第一章  金が城学園高校相談係①


バロック様式から多大な影響を受けて建築された校舎は、まるでヨーロッパにいるような気分を感じさせる。


天井をアーチ状に尖らせた廊下は白光し、談笑しながら歩く生徒たちは、皴一つないブレザーからも気品の高さを漂わせている。


クラシック音楽がかかっていても何一つ違和感のない空間に、穏やかで落ち着いた時間が流れていた。学校というよりは、どこかの大聖堂のようだ。


「どこで何してんだあいつは……。待ち合わせの時間とっくに過ぎてんのによ」


そんな異世界感すらある、エレガントな雰囲気漂うこの学園高校――金が城学園高校内を、寺島将生という男は額に汗を滲ませながら走り回っていた。 


階段を三段飛ばしで走り去る彼は、鴉の羽を思わせる真っ黒な髪に、小刀で薙いだような細い切れ目、苦しそうに顔を顰めて剥き出しになる八重歯が特徴的だった。


もちろん彼も歴とした金が城学園の生徒であるが、よりにもよってここ、金が城学園高校であれば、誰の目から見ても彼が異質な存在に映ることは間違いない。


 証拠に、女子生徒たちは寺島が横を通りかかる度に自らのスカートを抑え、忌まわしいものでも見るような目で彼を一瞥する。


勿論、寺島が何の目的もなく校舎を走り回っているわけでは無い。


待ち合わせ時間を過ぎても一向に現れない人物を諦めて自分から探していた。


「――ったく、あいつめ」


 シャンデリアから漏れる淡い光で包み込まれた木製の階段を息切れしながら登りきると、廊下の先には小柄で地味な少女の姿があった。


「やっと見つけたぞ……この野郎っ……」


三つ編みおさげ髪に眼鏡を掛けたオタク要素全開の彼女もまた、西洋の伝統的建築様式を取り入れた金が城学園高校では異質な存在だ。気配を消すことが得意でなければ、随分目立っているだろう。 



その少女こそが寺島の待ち人である『飛鳥馬 雀』という、名前に動物を連想させる漢字が三つも入った珍しい名前の女子生徒だ。


雀は小さな両手で荷物を不慣れに抱えながら、人が溢れる廊下を地道に進んでいた。 そんな雀の姿は非常に愛らしく、ある程度身なりを整えれば街を歩いても振り返る男はいるはずだ。



「雀! こっちだ!」

 寺島が片手を挙げて名前を呼ぶ。


 廊下の向こう側で雀もはっと顔を上げ、安心したように表情を綻ばせた。

 次の四限の授業まで時間がないことを考え、寺島も雀に駆け寄ろうとした時だった。


――不意に、雀の両肩が男子生徒二人組と衝突した。


抱えていた荷物は床に散乱し、雀は耐え切れずに尻餅をつく形で床に倒れる。


男子生徒二人は振り返って雀の後ろ姿を確認すると、唾を吐くように鼻で笑って元の進路へと足を進めた。明らかに意図的な行為だった。


雀が身分の低い生徒に判別されるのは外見上よくあることだ。

金が城学園高校において、この状況で雀に手を差し伸べる生徒の方が稀だろう。



――ただ、彼らの行いが寺島を刺激するには十分すぎた。



脊髄反射のごとく駆けだした彼の脚は、雀が床に接触すると同時に既に動き出し、電気信号が脳を介して筋肉に伝達したのを疑うほど迅速な駆け出しだった。


姿勢を低く保った寺島は通りすがる生徒たちを潜り抜けると、雀の散乱した筆記用具から一つだけシャープペンを手に取った。


雀にぶつかった男子生徒に迫り、一人の肩を掴む。そして、そのまま相手の身体を翻させ、壁際へ追いやるとスムーズな動きで喉元にシャープペンの先を突き立てた。


この間、わずか3秒の出来事。


ボディーガード、SP、暗殺者。今の寺島の動きはそのうちのどれかにも見えた。




または、そのうちの全てにも。




「ぶつかったら謝るのが常識だって小学校で教わらなかったか?」


初め、肩を掴まれた男子生徒は突然の事態に声さえ喉から出さなかった。しかし、学ランを着た人相の悪そうな男子生徒を確認すると、彼らは鼻を鳴らした。


「……なんだ、お前があいつの相談係か?」


男子生徒は、先ほど衝突した気弱そうな少女の姿と寺島を交互に見やる。


「いいや違うな、ただの友達だ。

俺の『主』は病欠で当分学園には来れないんだよ」


「へぇ……。つーかよ、お前レベルの相談係がどうして『純金』に逆らえるわけ? 学園側に知られたら退学じゃ済まないこと忘れるんじゃねーぞ?」


男は尚も鼻で笑って、余裕の表情を浮かべている。

寺島がわずか三秒の間に廊下の端から端まで駆け抜けてきたことを彼には知る由もない。


「分かってるさ。だけどな、今この瞬間に、このペン先を喉に突き刺せばお前を苦しませることくらい簡単だってことも忘れるなよ」


寺島将生は至極真剣に、余念なく殺気立っていた。


廊下を通り行く生徒たちは、寺島が同級生である男子生徒の喉元にシャープペンの尖った先を突き立て、脅しているという状況には気が付いていない。


寺島の背中で上手い具合にシャープペン――凶器は隠されている。


 もう一人の雀にぶつかった男子生徒も、隣で氷のように固まって身動きが取れなくなって、頬が吊り上がったままだ。表情も完全に怯え切っている。


 注視しなければ、壁際で話し合う男子生徒の小さな集まりに見えなくもないだろう。窓から差す陽射しが寺島の影を膨らませ、男子生徒の足元に伸びた。


「わ、分かった。分かったよ。謝るから許してくれ。な?」

寺島の目を見て殺意におびえた男は両手を上げ、降参のサインを出す。



「ああ、許してやる。だけど勘違いしない方が良い。山崎徹と宮間孝之」



名前を呼ばれた男子生徒の両肩がびくっと跳ね上がった。

なぜ自分達の名前が見知らぬ学ランの相談係に知られているのか。

二人にとっては全く見当もつかないところだが、黒く光る寺島の瞳にそれ以上の思考は停止する。



「山崎製薬の御曹司――山崎徹。そしてその相談係である宮間孝之。お前らが普段から格下の『純金』たちに金をせびっては、相当な金額を巻き上げていることは学園中のみんなが知ってる。家族に迷惑を掛けたくなければ雀を狙うのはやめた方がいい」



全てを見透かされた山崎と宮間は、目尻に水滴を浮かべこくこく黙って頷いた。

彼らの手法は、まず自分より立場の低い人間を学園中で探していじめに発展させる。

あとはやめてほしければ金銭を要求するというものだった。


「じゃあ、行け。謝るのは今度でいい」


拘束が解けると、生まれたての小鹿のように足を震わせて二人は立ち去った。


寺島は内心やりすぎたかな、と後ろ頭を無造作に掻いて怯える背中を見送った後、駆け足で雀の元へ向かった。


「立てるか?」

「ありがとう寺島氏ぃ。だけど今のはちょっとやりすぎではなかろうか?」


雀は散らばった筆記用具を全て拾い終わり、ずれた眼鏡を直してスカートの埃を払った。


「目立ってないし大丈夫だ。あいつら他の『純金』達から金を巻き上げてるって噂で有名だったし、良い教訓になっただろーよ」


「もうあの二人は懲りただろうね。しっかり怯えてたもん」


眼鏡の奥に光る雀のやさしい笑顔を見て、寺島はふぅっと一旦呼吸を整えた。


「あんなの別になんでもねぇよ。誰でも凶器を向けられたら怖気づくのが普通だ」

「そうかな? 雀は怖くないよ――だって」


 雀が微笑む。


「いつだって雀のことは寺島氏が守ってくれるからね」



「ああ。いつでもな」



雀の笑顔には、寺島にとって自分の心を癒すなによりの力がある。が、そんな事を思いながらも口に出すには恥ずかしすぎる台詞で、寺島は胸に留めておいた。


寺島将生にとって、飛鳥馬雀は自分の命にすら代えがたい存在と言える唯一の人間だ。


 ――金が城学園高校には、二種類の生徒が存在する。


『純金』と『相談係』。


『純金』とは、金が城学園高校に通う大富豪、財閥、億万長者といった、世界有数のありとあらゆる金持ちと権力者の御令嬢、御令息の名称。


 そして『純金』は身の回りの雑用係として――時には付き人、ボディーガード、護衛として――『相談係』と呼ばれる役職の者を側近に仕えさせることができる。

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