第2話 憶えてないの……?

 しろみちゃんはそれから帰ってこんなことを思っていたらしい。


 しろみ「あの未咲さんって人、わたしのフルネーム知らなかったんだ……」


 それってじつはそこまで興味なかったんじゃないかって。ほかに好きなアイドルの子とかがいたんじゃないかって。


 しろみ「わたしもまだまだだったってことかなぁ……でもいっか、最後にちゃんと伝えることができたし」


 そうとらえることにした。


 しろみ「でも、それはそれでもやっとするなぁ……」


 ファンはそこまできっちりおさえてくるものだって思ってた。でも未咲さんはそうではなかった。


 しろみ「ま、そういうファンの方もいたにはいたけど……」


 そういったファンの人ってあまりいい印象がない。そういう一種の刷り込みのようなものがあった。


 しろみ「未咲さんはそこまで悪い人ではなさそうだったし、完全に覚えてなくてもいいんだけど……」


 やっぱり引っかかる。あまり考えてもしょうがないんだけど。


 しろみ「もういいや。寝よ」


 欲望を解放した疲れで、その日はこてんと寝てしまった。


 ♦


 うみ「おーい、おせぇぞ春泉。あたしもう走り飽きたんだからな」

 春泉「待ってよ、ウミ……ハルミ、モウウゴケナイ……」

 うみ「真琴ってやつに吹き込まれて、あたしついにこんな感じになっちゃったな……いい顔してた、あいつは」

 春泉「うぅっ、キモチワルイ……」

 うみ「おいおい吐くなよ? ここでやっちゃったら誰が片づけるか知ったこっちゃないんだから……」


 そこはお世辞にもきれいとは言えない場所。そんなところでやっちゃったらここを余計に汚すことになりかねない。


 春泉「うん、なるべく耐えてみるよ……」

 うみ「そうしてくれ」


 そういってまた颯爽と走りだすあたし。春泉は案の定ついてこれてない。


 春泉「ウミ、ハルミもう走れない……おろろろろ」

 うみ「あぁ……ついにか……」


 恐れていたことが起きてしまった。なんていうか、あたしもなさけない。


 うみ「悪い、きょうはもう休もう」

 春泉「うん、ごめんねウミ……」


 春泉はやっぱり日本語があまりじょうずじゃない。あたしが使えすぎていることがあるのかもしれないけど。


 春泉「ハルミ、もっといいオトナになると思ってた……」

 うみ「うん、わかったから歩こうぜ」


 やさしくぽんと背中と叩くと、まだ吐き足りなかったのか残ってたぶんを出した。


 うみ「あー、これ誰か清掃してくれんのかな……」


 それも申し訳ないと思い、あたしはなんとか協力者をつのってそこを片づけた。


 うみ「これでよし、と。ん……なんか視線が……」


 物陰からのぞくなにかを感じとり、あたしはポーズをとった。


 うみ「誰だ! そこにいるのは!」


 ひょこっと姿を現したのは、首輪もついてない一匹の犬。


 うみ「おん……? 野良犬か……?」


 保健所に届けなきゃいけないと真っ先に思ったものの、ふだんそんなことをしないのでとっさにはその行動には移せなかった。


 うみ「しょうがない、〇るか……」

 ロコ「だめだようみちゃん!」


 これまた突飛な考えだ、と思ってたところに正義の声。誰かと思えば……。


 ロコ「そんなことしちゃだめ! ワンちゃんだって悲しむんだから!」

 うみ「ロコ……お前ってやつはいつもいつも……」

 ロコ「いつからそんなになっちゃったの?! だめだよ、戻らなきゃ!」

 うみ「つったってなぁ……ぽろっと出ただけだよ、本気じゃないって」

 ロコ「だとしても、もっとたいせつにしなきゃだめ!」

 うみ「わかったよ……で、こいつどうしたらいいんだ?」

 ロコ「それについてはもう連絡済み。だからうみちゃんは心配しなくていいの」

 うみ「そっか。ロコは動物思いだな」

 ロコ「えへへ……」


 昔からこいつはほんとに動物が好きだった。動物にまみれて死にたいって言ってたくらいだ。意識が違う。


 ロコ「わたしね、『生類憐みの令』が現代によみがえってもおかしくないと思うの」

 うみ「似たような考えなら現代にもあるんじゃないか? ちょっとすまん、具体的な例は出てこねぇけど」

 ロコ「とにかく、動物さんだってわたしたちと同じいまを生きてるんだから、さっきみたいなこと言っちゃだめだよ、うみちゃん?」

 うみ「わーったって」

 ロコ「返事がてきとうだよ! もっとちゃんと言って!」

 うみ「はい、今後もう言いません」

 ロコ「それでいいの」


 むすっとした顔から、満足したといわんばかりにロコが笑む。たいしたやつだ。


 ロコ「あんまりひどいこと言ったらチョーク投げるよ? 覚悟しておいてね?」

 うみ「お前は学校の先生かよ……」

 ロコ「だってだって、うみちゃんと一緒だとどうしても思い出すから……」

 うみ「それはあたしもある。なんか思い出すんだよな、ふと」

 ロコ「ふだんはぜんぜんそんなこと考えないのにね~、ふしぎ~」

 うみ「な」


 ふたりして笑っていた。覚えてることは少なくても、こうしてここにいる。

 それだけでいいじゃないか。そう思えた。


 うみ「おっ、そろそろ時間か」

 ロコ「なんの時間なの、うみちゃん?」

 うみ「真琴と会う約束してる。あいつとはよく気が合うんだ」

 ロコ「そっか、よかったね」

 うみ「ロコはさみしくないか? あたしと会える時間少なくなってるけど」

 ロコ「へいき。あの頃の思い出があったら会えなくてもぜんぜん」

 うみ「そっか。いろいろすまん」

 ロコ「いいの。ほら、行っておいで?」

 うみ「うん、ありがとな、ロコ」

 ロコ「早く行ってあげて。真琴ちゃんと会える時間が少なくなっちゃうよ?」

 うみ「そんな急がなくたって……まぁそうだよな、じゃあ行くぞ?」

 ロコ「もう、早く行って! わたしのことは気にしなくていいから!」

 うみ「わかってる」


 話が長くなりながらも、あたしは駆け出した。


 ロコ「……春泉ちゃん、だいじょうぶ?」


 ずっとしんどそうな春泉ちゃんに声をかけるべきかどうか迷ったけど、通行人たちにいつまでも心配されたくないかもしれないと思って話しかけた。


 春泉「うん、もうちょっとで回復するから……」

 ロコ「お水もってくる? ちょうど飲み干しちゃって……」

 春泉「いい、ハルミもってるから……」


 そう言って、なんとか春泉ちゃんは水筒に入ってたお茶に手をつけて飲み干した。


 ロコ「どう? ちょっとはよくなってきた?」

 春泉「うん、ハルミそんな気がする……」


 まだちょっと吐き気があるみたいで、中身は出なかったけど苦しそうだった。


 ロコ「病院で診てもらう? わたし病院代くらいなら出せるから……」

 春泉「ハルミ、そこまでお金もってないことはないよ……」


 ちょっとバカにされたように感じたのか、春泉ちゃんをむっとさせてしまった。


 春泉「ハルミ、この国に生まれてよかったって思ってる」

 ロコ「急にどうしたの、春泉ちゃん?」

 春泉「ハルミがちょっと思っただけ。深いイミはないよ」

 ロコ「そっか、じゃあわたしもちゃんとは訊かないね?」


 春泉ちゃんは深くないって言ったけど、ほんとはそうなんだろうな……。


 春泉「ふぅ、ちょっと落ち着いた」

 ロコ「よかった……春泉ちゃんに倒れられたら、わたしがびっくりして死んじゃうところだったんだから……」

 春泉「心配にはおよばないよ、ロコ。ハルミには進くんっていう強い推しがいたから」

 ロコ「それって、未咲ちゃんが同棲生活してるって言ってた子だよね?」

 春泉「そう。ミサキがぴったりって言ったけど、ハルミやっぱりちょっとうらやましい……」

 ロコ「しかたないよ。進くんが未咲ちゃんがいいって言ったんだから」

 春泉「そうなんだけど……」

 ロコ「きっと春泉ちゃんにも、お似合いの相手が見つかるよ」

 春泉「だといいんだけど……」

 ロコ「いこっ。もう立てるでしょ?」

 春泉「うん、さっきよりましになった気がする……」


 ちょっと顔色がよくなったところを見計らって、わたしがそう呼びかける。


 瑞穂「ふぃー、都会は少し息がつまりますねぇ」


 小さい影が見えた。つんとした目つき。見覚えのある顔だった。


 ロコ「……瑞穂ちゃん?」


 声をかけると、いやそうな視線をこちらに送りながらゆっくり近づいてくる。


 瑞穂「なんですか? 田舎生活で腰がぐんときたえられるどころかいわせまくっちゃってしまっていたわたしになにか用ですか?」

 ロコ「瑞穂ちゃん……」


 さすがに現代っ子で、便利な道具を使ってると思ってたけど……。


 瑞穂「農具マシーンは維持費がばかになりません。わたし、完全になめてました。しかしもうその心配はいりません。わたし、やっぱり都会がいいです!」

 ロコ「そうだったんだ……」


 一度田舎に行く意味はなんだったんだろう。苦労を買ってしたってことなのかな。


 瑞穂「ほんとなさけないですよね。意気込んで『わたし、一生ここに住む!』って決めたようなものなのに、ここにすんなり戻ってきてしまって……」

 ロコ「そんなことないよ、瑞穂ちゃんは十分えらいから……」

 瑞穂「そうですか? お褒めにあずかり光栄です。出せるものもありませんが、これからもどうぞよろしくお願いします」


 やっぱり小さい頭を下げながら、わたしに言った。


 ロコ「うん、これからまたよろしくね、瑞穂ちゃん」

 瑞穂「さっそくですけど、わたし身ひとつでここに来たので、あした着る服にも困っている状態です。不束ですが、ロコさんのおうちに泊めさせてもらえないでしょうか?」


 やけにかしこまっているような気がして、わたしは止めたくなった。


 ロコ「いいよいいよ、そんなに気を遣わないで。そっか、たいへんな思いしてここまで来たんだね……どうぞ、わたしの家まで案内するね? あっ、でもその前に春泉ちゃんのこと……」

 瑞穂「それならわたしが……」

 ロコ「そんな、へろへろになってる瑞穂ちゃんこそちゃんと休んだほうが……」

 瑞穂「わたしなら平気です! 農耕生活で鍛えられたこの身体さえあれば……ひゅーっ」

 ロコ「瑞穂ちゃん?! みずほちゃーん!」


 いっきにふたりも体調のすぐれない大人を目にして、どうしたらいいかわからなくなっちゃったわたし。


 ロコ「えぇと、とりあえず瑞穂ちゃんに関しては救急車呼んだほうが……でもそうなると春泉ちゃんが……これ、ふたりともなのかなぁ……どうしたらいいの……?」


 慣れないことだったので、周りの大人と協力して瑞穂ちゃんに関しては病院へ。春泉ちゃんは自宅で安静にさせた。


 ロコ「一時はどうなるかと思ったけど、ふたりとも無事でよかった……」


 確実なことなんてないんだと、このとき知ることになった。


 ロコ「しっかり者みたいに見えてた瑞穂ちゃんも倒れるなんて……」


 そういうこともあるよね、って思うようになっていった。


 ロコ「わたしもしっかりしないと、だよね……」


 頼れる人もすくなくなっているのかな、なんて思うこともあった。

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