第一章  金が城学園高校相談係②


午後十二時二十分。


ゴーン、と昼休みの始まりを知らせる重低音のチャイムが鳴り響いた。


「じゃ、じゃあ今日の授業はここまで! 宿題はありません!」


新任の教師は手早く授業を切り上げて終わりの挨拶を済ませると、額の汗を拭いながら早歩きで教室を出て行った。


 この学園で教師の雇用契約を握るのは、目の前で授業を受ける生徒。公立高校の倍近くある給与を代償に、毎授業で精神を擦り減らしているに違いない。


教室は一般的な公立高校に支給される古臭い学校机ではなく、大学の講義室のように黒板に向かって緩やかな弧を描いて長机が設置されている。


中央辺りには二台のモニターが吊り下がっていて、最大百名ほど入る教室は後方の生徒も問題なく授業が受けられる。


チャイムが鳴ってから二分ほど経ち、寺島将生もそろそろ動き出そうと思った所で、


「おっと、寺島くん。僕と一緒に昼食どうかな? ほら、『主』がいない似た者同士さ!」


突然、学ランを着た同じクラスの奴に後ろから声を掛けられた。


「いたのかよお前……。急に話しかけんなって。びっくりするだろ」


「ハハッ! それはすまないねぇ」


「つーかなぁ……『主』が失踪したお前と違ってさ、俺の『主』は病欠で学校に通えないだけなの。お前のことは俺も気の毒に思うけどさぁ……」


 席を立った寺島は教師の後に続くように、はぁとため息をつきながら廊下へ出る。


「それに俺だって今日は約束があるんだよ!」


教室にただ一人残る名前も知らないがよく話しかけてくるモブ(寺島がそう思っている)に『お前と俺は違う』ということをはっきり宣言して、寺島は後ろ手に扉を閉めた。


どうしてこんな学校に来てしまったのか。

考えるだけで嫌になるが、入学した以上は仕方がないこと。自分の意思でどうにかなる話ではない。



私立金が城学園高校――

日本最高峰の教育施設であり、貴族の学園。


七年前に起きた《戦慄の水曜日》で東京の半分は崩壊した土地となったが、幸いにも金が城学園高校はその外形を無傷で留めた。


その後、周囲の土地を大富豪が買い占め、自分達の息子や娘を通わせるために増設・改築されたのが現在の金が城学園高校である。


今も昔もお金持ちが通うための学園高校であるのは変わりない――



ただ、それ以上に金が城学園高校は普通の高校とは全く異なる。



壮麗で絢爛な階段を足早に降りて、寺島はそのまま2号館の一階にある食堂へと向かった。食堂は白と金を基調としたガラス張りの開放感あるバリアフリー空間となっている。


「まだ少し席は空いてると……」


寺島は窓際の席を確保した後、唐揚げ定食の食券を二枚買った。おばちゃんから旨そうな唐揚げ定食が乗ったトレーを2つ受け取り、うまくバランスを取って席まで運ぶ。


内装は全て西洋のバロック建築風だ。

そんな所に食券機を置いて白衣のおばちゃんを働かせるなんてこの学園はつくづくおかしいと実感する。


貴族のための学園とはいえ、中央値以下の生徒が日常的に利用する2号館の食堂に用意されたメニューは全て庶民の味だ。

管理が容易くなるのは理解できるが、学園側が生徒間の格差を助長するのは如何なものか。



「おっ、寺島氏! 寺島氏ぃ!」



声に振り返ると、入口の方から三つ編みおさげの丸眼鏡少女が満開のひまわりのような笑顔でこちらへ走って来ていた。


おい、食堂で走るな。走り方変だし。と思いつつ寺島は軽く手を挙げて応える。


「お待たせ寺島氏! 雀が頼んでおいた唐揚げ定食は既に注文してあるのかな?」

「ほら見ろ。ここにあるだろーが」

「おー! やりますな寺島氏!」


 さらに興奮を高めた少女こそ寺島将生の待ち人だ。近くで見ると頬には点々としたそばかすがある。絵に描いたようなオタク系女子だ。


彼女は見た目だけでなく、毎日時間の許す限り恋愛ドラマをBGMで流すほどの恋愛ドラマオタクなのだ。


「いやー、ここの唐揚げは絶品なのですよ。寺島氏も早く食べないと冷めてしまいますぞ?」

「俺が頼んでおいたのに偉そうだな」

「何言ってるんだい寺島氏。偉そうでは無くて偉いのですよ?」

「はいはい。そうだったでしたね」


 嫌味を含んで少女に返し、寺島も箸を持つ。

唐揚げに齧り付くオタク少女の胸元には『飛鳥馬 雀』と書かれたネームプレート、下衿にはキラリと輝く純金のバッジの隣に留めてある。


 ネームプレートは入学当初生徒全員が付けているが、一か月もすると勝手に外すのが普通らしい。


寺島もとっくに外しており、雀が今日までそれを付けていたことに今初めて気づいた。


「どうしたのかな寺島氏。なにか雀についているかね?」

「いや、別に何でもない。それでテストの結果は?」


 昼休みにわざわざ待ち合わせしたのは、雀のテスト結果を知る必要があったからだ。本来の予定では、三限と四限の間の休み時間に確認するはずが、雀が待ち合わせ場所に現れず間に合わなかった。



「あー! 聞いてくれよ寺島氏! なんと数学六〇点、英語六二点、化学五〇点、物理四三点! どうだ言った通り良い点数だろ! 用紙が返却されていない教科もまだあるがなっ!」

雀は勝ち誇ったように解答用紙を取り出し、寺島に見せつけた。



「ふーん。それで現代文は?」

「――っ」

 得意げだった雀の顔が強張る。



「逃げ切れると思ったら大間違いだぞ、雀。すでに現文のテスト結果が帰ってきたことぐらい知ってんだからな。どーせ逃げ切れないことくらい自分でも分かってんだろ?」


「えっと寺島氏、それは何のことかな……?」


「要するにだ、いいから早くその背中に隠した解答用紙をこっちによこせってことだ!」


寺島が立ち上がり、背中に隠された解答用紙を目にもとまらぬ速さで抜き取った。


「えーっと…………現文二〇点だぁ?」


「す、すいません! これは違くて!」


「何が違うんだ言ってみろコラァ」


「でも赤点は回避したんです! だからお許しをー!」


「嘘つけ! この点数で赤点回避できるわけないだろが! 何回言わせれば気が済むんだ!」


「ひぃー!」

 完全な形勢逆転。雀はぺこぺこと何度も頭を下げた。


雀は国語が大の苦手教科だ。

寺島が付きっ切りで指導して毎回何とか赤点を回避しているのを「今回はなんだかいけそー」と謎の自信を持った雀はテスト勉強から……というよりも寺島から逃げ続けていた。その結果がこれである。


「次回からちゃんと勉強しますから、今回だけ許してください。ね? ね?」


「次回のテストまで絶対毎日一〇時間だ」


「じゅ、一〇時間⁉ しかも絶対⁉」


上目遣いで機嫌を取り戻そうとする雀の瞳には雫のようなものが溜って見える。

同学年にしてこれほど厳しいのも訳があった。


七年前の《戦慄の水曜日》――日本中を《催眠術》という言葉で溢れ返させたあの日。


寺島将生は、街で瓦礫の下に埋もれていた所を雀に発見され、雀の父親である飛鳥馬源蔵に拾われた。それ以来、寺島将生は飛鳥馬雀と幼馴染として一緒に過ごしてきた。


寺島は衣食住において一切の不自由に晒されない代わりに、娘である飛鳥馬雀の面倒を見るということを源蔵と約束している。だからこそ、寺島はテストで雀に悪い点数を取らせるわけにはいかない。



万が一の事があっても、雀が落第又は退学になることはあり得ないが――



「それよりもさ、寺島氏。ここ人多くないかね?」


「ん、そうだな。そろそろ集まってきたみたいだし、早く食べて出るとするか」


見渡すと旧校舎の食堂にも多くの生徒が入ってきているのが分かる。

食堂に入ってくる生徒たち――その中でひとり学ランの寺島将生は特に浮いていた。


「ねー、やっぱり寺島氏、その学ラン目立つのよ。ブレザー買ったら?」

金魚のように目を泳がせながら雀が囁いた。


「……仕方ないだろ。学ランこそ『主』が病欠で学園に来てませんって証になんだから」


見るからに高級そうな艶やかなブレザーを着た生徒たちは、通りすがりざま寺島に訝しげな目線を送る。向かいに座る雀も嘲笑の対象になっているようだ。



――それこそが金が城学園高校の歪さでもあり、特徴でもあった。



元々、金が城学園高校は、世界有数の金持ちだけが通う超お坊ちゃま、超お嬢様専用の学園であった。


それが七年前の《戦慄の水曜日》――東京の半分が一度荒れ果てた地になった後、日本の治安も底をえぐるように過去最低となり、今でも治安状況は悪化の一途を辿る。



資本主義による貧困格差は拡大し、街では誘拐や殺人が横行した。特に、金持ちの娘や息子は犯罪の対象となったのは言うまでもない。そんな中、愛娘、愛息子を心配した金持ちの親たちは金が城学園高校の上層部に様々な案を提言した。



結果、生み出されたのが『相談係』である。



金が城学園高校では『純金』の身の回りに関する雑用係として――時には付き人、ボディーガード、護衛として――『相談係』と呼ばれる役職の生徒が個別に仕えることになった。


相談係は自らが仕える『純金』を『主』と呼称する。相談係は『主』のため、延いては『純金』のより良い学園生活のために己の全てを捧げる。


現在の金が城学園高校には『純金』と呼ばれるお金持ちの生徒と、相談係と呼ばれる『純金』の使用人のような生徒が存在する。金が城学園高校は『純金』のための学園であり『純金』が安全に平和に学生生活を送るための学園なのである。


「にしても、さっきからこの学ランはやっぱり目立つみたいだな」

普段は旧校舎の教室でひとり飯を食うから全然気にしてなかったけど。寺島が内心でそう思うと、目の前に座る雀が露骨に嫌な顔をした。


「だから言ったじゃん、やだよ雀目立つのは。いいから早く食べて売店行こ?」


「うん。……って、おい、まだ食うつもりか」


周りを見渡せば生徒は皆純金、相談係に関わらずブレザーを着用している。入学時、相談係の生徒は区別のため学ランかセーラー服を着用する規律が存在するが、数か月経つと『主』によってブレザーに服装を変えてもらえる。


純金のバッジを付けたブレザー生徒=『純金』。


純金のバッジを付けていないブレザー生徒=『主』のいる相談係。


学ランorセーラー=特別な理由のある相談係。


寺島は聞かれる度に『主』が病欠という理由で学園に来ていないため、ブレザーを買ってもらえないという弁解をしている。


ブレザーは相談係のステータスでもある。そんなステータスを持っていない、しかも一応純金であるとはいえ、地味なオタク少女と昼食を共にしている奴とあれば、嫌な視線に晒されるのは当然だった。



寺島が椅子を斜めにして学ランを少しでも隠そうと考えていると、



――食堂の入り口の方がやけに騒がしくなった。

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