第一章  金が城学園高校相談係④


「うりやぁーー! なんであんなこと言っちゃうのぉー!」


 都内の高級マンション――最上階の一室。

 いまいち力の籠っていない両手でぽかぽか叩かれる寺島は、あははと苦笑いしながら頬を掻いていた。今更ながら色々と反省中だ。


「その……起きたことは起きたことでしょうがないというか、なんというか」


「しょうがなくないでしょ! 別にあそこで言う必要ないし! なんなら他の席もう空いてたし! 寺島氏のバカ、ドジ、マヌケ!」


「うっ……その通りです」


「むぅ。もういいからこれ、眼鏡しまって」


 雀が外した眼鏡を丁寧に両手で受け取り、棚のいつもの置き場所に戻す。

 寺島が昼休みに自分の正体を名乗った後の数十秒間は、食堂全体がしんと静まり返った。


昼休みの終わりを知らせる予鈴が食堂に鳴り響いたのは、幸いにも寺島が冷静さを取り戻し始めた頃だった。


我に返った寺島は頬に唐揚げを詰めた雀の手を掴むと『そのトレーだけ片しといて!』などと瀬崎雅に言い残して食堂を抜け出した。


 振り返ると、食堂にいた生徒たちは『純金』や相談係に関わらず、放心状態で口を半開きにしていた。冷静沈着、余裕綽綽に見える瀬崎修一でさえも表情を崩しながら首を傾げていたほどだ。


「はぁ、疲れたなぁ。まさか二人で隠そうって決めたことをあんな大衆の前でデカデカと言うなんて雀はびっくり通り越して呆れたよ……。おかげで今日は無断早退だし」


「まぁまぁ、そんなこと言わずに、ほら、今日は俺が髪を梳かしますんで。ね? ね?」


「ん」


 キングサイズのベッドにぐったりと倒れた雀に、寺島は櫛を片手に駆け寄る。


飛鳥馬雀の家は端的に表すと、無機質な白だ。家具はベッドとシンプルな物置棚くらい。家電は必要最低限のものと恋愛ドラマ視聴に欠かせないテレビ。


異質なのは二十七インチもある巨大PCで、あとは段ボールに無造作に詰められて物置部屋に仕舞われている。


「はいはい、体起こしてくださいっと」


無気力な身体は一切自分から起きようとはしないゆえ、寺島は自分に体重を預けさせるようにして雀を座らせる。テスト結果で怒っていた寺島はどこへやらだ。


「これからどうしましょうかねー」


「ほんとだよまったく。寺島氏は危なっかしいことこの上ないね、もう」


「返すお言葉もありません……」


 しゅんと首を竦めた寺島が、慣れた手つきで雀の三つ編みを外すと、さらっと絹のような髪が華奢な肩に流れ落ちた。艶やかな天使の輪っかが映し出される髪は何度見ても感嘆のため息がでるほど美しい。


髪に関しては剛毛な源蔵の遺伝ではないだろう。三つ編みに編み込んだところで雀の髪は癖すらつかない。



「ねね、もしかして寺島氏、また雀の髪見て照れ島になってた?」


「お前の髪は綺麗だけど、どこに照れる要素があるんだよ。あと、変なあだ名やめてくれ」


「えー、いいじゃん。雀は気に入った。これからは照れ島氏にするよ」


「絶対やめろ」



 えへへと言って振り返る雀に至近距離で目が合う。



 肩までおりた麗しい黒髪、くっきりとした二重から伸びる自然に上がった睫毛、ちょこんとついた桃色の唇。目線を下へ移動すれば、スカートが無造作に捲れ上がっていて素肌の太ももが惜しげもなく露わになっていた。


「あ、いまパンツ見ようとしたでしょ!」


「してねぇよ! つか、まだそばかすも落としてねーだろ!」


必死で赤くなった顔を逸らすと、寺島はベッドの脇テーブルに置いてあるメイク落としに手を伸ばした。箱から一枚取って、それをぐいぐい雀の顔に押しつける。


「ん、んん……うっ……あっ……ちょ、ちょっと激しいよ……んっ!」


「おい変な声だすな! そばかす落としてるだけだろーが!」


「ふ~、きもちかった」


「おい……」


「なんて冗談よ、もう寺島氏ったら本気にしちゃってぇ」


 上目遣いで見上げる雀の顔には、さっきまであった茶色のそばかすが全て消えていた。


外出する際に必須な眼鏡も、三つ編みも、そばかすも、全て無くした雀は下界に舞い降りた天使のような輝きに満ちており、それはK18の瀬崎雅にも後れを取るものではなかった。


「これを学園の生徒が見たら驚くだろうな……」


「無理よ。雀はあの眼鏡ないと寺島氏以外の人の顔見れないんだもん」


 この小生意気な天使こそ、金が城学園高校で最高の称号を持つ『純金』。



 K24――『飛鳥馬 雀』である。



「お前の厄介すぎる人見知りのお陰で『主』がいないことをなんど馬鹿にされたことか」


「えー、別に雀がK24だって知られなければ、寺島氏は誰かてきとーな『純金』の名前を挙げてその人の相談係ですって言えばいいんだよ? ブレザーだってすぐに買ってあげるしさ」


 雀の提案に寺島は横に首を振る。そう上手くいかないのが金が城学園高校だ。


「お前は学園に通ってないようなもんだから分からないだろうけど、相談係からしたら『主』の価値は自分の価値だ。容易な発言は命取りになるんだよ」


「むむ? でも今日正体明かしちゃったじゃない?」


「うん。だから逃げる。明日学校休む」


「だめ」


「ですよね」


 雀と寺島は《純金制度》上で『主』と相談係の契約を結んでいる。だが、主に極度の人見知りである飛鳥馬雀の意向と、寺島も目立ちたくないという理由で二人はK24とその相談係であることを一切公表しなかった。


 学園内で例外的に二人が別々に過ごしているのもそのためだ。雀は学園に月1程度でしか通わないため、あまり支障はない。愚痴は洩らすが。


「はぁ、明日からが思いやられる……」


『K』の地位に就く者は、毎年四月に新入生が入る度変動が起こる。


七年前の《戦慄の水曜日》以前から金が城学園高校では『K』は存在しており、創設時から毎年その名に相応しい者が受け継ぐ伝統がある。変動が激しい年もあれば、継続で『K』の名を背負う者が多い年もある。


 中でもK24(twentyfour)は別格な存在。飛鳥馬雀がその名を受け継ぐまでには、十年以上の空白の時代があった。故にK24は伝説的な地位となり、未来永劫に空席状態が続くと誰もが思っていた。



 ――それが去年四月、飛鳥馬雀がその地位を受け継ぐまでは。



「特に試験やら審査やらを受けたわけでもないのに、どうして勝手に選ばれたのかねぇ」


 髪を梳かし終えて、巨大液晶に向かった雀の背中を眺めながら寺島は呟いた。

品格・高尚さ・佇まい・矜持など『K』には雀が持ち合わせていないあらゆる資質が問われるはずだ。


なのになぜ飛鳥馬雀が『K』――しかもK24という最高ランクに選ばれたのか。 



生徒である寺島が知る所ではないが、雀は一つだけ世界中の誰よりも優れた資質がある。それは寺島もよく知っていた。


――《投資の才能》――


 父親が趣味で投資をしているのを隣で見ていた雀は、四歳の時に独学で始め、六歳で世界一の株式投資家と呼ばれた。当然ながら誰も世界一の投資家の正体が日本人の幼女だとは誰も知らない。飛鳥馬雀は正体を世間に現したことも、名前を公表したこともない。全て極度の人見知りのせいだ。


 現在では昔投資の天才と呼ばれたウォーレン・バフェットが到達した利回り20%をはるかに超えて、約35%の利回りをアクティブファウンドで達成した。


彼女は既に業界を超えた生きる伝説。利回り35%というのは、ありえないを通り越して常軌を逸した数字だ。人知を超えた人工知能ですら不可能な数字。未来が透視できる人間以外叩きだすことが不可能な数字。――常軌を逸した才能。


「おー、寺島氏ぃ! 今日も株式市場は良い感じですぞよ!」


 キーボードとマウスを慣れた手つきで動かしながら、雀はグへへと不気味な笑みを浮かべる。寺島にとっては訳の分からない折れ線グラフ的なものが画面に映し出されていた。


「お前にとっては、な。こんな不況の世の中で浮かれてるのは金が城に通うような連中ばっかりだ」


「おっと、君も金が城学園高校の立派な生徒じゃないのかい?」


「……まあ一応そうだけど。でも俺は『純金』でもない学ランの相談係だ。特殊な金が城学園高校の底辺生徒だ」


「今まではそれでよかったかもだけど、今日でK24の相談係としての寺島将生氏が知れ渡った。明日からは同じ平凡な日常を送れるとは思わないよ雀は。違う?」


「…………違う……くないです」


 それを言われたら何も言い返せない。今までもほとんどの場合、寺島が雀に言い返せることは勉強に関して以外なかったのに、昼休みの件を経てさらに言い返せなくなった。


「そうだ。そういえば、あれどこにある? あの宝石」


 思いだしたように寺島が話を変える。今日、雀の家に来たのは目的があった。


「あれ? あー、えーっと、多分物置部屋のどっか」


「一緒に探してくれないのか?」


「むむ? 三分後には『花よりタンゴ』の再放送だよ? 堂妙寺さまだよ! 雀がテレビから目を離せられるかね?」


「はいはいそうでした……。じゃあ、見つけたらちょっと借りてっていいか?」


「いいけど何かに使うの? もしかして売る気? 全然いいけども」


「売らねぇよ。明日もしかしたら使うかもしれないから借りるだけ。すぐ返すよ」


 寺島はベッドから立ち上がり、白の廊下を渡って物置部屋に移動する。一人暮らしにはデカすぎる6LDKの超高級マンション。探し物をするには厄介な家だ。


「はぁ……久しぶりに来たついでに掃除もするか……」


 寺島将生は飛鳥馬雀を『主』に持つ相談係。


 雀と出会ったのは七年前の小学四年生の頃だ。


娘大好きの飛鳥馬源蔵の想いで、中学生になってから雀と寺島は別々に暮らしていたが、護衛以外にも身の回りのことは今も全て寺島が任されている。


 時折面倒なこともあるけれど、寺島にとって雀と源蔵は命の恩人。

自分のことは後回しが基本であり、雀が第一だ。

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