第一章 金が城学園高校相談係⑤
豪華絢爛な廊下を木漏れ日が柔らかく照らす。
窓の外では、七年の間に再整然された学園前の通りをEVが忙しなく往来し、遠くの更地には風力タービンの行列と太陽光発電パネルが年々増えていくのが見て取れる。
考えすぎだったのか、それともまだ昨日の出来事だからなのか、昼休みまで寺島にK24関係で話しかけてくる者は誰もいなかった。
普段より視線が気になるかと言えば、そうでもない。
逆に一部の生徒からは過剰なほど目を逸らされる気すらしていた。
自意識過剰とも片づけられるが、逆に何度も視線を向けられ逸らされを繰り返されると不自然極まりない。
昼休み。
素早く昼食を済ませた寺島は2号館を誰もいない四階まで上がった。
しかし、ここに来てひとりの気配が自分を尾行しているという疑惑は確信に変わらざるを得なかった。
「もう出てきてもいいですよ。……というかあなたが2号館をひとりで歩いていたら不自然極まりないですし、朝からずっと俺の後ろにいたら遠くても分かります」
階段を登りきった所で陰に隠れる人物に呼びかける。
数十メートル後ろが常に騒がしくなるのは、尾行が下手という以前の問題で、変装なしの人気芸能人が原宿を闊歩するのと同じだ。
「あの、もうとっくにバレてるし、2号館では異質すぎますよ。尾行に向いてません」
「……そう、なら仕方ないわね」
寺島の呼びかけにゆっくりと階段の陰から姿を現したのは、瀬崎家の御令嬢にしてK18の称号を持つ女子生徒。瀬崎雅だった。昨日の興奮状態と違い、冷静さを保持しながらお目に掛る瀬崎雅の姿は特別な神々しさが増して見える。日の光が反射してミルクティーベージュの髪が煌めくと、つい寺島もドキリと心臓が高鳴った。
「今日はあの二人の相談係はいないんですか? えっと瀬崎修一さんと野々宮遥香さん」
「寺島君よく名前を覚えているのね。少し意外かも」
「学園の有名人ですから当然です」
学生とは目を疑うほど落ち着きのある雅の淑やかな雰囲気は、高貴な瀬崎家に相応しく、長い髪を派手なミルクティーベージュに染めた雅のギャップだったりする。
「それで今日はどんなご用件で?」
寺島が首を傾げると、雅は無言のまま階段を上がって寺島の腕を掴んだ。
「話があるの。あなたに、特別に。ここでは人が通る可能性があるから」
腕を掴んだ雅はそのまま曲がり角を右折して廊下を突き進み、無人の進路指導室の扉を開くと、寺島を放り込む。
自らも暗闇の教室に足を踏み入れると、ピシャリ後ろ手で扉を閉めた。
進路指導室とは名ばかりで時計すらないただの空教室だ。
「あの……学校でふしだらなことはあんまりしない方がいいと思いますよ。俺は別に拒否しないですけど……」
寺島の発言に、しんと一瞬静寂が走った後、雅は言葉の意味を理解して「はぁっ」と大きな声を出した。
「ばかじゃないですかあなた! ふしだらなことなんてあなたとするはずないでしょ!」
意外にも可愛らしい怒号が飛んできた。お嬢様は結構ツッコめるタイプだったらしい。ぴんと伸ばした肘と固く握りしめられた拳が、なんとも愛くるしかった。
「さすがに冗談です。……逆に反応に困りましたよ」
「次言ったら殺します。ネズミの入った鉄なべを腹に乗せて上から火で炙って腸を喰わせます」
「結構怖いタイプ⁉ しかもそれ何時代の拷問⁉」
寺島の中で雅の印象が急速に変わりつつある所で、いいから話を進めましょう、と雅が一つ咳払いした。兄である瀬崎修一と似た仕草だった。
「まず寺島君がK24の相談係という証拠を見せてほしいのですが。もし昨日の発言が本当であるならば持っているはずでしょう」
「そう言うと思ってました……。このバッジのことでしょ?」
学生服のポケットを無造作に漁る。出てきたのは光の種類によって色を変化させる宝石――アレキサンドライト。窓に近づいて遮光カーテンを開けると、寺島の持ったバッジが鮮麗な青緑の輝きを放出した。
「ちょっと貸してもらえるかしら」
雅は寺島からバッジを受け取ると、手を高く上げて太陽光に翳した。
「宝石の識別もできるんです?」
「少しだけね。実はK24が新しく誕生して以降、相談係を名乗る偽物がいつか現れると思ってアレキサンドライトだけは本物か偽物か見分けられるよう勉強しておいたの」
俄かに信じがたいと、雅は何度も別の角度からバッジを眺める。
「だけど、あなたが本当にK24の相談係とは驚いたわ……」
「えっと、そんなに俺がK24の相談係に似合わないですかね」
「ええ、似合わないわ」
はっきり告げられてはお終いだ。
「それ探すの大変だったんですよ。俺も身に着けることは無いと思ってましたから、『主』の物置部屋の隅に仕舞われてました」
「さすがK24ね。アレキサンドライトを飾らずに物置部屋に放置なんてスケールがまるで私と違う。昨日一緒にいた眼鏡で三つ編みの……飛鳥馬雀さんもK24の正体を知っているの?」
「……あ、ああ。雀も知ってますよ。俺ら三人は友達みたいなものですから」
眼鏡で三つ編み地味オタク女子生徒の正体がK24とは気づかれていないらしい。
この学園で正体を知っているのは、寺島と『K』の選抜に関わる学園の上層部のみであるはずだ。
「い、いいなぁ……。K24と友達かぁ……」
「ん?」
雅から発せられたとは思えない、いじらしい声が寺島の耳に入った。
「今なんて言いました……?」
「い、いえ、べ、別に何でもありません!」
雅は手のひらで仄かに赤らんだ顔をぱたぱたと仰ぐ。
寺島の中で瀬崎雅の印象が崩れ始めている。もしくは、寺島が最初から雅のことをクールな存在だと間違って認識していたのか。
「バッジを確かめて満足しましたか? 話が終わりなら教室に戻りますけど」
「いいえ違うわ。本題はここからよ」
「本題ですか? 嫌な予感しかしませんが」
「あなたにお願いがあるの。特別なお願いよ」
雅はアレキサンドライトのバッジを所有者に返すと、一途な眼差しで寺島を見つめた。宇宙の広がりを想起させるヘーゼル色の透き通った瞳は、吸い込まれてしまいそうな引力を放ち、他者を虜にする。
特別なお願い。
こう見えても寺島は直感が働く方だ。身の回りの雑用の他、護衛の役割も果たす相談係にとって直感は大切な素質ともいえる。
思わず固唾を呑んだ寺島だったが、
「この瀬崎雅。つ、つまり、私と! で、デートしてほしいのっ!」
恥ずかしそうに顔を朱色に染め、手で顔を覆う雅。
――展開は思わぬ方向へ転がった。
……――ん? ……でえと? 聞き間違い? いや、そんなことはない。はっきり聞こえたはずだ。でも、でえとというのはあれか、あのでえと……か?
対面に立つ寺島は、言葉の意味が正しく理解できず、雅のじたばたとする動きをひたすら呆けた顔のまま観察していた。寺島としては異世界語を聞いたような、そんな気持ちだった。
あまりの急展開に脳が正常に働かない寺島は、体感としては五分以上棒立ちになり、長い無言状態が続いた後、寺島は誤魔化すつもりで作り笑いを顔いっぱいに広げた。
「あの、今もしかしてデートって言いました……? 最近耳が悪いのか一回で人の話が聞けないことが多々ありまして……あ、あはは」
普段使用されるのは1号館にあるもう一つの進路指導室。2号館の四階であれば、昼休み中に教師や生徒がやってくる可能性は頼りない。デートのお誘い、ましてそれが瀬崎雅からであれば、金が城学園高校の男性生徒は跳ね上がって喜ぶだろう。
しかし、なぜだろう寺島にとっては悪魔に囁かれたような嫌な予感しかしないお誘いだった。
「ええ、デートと言いました」
聞き間違いじゃなかった!
「えっと、ということはつまり……俺のことが好きだということで合ってますか……?」
寺島も緊張しながら小さ目の音量で尋ねると、はっと雅の瞳が見開いた。
「――あ、ち、違いますっ! ……大事なことを言い忘れてたの! はぁ⁉ そ、そんな瀬崎家の私があなたを好きになるはずないでしょ! 『純金』ならまだしも、あなたはただの相談係ですよ! K24の相談係だからって調子に乗らないでもらえる⁉」
「……これほど大量の言葉が返ってくるとは。勘違いしてほしくないのは、雅さん自身が『大事なことを言い忘れていた』のであって、俺は何も悪くないということです」
寺島はある意味感心した。雅にツッコミ適正があるのは間違いない。
「そうね、それは悪かったわね……反省する」
急にしおらしくなった雅に、この人は何回表情をコロコロ変えれば気が済むのだろうと寺島は思いつつ、胸に留めておいた。言うと怒られそう。
「言い忘れた事というのは、あなたにデートをしてほしいのではなくて、デートをする練習をあなたにしてほしいということなの」
「……ん? どういうことですか?」
説明するのは筋よね、と自らを納得させるように頷いた雅は、そのまま話を続けた。
「私は、瀬崎家の令嬢としてパーティーや会食に日常的に参加している。父が経営するWSZグループは世界に千を超える事業所を点在させていて、本社はイギリスにあるから年を同じくらいにした男性と会話をしたりダンスを踊る機会もあるわ。それで別れ際にはデートのお誘いを頂くことも少ないの」
雅は誰から見ても目を引く美貌の持ち主だ。誘いを受けるなど日常茶飯事で、特別でもないだろう。雅ほどの女性が男から興味を持たれない世界線が考えられない。
「だけど父と兄の方針もあって、これまでは全てのお誘いに断ってきた。要するに私は人生で一度も交際をしたこともなければデートをしたこともない。それが先日、お誘いを受けたお相手が父の重要な取引先の御子息ということで、今度一緒に出掛けることになったの」
寺島はここでようやく話の内容を自分の頭で理解した。
「それで、初めてのデートは不安だから俺に練習台として付き合ってほしいということですか」
「ええ、本番で醜態を晒す訳にはいかないの」
「K18である雅さんのお願いなら他に聞いてくれる人は沢山いますよ」
寺島の反論に、雅は小さく首を横に振った。
「いいえ、そんなことないわ。金が城学園高校の生活で基本『K』は他の『純金』や相談係とも関わることが少ないから、この学園で頼れるのが現状あなたしかいないのは事実」
引き下がらない理由は分からないが、雅も兄と同じく頑固な性格のようだ。
「残念ですけど、俺も女性とはデートをしたことも付き合ったこともないし、練習台として不適格者なのは間違いないです。雅さんほどの女性なら無言のまま横に立っているだけでもデートは成立するんじゃないですか? きっと普通にデートできますよ」
それじゃあ、と言い残して扉を開けて去ろうとする寺島の襟を、雅はぐいっと強い力で引き留めた。うえっと声が出る。
「なんですか? 俺は無理ですよ」
振り返ってもう一度きっぱりと断りを入れる寺島に、当然それは分かり切ったことだと言うような不敵な笑みを雅は零した。
「あなたがそう言うのは最初から分かっていたわ。だから交換条件があるの」
「……なんですか?」
「――寺島君、今日K24について誰かに尋ねられたかしら?」
「…………先手を打たれていたってわけですか」
知性は『K』に求められる素質の一つである。金が城学園高校でいう知性とは、勉強とは別の頭の良さを測る尺度だ。寺島が応じなかった場合を考え、半ば強制的にお願いを承諾させる手段は既にとられているということ――。
「寺島君は昨日K24の相談係であることを食堂で堂々と言い放ったけれど、その後、私の計らいで完璧な口封じを行っておいたの。あの場にいた生徒たちは約四十人。私が許可を出せば、すぐにあなたがK24の相談係であることは学園中に広がるわ」
雅は寺島が何を一番嫌がるかよく分かっているようだった。
昨日のうちに2号館の食堂に居合わせた全員の口止めを済ませておいたというのは『K』であるがゆえにできる力技だ。
「証拠のバッジも確認したし、私のお願い――いえ、命令に逆らう場合、今日中にでもあなたは群衆に囲まれて記者会見のような状態になるでしょうね」
もはや学園内で伝説的な存在であるK24の相談係が自分だとバレたら、寺島は今まで通り普通の学園生活は送れない。K24を一目見ようとストーカー紛いの連中も出現するだろうし金が城学園高校の中だけで収まらない話になる可能性も否めない。
今からでも内密に食堂での出来事を収められるならそれが一番好ましい。
「……聞きますけど、なんでその練習の相手が俺なんですか?」
「それは勿論、寺島君がK24の相談係という事もあるわ」
「……どういうことです?」
「ようやく正体を現したK24の相談係の実態を私も知りたいのよ」
寺島は雅の答えに一度黙考して、ため息混じりに肩を落とすと、渋々頷いて交換条件を呑んだ。不本意だが寺島も気になることがある。
それを決して口には出さないが。
「……はぁ、分かりました。そのデートの練習に付き合えばいいんでしょ……」
「ほ、ほんと⁉ ――――そ、それは良かったわ」
雅は自分のキャラクターが崩れ始めているのを悟ったようで、雅は一瞬だけ明らかに喜びの表情を見せると、今度は腕を組んでそっぽを向きながら素っ気なく言った。
「日時は四月二十三日の一時半。あ、今連絡先を交換しましょう。あとで詳しい集合場所は送るから。遅刻は現金です」
「日時はえーっと、四月にじゅうさ……って明日じゃないかよ!」
「ええそうよ。何か問題でもある?」
「いや、急すぎるでしょ。しかも遅刻は『現金』って、遅れたら金取るつもりですか?」
「一分三万ね」
「高すぎるっ! 俺は『純金』でも『K』でもないただの高校生ですよ!」
「K24に借りればいいじゃない」
淡々と寺島の連絡先を自分のスマホに登録し終えると、雅はすぐに撤収モードに入ったようで、寺島の話には一切聞く耳を持たない所存らしい。
「あと、兄には内緒だから、私と出掛けたことは何があっても絶対に秘密にしてほしいの」
「……ああ、まあそれは良いですけど」
兄である瀬崎修一は昨日見た限り完全なるシスコンだ。彼にとって雅は目に入れても痛くないだろう。事情があるのかは知らないが、寺島も深く介入しようとは思わない。秘密にしろと言われたら黙って秘密にする。
「それに、私と寺島君は同級生よ。明日は仮にも、で、デートをするわけだから明日敬語使うのは許さないから。一回の敬語の使用でお土産一個買ってもらうからね」
そう言って雅は寺島に優しく微笑むと進路指導室の扉を開いた。
「じゃ、また明日ね将生君。楽しみにしているわ」
ピシャリと扉が閉まり、進路指導室は暗闇に戻る。
寺島もすぐ教室を出ようと扉に手を掛けたが、今一度自分の他に誰もいなくなった進路指導室を見渡すと、近くの一台だけあったパイプが錆びた古い学校机に腰を掛けた。
デートか、何も起こらなければいいが。
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