人であるはずのK18と貴重な週末を過ごすことになるのか。
地上に繋がる地下鉄出入口前を覗くと、一際目を引く髪色の綺麗な顔立ちをした女性が壁に背を預けて立っていた。
地下鉄に出入りする男たちは当然のように二度見して振り返っている。
モデル顔負けの美しさに立ち止まってしまい、スマートフォンで画像検索をしているらしき人も見受けられた。
数分前には芸能プロダクションのお偉いさんを名乗る男が是非自分の事務所にと必死に名刺を渡していたが、正体が分かると顔を一気に青ざめさせて深々と頭を下げ、逃げ去るようにその場を後にした。
彼女の父親が代表取締役を務めるWSZグループは、イギリスのロンドンに本部を置く、百カ国を超える地域で会社経営を行う世界最高の利益を誇る広告代理店だ。
日本の一芸能事務所の会社員なんざは、彼女の父親が一声かければ首が飛ぶし、やろうと思えばいとも簡単にその事務所を潰すことも可能なはずだ。声を掛けるにしても人を見誤ると大変なことになる。
「しっかし、俺も大変なことになった。……まさか本当に現れるなんて誰が思うかよ」
時刻は一時二十分を過ぎた。これ以上待たせても雅の機嫌を損ねるかもしれない。寺島は遠くの木陰から身を出し、急いで来た風を装って雅に駆け寄った。
「すいませんお待たせしてしまって……」
「お土産一個ね」
若干不機嫌そうに腕を組む雅が放った第一声。
すらりとしたモデル体型に淡い栗色のチェックロングコートと白のニットを合わせ、桜色のショルダーバッグを差し込む完璧な春のファッションに身を包んだ雅は、横目でちらりと黙る寺島を見た。
「でも遅刻はしてないですよ。まだ十分前です」
「遅刻の話じゃなくて、敬語は禁止って昨日言ったでしょ。まさか覚えてないの?」
「あ、覚えて――――る」
寺島は覚えてますと言おうとして、咄嗟に言い換える。
「なら名前は? 私の名前」
「瀬崎雅さんでしょ?」
「違う。今日はデートだから雅って呼ぶのを忘れないでねってこと」
「し、下の名前……」
寺島は私生活を含めて雀以外との人間関係を希薄に過ごしてきた。敬語はある種の緊張しないための防壁で、敬語禁止というのは精神的な痛手だ。
「今日はデートなんだからしっかりしてよね。将生君」
対する雅は瀬崎家令嬢の余裕だろう、緊張の色が全く見えない。
デートの練習なんて絶対に必要ないだろ、と寺島は心の中でぼやいた。
「ほら、もう行くわよ。ついて来て」
「ちょ、ちょっと、どこに行くん……だ?」
雅が指さした方向を見上げると、少し離れた場所に大型の商業施設が聳え立っていた。
「私、ショッピングモールという場所に訪れた試しが無かったから一度来てみたかったの。本番のデートもどこに訪れるか分からないことだし、こういった場所を体験するのも大切でしょ」
雅は振り返りざま寺島に微笑みかけ、二人はショッピングモールへと向かうことになった。
雅の配慮か、集合場所は電車を乗り継いでようやくたどり着く東京の郊外の一角。
金が城学園高校付近にはこれ以上の大型の施設が揃っているため、他の『純金』や相談係に会う心配もないだろうと、寺島はひとまず安心する。
デート練習に付き合うのも、寺島にとっては正体をバラされないための交換条件だ。
金が城学園の生徒に鉢合わせしては元も子もない。
*
ショッピングモールは一階から天井まで中央が吹き抜けで造られており、休日の昼間だからか家族連れやカップルで複数の小売店や飲食店がすでに賑わっていた。
「うわぁ、すごいわね……」
思わず隣で感嘆のため息を漏らす雅に、寺島は単純な疑問を投げかける。
「なあ、雅はその、本当にこういった場所に来たことないのか?」
「……なによ。ないわよそんなの」
『K』ともなれば一般大衆が集まる場所には来ないのが普通だ。雀は極度の人見知りという別の理由で外出は滅多に行わない。
「普段はメイドのエリスが用意してくれた服を着るだけだし、七年前から一人での外出は禁止されているから本当に初めてよ。友達の一人や二人いたら来たこともあったでしょうけど」
「それじゃあ、動物園とか水族館とかは?」
「動物園? ああ、動物が見たいって言ったら父がアフリカに連れて行って下さったことはあるけど、遠いし、何より衛生的ではないからもう懲りたわ」
「ど、動物を見るためにアフリカ……金持ちならではの豪遊ってやつだ……」
「ほらほら、そんなことはいいから早速行くわよ」
一歩踏み出し、待ちきれないという表情で手招きをする雅に続いて、寺島も早速店内を一緒に歩くことにした。
一階は化粧品売り場やスーパーなど日常的な買い物を楽しむ空間が広がっていて、二階と三階には雑貨、靴、洋服、アクセサリー、カフェといったテナント店舗がところ狭しと並んでいる。四階は映画館とフードコート、ゲームセンターがあり、元気な学生は一日中施設内にいても飽きないだろう。久しぶりに外出する寺島も、映像広告や立体投影のマネキンには驚いた。
中央のエスカレーターに乗って二階に上がると、きょろきょろ周りを眺めていた雅が不意に足を止めた。衝突寸前だった寺島は一歩だけ足を退く。
「ん? どうした?」
振り返った雅は寺島の頭の先からつま先までじっくりと時間を使って眺めると、うーんと唇を歪めた。
「な、なんだよ」
「そうね……将生君は」
寺島と視線を合わせながらひとつ間を置いて、
「ダサいわね」
寺島の心臓ど真ん中に矢が命中した。寺島は黒のパーカーに、シンプルなジーンズと、お気に入りである黒のスニーカー。
寺島自身、ごくごく一般的で普通の服装だと思っていた。
「だ、ださい? ふ、ふ、服が?」
「何重ものオブラートに包んで言うと、服がというよりも将生君から放たれるマイナスな雰囲気と、プロポーションがダサいわね。あと特に肩がダサい」
「それどうしようもないじゃねーか! てか肩がダサいってなんだよ、オブラート極薄でもうそれ破けちゃってるよ!」
雀は出不精でお洒落な服なんて一切着ない。寺島の服装に文句を言ったことも一度もなければ、寺島の服装におそらく興味もない。初めての『ダサい』は寺島に相当ダメージを利かせた。
「考えて見れば、食堂でもブレザーの生徒の中ひとりだけ学ランでも平気みたいだし、将生君の服装に最初から一切合切期待してないけれど」
「それはK24の相談係であることを隠すためだ……しかも一切合切って……」
「あなたも落ち込むことはあるのね。堂々と私の兄に歯向かったことが嘘みたい」
ふふっと魅惑的に笑みを浮かべる雅に対して、寺島はどっと表情を曇らせた。
「別に落ち込んでるわけじゃないけどな。帰りたくなっただけだ」
「大丈夫。デートの練習以外に今日の目的として将生君をお洒落にすることも入れるから」
雅は項垂れている寺島の腕を掴んで、エスカレーターからご機嫌に離れて行く。まるで新しい玩具が手に入った子どものような無邪気さが、一瞬だけクールな外見から覗かせた。
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