第8話 ジャージ探偵

 週末の東京都文京区ぶんきょうく本郷ほんごう


 女性専用のオートロックマンションの自室は静謐せいひつに満ちている。

 3年生に上がりキャンパスが駒場から本郷に変わる際に引っ越したが、絵馬えまはこの環境を非常に気に入っていた。

 大学1~2年生の頃は、井の頭線沿線に住んでいた。始点から終点まで約30分という短い線路の中に、渋谷しぶや下北沢しもきたざわ明大前めいだいまえ吉祥寺きちじょうじと遊ぶ場所が詰まっていたが、猥雑わいざつな好奇心は2年間あれば充分に満ち足りた。

 この春、キャンパスの移動に伴って落ち着きのある本郷に移り、時期的にも精神的にもライフステージが進んだと絵馬は自覚している。


 絵馬は静けさの中、高校ジャージに瓶底びんぞこ眼鏡で机に向かっていた。大学からつけるようになったコンタクトレンズは入れていない。インターン中は気を遣っている髪型も、ひっつめにして無造作に束ねている。

 この格好は、絵馬が受験生の頃を思い出して身を引き締める、勝負の装いだった。


「…………」


 口を一文字いちもんじに結んだ絵馬の手には、一冊の本が広げられている。


 通販で購入した、昨年の黄昏賞たそがれしょう作品

『チュパカブラ連続殺人事件』

 だった。


 文庫ではなく単行本、これは……その中のハードカバー。そういう分類だと、すぐるが教えてくれた。

 文庫でなく単行本を選んだのは、巻末に最終選考の選評が載っていると聞いたからだ。有栖ありすが教えてくれた。


 インターンの初週は、文芸の世界について申し訳なさを募らせる日々だった。


 この分野において私は、卓や有栖と比べるまでもなく未熟だ。

 恥をかいたり、低評価を受けるのは、べつにかまわない。

 だけど、私に当たってしまった応募作がハンデを背負ってはいけない……


 かつて高校3年生だった頃、東都大とうとだい入試の特徴である論述試験の講座を受けた。

 東都大の入試は、世界史や日本史ですら原稿用紙数枚分の論述問題が出る。

「800字で、○○の変遷へんせんと○○に対する影響について述べよ。必ず、以下の10個の指定語句を用いること……」

 というような問題だ。

「あるテーマについて、その沿革と歴史的意義について、時代と地域を横断する形で50分の講義をしなさい」と言われているようなものだ。しかも、研究者ですら意見が分かれているような内容で。

 挑戦的で思考遊びを好む絵馬は、そういった論述には自信があった。

 しかし、答案を採点するのは予備校が雇ったアルバイトの大学生だった。その学生たちは東都大生ではなく、論述問題など触れたこともない学生たちだった。

 後日、採点が終わったと連絡を受けて窓口に行くと、学生が首をかしげながら答案を渡してきた。そもそも採点できる能力にないと感じる、赤の入れ方だった。

 その結果を見た母親に、東都大は諦めろと言われた。

 絵馬は予備校の看板講師にアポイントを取り、答案を持ち込んだ。

 講師は静かに答案を眺め、絵馬の得点は3倍に跳ね上がった。

 時空の縦糸も横糸もよく編み込まれており、隙が無い。

 東都大の受験者の中でもトップクラスだと言われた。

 そして、最初の採点について謝られた。

 

 もしあの時、自分が最初の採点を信じて東都大を諦めていたら……?

 自分は採点がおかしいことに気づけたが、不安を抱えて受けた受験者の中にはあの採点結果を信じた生徒も多かっただろう。

 評価とは、向こう数ヶ月や向こう何年の努力の方向性すら決めてしまうのだ。

 今、自分があの採点者になりかけていると思うと、恐ろしい。

 責任が無いぶん、自分は被害者ではない。加害者になりかけている。


 絵馬はほこりのためかつぐないのためか、休日をして黙々と『チュパカブラ連続殺人事件』を読む。


 そして、100ページほどが過ぎた頃だった。


「…………え?」


 館での連続殺人の犯人は――チュパカブラ!?


 衝撃の展開だ。

 伝説の珍獣ちんじゅうチュパカブラがいるという孤島にやって来た調査隊。

 彼らは放棄された洋館を見つけて、調査の拠点とする。

 しかし、そこで次々と発生する不可解な連続殺人。

 まさか、チュパカブラの仕業か?

 そんなはずはない。この計画性……人間の仕業だ!

 調査隊員の中に犯人がいると確信する浩介こうすけ弥生やよい。二人は約100ページをかけて、生き残っている隊員たちのアリバイを聞き出し、整理していった……

 その結果、一人の怪しい人物が浮かび上がった。それは親友の健二けんじ――


!?」


 嘘、嘘でしょ、嘘だよね?

 しかし、場面はすでにチュパカブラの大群vs調査隊の戦闘シーンに入っている。

 やつらは火に弱い――

 火を使って一度は撃退に成功するも、火を恐れない親玉キングチュパカブラの侵攻が始まる。

 館の正面扉が、キングチュパカブラの体当たりできしみをあげる。

 きしむ扉を見ながら、大広間で浩介は言う。

 そうか……そういうことだったのか……みんな聞いてくれ。謎は全部解けた……!

 屋上へ避難しようという話であったにも関わらず、浩介は推理ショーを始める。

 生き残っている面々も足を止めてそれに聞き入る。

 あれもこれも、キングチュパカブラの仕業だったんだ……なぜならあのとき……

 みんなが足を止めて100ページほど聞き入った頃、ついにキングチュパカブラが館の扉を打ち破る。みんな、急いで屋上を目指す。逃げ遅れた健二けんじが、チュパカブラの餌食えじきとなる。

 健二……! くそ、俺のせいだ……! 俺に力が無いばかりに……!


「いや……力とか関係なしに、推理ショーを始めたあんたのせいでは……?」


 そもそも、チュパカブラ出てくるまで健二が犯人だと疑ってたし……


 脱兎だっとのごとく屋上のヘリポートへ逃げる面々。


「屋上にヘリポート……?」


 狼煙のろしを上げ、通信機でヘリを呼ぶ浩介たち。


「どうして一度撃退した時にそれをしなかったの……?」


 屋上の扉のドアノブがゆっくりと周り、登場するキングチュパカブラ。


「どうしてバリケードを作らないの!?」


 キングチュパカブラと、浩介の激しい戦い。

 嵐の中、救助に来たヘリから落とされるロケットランチャー。

 浩介がロケットランチャーを放ち、キングチュパカブラと洋館は爆発(?)

 みんなはヘリに乗って助かったが、爆発に巻き込まれた浩介は生死不明。


 ――完――




「…………ふ~」



 絵馬は、深呼吸をした。



「…………」



 次に、ひたいに手を当ててうなだれた。



「え~~~……」



 目をつぶり、感情と理性の妥協点だきょうてんを見出そうとした。



「わからない……どこが面白いのか……なんで黄昏賞なのか……」



 絵馬は机に突っ伏した。



「私、文芸は無理だよぉ……」



 そして、眼鏡を外して泣いた。


 たぶん私は、人の心がないのだ。

 きっとこの黄昏賞作品が映画化されて、私はデートでその映画に連れて行かれて、白戸さんみたいなイケメンの彼氏は「深い……」とか「泣いた!」とか言うのに、私はさっぱりそれがわからなくて……


「うあああああ私かわいそうモード終わりッッッ」


 絵馬はくじけそうになる心を奮い立たせ、叫びと共に顔を上げた。


 なんでわざわざ文庫本より高い単行本を買ったのか、思い出せ。

 巻末に選評があるからだ。

 最終選考の選評を読めば、なぜこれが大賞なのか納得できるにちがいない。

 私に欠けている視点を補ってくれるにちがいない!


 絵馬はページをめくる。


 これが……最終選考の選評……!


――――


 第41回「星月社 黄昏賞」最終選考 選評


 応募作140作のうち、以下の4作を最終選考とした。

・『トリップ探偵 雁木がんぎマリ』 

・『犯人は異世界に転生した』 

・『チュパカブラ連続殺人事件』 

・『むげんやかたの密室』 


 選考委員は

 澤麦さわむぎ伸粒のぶつぶ(作家)、尾形おがた啓介けいすけ(作家)、しょく博和ひろかず(作家)、赤池あかいけこん(作家)



――澤麦伸粒――


 最終選考4作のうち、明確に上と下が分かれた内容に思う。

 上作じょうさく

『トリップ探偵 雁木マリ』

『犯人は異世界に転生した』

 どちらも、出版前の作品であることを忘れて楽しく読ませてもらった。

『トリップ探偵 雁木マリ』は旅行トリップと買い付けが趣味の内気な少女・雁木マリが、旅先で出会う様々な事件の容疑者として疑われるも、トイレに入って様々な「おくすり」を使うと「覚醒」し、天才的な推理力を発揮するというコメディ・ミステリ。「真実は、わたしがキメる!」。完全にキメてしまっている。

『犯人は異世界に転生した』は、名探偵に追い詰められた犯人が走行中のトラックに身を投げ、異世界に転生する所から始まる2つの世界を使ったスペクタクルなものちょう。本筋とは関係ないが、何度も警察につかまるトラックの運転手さんがかわいそうである。

 どちらも作者の野性味やせいみあふれる才覚さいかくがのびのびと発揮されつつも、作品性と商品性の両立が図られており、優れた腕前に思う。特にトリップ探偵は、「覚醒」中のリアリティについて誰も突っ込める読者がいないという、発明的な要素を誇っている。突っ込む者がいたとしたら、それは逮捕と隣り合わせだからだ。案外、雁木マリが真っ先に捕まえるべきは作者なのかもしれない。

 下作げさく

『チュパカブラ連続殺人事件』

『∞館の密室』

 どちらも光るものはあるものの、諸々もろもろにおいて荒削りな内容だ。

 小説は面白ければ何でもありだが、何でもありなら面白くなるとは限らない。物語の面白さを構築する地力とは何かを見定めて、さらなる研鑽けんさんを期待する。



――尾形啓介――


 昨年に続き、どれもいまいちというのが正直な感想です。

 私としては、書き手はネタで勝負するのではなく、自身が逃れられないごうで勝負してほしい。なぜなら、アイデアは1回で使い切りですが、業は執筆のたびに作者にまとわりつき、同時に作者を磨き続ける存在であるからです。また、書き手が自らの業と向き合うということは、他者や社会――人間存在と向き合うということでもあります。月並つきなみな言葉で言えば「逃れられない自分らしさとの対峙たいじ」ということです。アイデア頼み=借り物競走では一度はうまくいっても次は苦しい。瞬間的に作家になれても作家として残れない……その事実を忘れず、視座しざを高く持ってほしいのです。

 本年は受賞作なしでもいいと思いますが、あえて4作の中で可能性を探るならば

『トリップ探偵 雁木マリ』

『犯人は異世界に転生した』

 でしょうか。

『チュパカブラ連続殺人事件』と『∞館の密室』は本当に最終選考の対象なのか、誤ってちがう原稿が紛れ込んだのではないかと、編集部に問い合わせるほどでした。編集部は選考方法について、再考が必要だと思います。



――蜀博和――


 うーん。ううううん……

 小説というのは誰が描こうとも、長所と短所を兼ね揃えるものです。それは仕方ないとして、やはり短所よりも長所が大きく優れていてほしいというのが、読者の願いでしょう。それは、読み手がプロでもアマでも関係のないことです。

 今回の4作は、長所も大きければ短所も大きい、という傾向がありました。長所がないわけではありません。そして、わずかに長所が短所を超えているのが3作、という具合でした。

『トリップ探偵 雁木マリ』は、非常に高い技量を持ちつつも、アクセルべた踏みで暴走する殺人カーです。よほどのミステリ狂でないと、同乗者は失神してしまう。他作で様々な名探偵が起こす神がかりを「おくすり」でもキメてるからだろうという諧謔かいぎゃくはわかるのですが、上級者向けすぎて読者を選んでしまいます。もう少し、歩み寄りの心がほしい。

『犯人は異世界に転生した』は、風呂敷ふろしきの広げ方が魅力的な作品ですが、たたみ方については残念な出来に終わりました。作劇を要素の足し算のみで行っているのが明白なので、引き算を覚えてあと一回り完成度を上げてほしい。その観点から提出前にあと数周ブラッシュアップしていれば、魅力的になり得たと思います。

『チュパカブラ連続殺人事件』は、意外性はありますが……その意外性が面白いかというと疑問です。また、思いきりの良さとただの雑さが混在している状態です。プロを目指すのなら、粗雑さを残して開き直ってはいけません。

 以上の3作品が、一応読める、と感じたものです。今年は、受賞作なしでもいいと思います。昨年もそう書いた気がしますが。

『∞館の密室』は、ミステリとして成立していないと思います。思いついたトリックを成立させるために、キャラクター全員(探偵や犯人含む)を不自然に間抜けにしてはいけません。また、犯人の犯行に運が味方しすぎています。まずは、それらを避けても成立している先人の傑作ミステリを読むことから始めるべきでしょう。



――赤池紺――


『トリップ探偵 雁木マリ』と『犯人は異世界に転生した』は、ミステリと呼ぶにはトリック外に意識がいきすぎていて、未満の作品である。見所は無い。

『チュパカブラ連続殺人事件』は、傑作けっさくである。この展開を予想できた読者はいないだろう。孤島の洋館という王道を斬新ざんしんなアイデアで拡張した新時代のミステリであり、文句なしでトップの作品である。

『∞館の密室』は驚天動地きょうてんどうちとも言える大仕掛けにまいったが、『チュパカブラ連続殺人事件』が持つ完成度には一歩及ばない。応募年がちがっていれば、大賞を取れていた可能性は高い。今年度、最も不運な作品である。



――以上4名の審査により

第41回星月社黄昏賞は『チュパカブラ連続殺人事件』に決定された。




「…………」




 ジャージに瓶底びんぞこ眼鏡の絵馬は、静かに選評を見つめていた。


 その目には、冷静に資料を読みこなし、数々の難問を解いてきた怜悧れいりさが戻っている。


 違和感。

 論理の衝突と矛盾、因果いんがの不整合。

 頭にチカチカと光る、赤へと変わろうとする黄色信号。


 4つの選評……

 なんだかんだ言って……

 3つは同じ方向を向いていて……

 1つだけちがう方向を向いている……


 文芸への自信はない。

 だが「次の文章を要約せよ」は、浴びるように解いてきた過去がある。

 

 これ……


『トリップ探偵 雁木マリ』か『犯人は異世界に転生した』が勝つべきだったんじゃないの?

 

 でも……

 勝利したのはチュパカブラ……

 まさか不正……?

 いや……そうか、採点が3段階じゃなくて4段階なら……

 たぶん図表化すると……


    ト異チ∞

 澤麦 ○○△△

 尾形 △△××

 蜀  △△△×

 赤池 ××◎○

 合計点4453


 こういうこと……?


「だとしたら、不正じゃない……」


 その可能性に、絵馬は少しほっとする。



 でも……

 それはそれで、もっと厄介なことかも。



 絵馬は、PCを立ち上げた。

 そして、検索欄に「黄昏賞 チュパカブラ 評価」と打ち込んだ。




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ノックバック・リベンジ 糸魚川鋼二 @koji_itoigawa

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