第5話 魔界の住人たち
「私は今、むかついています」
有栖が背負うのは、赤と黄がとろけた狂気の空。
卓の背後には、闇夜の
ムンクの『叫び』みたいな状況だ……
この雰囲気、ゲームなら終盤のボス戦では……?
まだインターン1日目なのに……?
「えーと……一応聞くけど、なんでかな?」
「
「欲求不満!?」
「やらないか」
「や、や、やらないか!? ……な、なにを?」
「わかってるくせに」
「わからない、全然わからない」
「かまととぶりやがって。あなたの欲望をぶつけられるのは、私だけです」
「いや、それはどうかなー」
「ブックカバー」
その一言は、すべてを説明する充分な情報量を持っていた。
僕は半笑いを止めてしまっていた。ミステリ小説で、意外なところから
やばい、来る。
一瞬で間合いの中に入られた。
この子、この流れ、絶対に推理ショーを始める。
誰かが一度始めたら、僕たちは切り上げられない。
それを彼女も知っていて、懐に潜り込んできた。
「さっきの上質なブックカバー……なんで買わなかったか、当てましょうか?」
来た。
逃げ遅れた。
ここからはもう、儀式だ。
「一応、聞こうか」
「あの文庫サイズのブックカバーでは、かなりの文庫本が入らないからです」
「…………」
「世間一般において、文庫本のサイズはハガキと同じA6サイズと認識されています。ネット辞書にも『一般的なサイズ』と書かれており、文庫用のブックカバーもそのサイズで作られることが多い。しかし、現実に流通している文庫本は、出版社によって大きさが微妙にちがう」
「…………」
「ハガキサイズは最小サイズ。後から生まれたライトノベルはその規格に沿う物が多いですが……大手出版社の一版文芸文庫は、それよりも縦に数ミリメートル大きいものが多い。つまり……先ほどのブックカバーでは、かなりの出版社の文庫が入らないのです。あなたは、それがわかったから買うのをやめた」
「…………」
「お気に入りのブックカバーをかけて読む習慣がある人なら、誰に教えてもらわずとも自然と身につく知識です。……卓さん。隠しても無駄です。あなた、本読みですね?」
正解だった。
今のは、ネット辞書にも細かく書かれてはいない事実だ。
それを知っているということは……彼女も、僕と同じ属性を持っているということ。
「……有栖さん。ファミレスでは、ずいぶんと殺気をふりまいていたね。ビキビキッって青筋立てて」
「なぜふりまいていたか、あなたならわかるでしょう」
「それはまあ……思う所のある会話だったからね」
「解説してくれていいですよ。名探偵の推理ショーみたいに」
「……試す気かい? 僕がどれぐらいか」
「ええ」
有栖は、視線で僕を射貫く。
「私と10万円を争うとしたら、あなたですから」
……僕も、そうじゃないかと思っていたよ。
僕は
────
知らないというのは、恐ろしい。
自分が隠せていないことを、自身で気づくことができないからだ。
先ほどのファミレスでの会話。
泰造くん、文彦くん、絵馬さんは、自分たちが明らかに本を読み慣れていない人たちであることを雄弁に語っていた。
なぜなら、彼らの用いた言葉の多くに誤りがあったからだ。
読書文化と共に生きてきた人なら、まず間違えないであろうという誤りが。
読者の皆さん――
一つ約束するが、違和感へ至るすべての手がかりは提示されている。
先ほどの、ファミレスの回想に。
では、解決編へと入る……
────
「おお~。耳に心地よき
「え、わかる? 『アゾット殺人事件』、『ねじれ屋敷の殺人』、どっち派?」
「まあまあ、それは置いといて。早く聞かせなさい。あなたが、どこに違和感を感じたかを」
「お、おほん。では――」
まず
『ラノベなら読む。いきなり純文学の審査なんて、無理難題を押しつけられてる』
これはおかしい。
「
僕たちがするのは娯楽小説の審査。純文学の審査じゃない。
娯楽小説は「面白い」ことを目的とした小説だ。エンターテイメント小説とも言う。今、世に出ている一般文芸の九割九分はこの娯楽小説で、黄昏賞ももちろんそれに属する。
純文学というのは「人間存在を深掘りする」ことを目的とした小説だ。つまり、面白さを目指していないので、面白くなくてもいい。国語の教科書に載っているのはこちらが多い。
なぜ、それほどまでに性質の違う一般文芸と純文学を文彦くんは間違えたのか?
そして、泰造くんや絵馬さんはつっこまなかったのか。
それは、彼らにとって小説が「ラノベかそれ以外」の一括りで、ラノベ以外はすべて純文学という勘違いがあるからだ。人気ドラマの原作小説が純文学であることなんて、まずあり得ないにもかかわらず。
次は、
『私はたまに読むけど、文庫だけ。ドラマの原作とか。星月社の「デスバ島」だって、最初にハードカバーで出た時は買わなかったし』
これも変だった。
だって、最初に出たデスバ島は……ソフトカバーだったからだ。ハードカバーでは出ていない。
きっと絵馬さんは、単行本という言葉を知らないんだと思う。文庫本でない小説はすべてハードカバーと呼ぶと勘違いしているんじゃないだろうか。
文庫本の反対の言葉は、単行本だ。
そして単行本には、言葉通りカバーが厚いハードカバー、カバーが薄いソフトカバーがある。特殊なサイズのノベルスも、単行本の中に含まれるだろう。
たぶん絵馬さんは、「星月社の『デスバ島』だって、最初に単行本で出た時は買わなかったし」と言いたかった。しかしソフトカバーやノベルスという分類を知らなかったから、単行本の総称をハードカバーと勘違いしたまま言ってしまった。
さらに、
『古本屋だと出版社に金入らないだろ。書店で新書買わないと』
これも違和感がある。
きっと「書店で新刊買わないと」って言いたかったんだろう。
新しく出た本は、何だろうと「新刊」。
しかし「新書」は、大人向けの教養本という、本のジャンルを示す言葉だ。
だから、中古本の対義語として新書という言葉を使うことはない。
そして最後に……
『ま、最後は小説家たちが審査するんだし。それなら、大丈夫だろ』
『小説家たちがどんな風に読むのか、見当もつかないがな』
……これだ。
ある意味、これが一番問題だ。
新人賞の最終選考、その審査員選評は、受賞作の単行本に載っていることが多い。
星月社黄昏賞の最終選考過程も、毎年、受賞作の単行本の巻末に載っている。
それに、黄昏賞の選考委員は
つまり、見当がつくことなんだ。
この発言から察するに……彼らは誰も、黄昏賞の受賞作を読んだことがない。
「……以上が、僕がひっかかった箇所だ。最初の三つは、読書ファンなら間違わないことだね。どこかで自然と身につく知識だ。最後のは少しマニアックだけど……インターンで星月社を志望するなら、知ってて当然……だと……思ってた」
そう。
だから僕は
インターンに受かって夢のようだと喜んで、
1ヶ月もホテルを予約して、
大きなトランクに荷物を詰め込んで、
飛行機に乗って、
初めて東京に来て……
どんなにすごい人たちに会えるのかと思っていたら……
読書ファンの自覚すらないおじちゃんおばちゃんにも満たない同期ばかりで……
こんな人たちで、必死に書かれた応募作の審査をしていいのかって……
「はっ!?」
卓は、気持ちよく喋らされたことに気づいた。
大人げないことをした。
というかここ、
これは、変態に
『大通りで変態の真似をすれば、もう変態』……
変態……じゃなくて有栖さんは、うつむきがちに僕の方を向いて動かない。
「……き」
「え?」
有栖さんが、何か言った。
「すき」
「えええっ!?」
サザエさんのマスオさんみたいな声が出た。
「やっと……やっと本物に会えた……」
「いや、これぐらい読書ファンなら……」
「いない。いない。読書ファン、いない。絶滅しかけてる。専門学校の作家コースにもいない。だからずっと探してた。私を受け止めてくれる人。この私が全力で打ち込んでも……引かずに立ってられる人!」
歪んだオーラを全身から放ち、らんらんと輝く同志を見つけた目。
本読みの目。
狂気の目。
おいおい……
引かずにって……僕はけっこう引いてたぞ……
でも……
「僕も……ちょっと物足りないと思ってたんだ」
「でしょでしょ? 全身から出てた、そういうの」
「入りなよ、やるんだろ?」
そう言って卓は、親指でファミレスを指し示す。
「お互い、好きな本について語り明かそうじゃないか」
「ひゃあああああああああああああああああああああ☆」
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