第7話 隠された地雷

 全員分の面接が終わり、泰造たいぞう文彦ふみひこを他部署に引き渡して文芸編集部に戻ると、帰り支度をスーツの学生たち――すぐる有栖ありす絵馬えまが待っていた。


白戸しらとさん、お先に失礼します」

「白戸さん、来週もよろしくみゃ~!」

「ちょっと有栖ありす、失礼でしょ」

「ん? 絵馬えまちゃん……焼き餅かみゃ?」

「ちょ、ちょちょちょちょ、そそそそそ、そんなんじゃないし!」

「絵馬、白戸さんは既婚者きこんしゃだよ」

「すす、卓も、冷静につっこまない! し、失礼しまひゅっ!」

「噛んだ」

「噛んでない!」


 3人は冗談を言い合いながらフロアを出て行く。

 地方から来ている有栖と卓に、絵馬がおすすめのディナーを紹介するらしい。

 大喜びで甘えようとする有栖、それをあやす絵馬と卓は、まるで親子のようだ。


 白戸は3人を笑顔で送り出すと、自席に戻ってPCに向かい合う。

 引き直したスケジュールを関谷せきや編集長宛てに送信すると、今日の分の選評シートに目を通す。卓と有栖がそれぞれ読んだ作品に高評価をつけていたので、その原稿の梗概こうがい(応募者が全体のあらすじを書いた紙)と冒頭の50ページに目を通す。なるほど、決定的とまではいかないが、最終選考まで残る可能性はありそうだ。白戸はその作品のタイトルを頭に入れる。さらに、担当作家たちとのメールのやりとり、単行本の装丁について書籍部から来ていた相談への返信……


 一通り目処がついた頃には、夜の10時のを過ぎており、編集部の中には自分一人となっていた。妻には、「夕食は別ヽ(ΦωΦ)ノ」とLINEを送っている。

 白戸は伸びをしてから首と肩を回し、大きく深呼吸した。


 自分の見込み違いで、欠員二名。

 初週で二人も脱落者が出たのは、つつかれるだろうな。

 だけど、黄昏たそがれ賞の置かれている状況に比べれば、きっとそれすら些細ささいな問題……


 白戸はキーを叩いて、ある書名で検索をかける。

 すぐに大手通販サイトの販売ページが出てきた。



────

 第40回黄昏賞受賞作『バミューダトライアングル殺人事件』

 平均レビュー:3.1/5点(132件)

 最も参考になったレビュー:

「密告フェスの再来。なぜこれが受賞作」

────


 白戸はごくりとつばを飲み込む。

 ゆっくりとページを下にスクロールする。

 潜れど潜れど、低評価と怒りの感想をぶちまけたレビューが途絶えることはない。そして、低評価のレビューほど「参考になった」票を入れている数が多い。評価平均3.1は、大荒れと言ってもいいほどの評価だ。


 白戸は息をいて、翌年――去年の黄昏賞作品を検索する。



――――

 第41回黄昏賞受賞作『チュパカブラ連続殺人事件』

 平均レビュー:2.8/5点(92件)

 最も参考になったレビュー:

「超かくれんぼ級。嘘だと言ってくれ星月せいげつ社」

――――


「ひどい」「持ち上げて宣伝した関係者すべてを恨む」「二度と黄昏賞は買わない」「星月社やばいのでは」「黄昏賞が黄昏れてる」「一番やってほしくなかった犯人」「アリバイ崩しは何だったのか」「テーマはともかく文章が死んでる。砂を飲まされるような文章」「復讐のキング・チュパカブラがドア叩いてるのに、100ページの推理ショー始めないで」「100ページも頑張ってドアを叩き割ったキング・チュパカブラさんの努力だけが見所」「登場する女性キャラのメンタリティが昭和すぎて、差別的だと感じました」「ギャグシーンとして書かれている箇所(?)がいじめシーンに見えて、全然笑えなかった。いじめを見せられて、面白いだろと言われ続けた気分」「主人公の会話のノリがうざくて辛かった。こんなに、終始ハイテンションの人間っていますか? 漫画みたいでした」「チュパカブラの描写が甘い。ちゃんと捕獲してから書いてほしい」……


 記録的な低評価。

 阿久津あくつくんの黒歴史『超かくれんぼ』ですら2.9なのだから、それを割る低評価!



 わ  か  る



「白戸ォ」


「はっ!?」


 文芸編集部の入り口に、禿頭とくとう骸骨がいこつのような男が立っていた。真夏だというのに、しわだらけの灰色の背広をまとっている。


 滑川なめりかわ秀明ひであき。白戸の5つ上の編集者だ。

 そして、去年・一昨年と、黄昏賞の下読みインターンの指導員を任された人物だった。


「なんや貴様……まるで去年と一昨年の黄昏賞のレビュー見て、『わかる』って言いたそうな顔しとったぞ」


 なんてかんの鋭さだ……!


 白戸は顔に笑顔を貼り付けて応じる。


「まさかまさか。バミューダトライアングルも、チュパカブラもいい作品ですよ。選考委員の先生たちが選んだのですから」


「……貴様。それ、嫌味で言うとんのか?」


「とんでもない。僕は去年まで黄昏賞の外にいましたから、選考過程に口をはさめるわけも」


「じゃあ本心で言うとんのか。


 滑川が、全身から凄味すごみを放った。

 次の一言、冗談では済まさんぞ――

 漆黒しっこくのオーラがそう告げている。


 社会人の基本は「何でもめる」だ。

 だが、審美眼しんびがんが実力に含まれる専門職には「褒めたら負け」な状況がある。

 目利めききとして褒めてはいけない作品や要素を褒めると、真に褒めるべきものが寄りつかなくなるからだ。

 そして、企画会議などの場では、作家も編集者も審美眼を戦わせる。それが求められるし、それを避けて良作りょうさくが生み出せるほど、娯楽エンタメ産業は甘くないからだ。


 滑川は今、昨年・一昨年の黄昏賞受賞作に対する、白戸の認識を問うていた。


「……」


「俺たちしかおらん。あ? これでも白戸クンはお利口さんか?」


 ……その手には乗らない。

 ここで素直に「チュパカブラはつまらないです」とでも言えば、それは大きな隙をさらすことになる。


「……まあ、去年も一昨年も、碇先生の新刊の方が面白かったですね」


「ケッ……うまいこと言いよる」


 その通りだよ――

 滑川はそうつぶやいた。


つら貸せ。煙草たばこ吸いたいんや」


「服が煙草臭くなるの、嫌なんですよねえ」


愛煙家あいえんかの先生たちにチクるぞ。白戸がこんなこと言うとりました――」


「わかりましたよ。滑川さんには、聞きたいこともありますから」


 二人は、編集部の隅に作られた喫煙室に移動した。

 オオオ……と大型の換気扇が、うなり声を上げて回っている。

 煙草を吸う人間にとっては憩いの場所らしいが、吸わない白戸にとっては居心地の悪いガス室だ。


 白戸は、滑川が紫煙しえんを吐き出したのと同時に尋ねた。


「滑川さん。昨年と一昨年って……本当に無かったんですか? バミューダやチュパカブラを超える作品」


「いきなりやな」


「さっき、編集者の眼に賭けて答えましたからね」


 だからお返しだ、そちらも包み隠さず話せと、白戸は言外で語る。

 滑川は再び煙を吸い込んで吐き、言った。


「……豊作ほうさくの年ではなかった。ツイてないと言ったら応募者に失礼やが、どちらかというと不作ふさく寄りの年だった。だがそれも……全体的な話や。バミューダやチュパカブラ以上が1つも無かったかというと、俺はそうとは思っとらん」


「では、なぜ……」


「ふん、やらしい小僧や。わざわざ、俺の口から言わせようとする。目ざといお前のことや、単行本の巻末選評は読んどるやろ。アタリはついとるくせに」


「……」


「お前が『嫌な予感』を持ってるとしたら、それは当たっとるぞ」


「ということは……」


「一度しか言わんからよう聞け。

 巻末選評には載ってない、最終選考の具体的な評定ひょうていや。


 バミューダの年は

    1234

 澤麦 ○○△△

 尾形 ○△△△

 蜀  △△△×

 赤池 ××◎○


 チュパカブラの年は

    1234

 澤麦 ○○△△

 尾形 △△××

 蜀  △△△×

 赤池 ××◎○


 ……以上や」


 暗号のようなそれを、白戸は脳内でリストに組み上げた。

 各回の最終選考に残った4作品を、選考委員の作家4人がどう評価したかという表だ。

 

 審美眼について定評のある澤麦さわむぎ先生。

 常に厳しくつける尾形おがた先生。

 1つを選ぶことに消極的なしょく先生。

 この3人は、誰もが認める文芸界の中年エース3人だ。

 そして……

 かつて一時代を築いた、大御所の赤池あかいけ先生……



「わかるやろ。バミューダ-もチュパカブラも、3の列や」



 白戸は驚愕きょうがくに固まった。

 中年作家3人の意見は、バミューダ、チュパカブラは低評価で一致している。

 第40回も第41回も、三人が推しているのは1か2の作品なのだ。

 だが、赤池先生だけが3を絶賛して、わずかな点差で黄昏賞となったのだ。

 その事実が示すところは、一つ。



 あの赤池先生が――


 赤池先生は――


 もう完全にズレてしまっている――



「まさか、そこまでとは……」


 地獄やろ? と、滑川は煙草の火を消しながら言う。


「赤池先生はかつて一時代を作った人……知名度だけで言えば他の3人よりもずっと大御所や。しかも今年、8年ぶりに新刊を出される。それも、ありがたいことにうちからや。……恥をかかせるようなことはできんで。今年は特にな」


 絶望やろ? と滑川は言って、クックックと笑った。


「第一、赤池大先生は関谷編集長の若かりし頃からの相棒や。作家と編集者以上に、ありゃ友情というかきずなというか、そういう熱い仲やで。編集長は、


 な? おしまいやろ?


「白黒はっきりつく場は、サラリーマンは嫌やなぁ。そんな切った張った、作家先生だけで充分よなぁ。成功も失敗もなくのらりくらりしとけば、立場は上がっても落ちはせん。次期編集長とか言われとった俺も、たった2年のうちに転がり落ちて、今じゃ後進こうしんの白戸クンに道をゆずる始末や。ほんま、バミューダとチュパカブラが殺したのは冒険家でも調査隊でもなくて、俺やで。……会社としても3年連続暴投ぼうとうは、さすがにやばい。今年は、横で話題をさらってくれる碇先生もおらんらしいからな。今年の黄昏賞が、白戸クン……いや星月社まで殺さんことを祈っとるで。せいぜい、しっかりやれや」


 滑川は死神のようにそう告げると、背を丸めて喫煙室を出て行った。

 骸骨に薄皮をつけたような禿頭が、電灯に照らされて酷薄こくはくに光った。


 狂った計器……

 今年の黄昏賞、 思っていたよりもやばい――


 立ち尽くす白戸の耳に、換気扇のうなり声が重たく響いていた。

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