第4話 ファミレス事変

 インターンシップ1日目が終わり、すぐるは一人で神保町じんぼうちょうを歩いていた。


 ダンボール運びが終わると「初日は親睦しんぼくを深めて、本格始動は明日からで」と切り上げられ、学生たちだけで星月社せいげつしゃビル近くのファミレスに押し込められ、夕食の後そのまま解散となった。


 卓は暮れ始めた8月の太陽を浴びながら、ファミレスでのやりとりを思い出す。


   ***


 ドリンクバーをみなで持ち寄ってから、泰造たいぞうが切り出した。


「インターンって言っても……これってあれだろ? 下読みバイトってやつだろ?」


 柔道経験者という大柄な男子は、泰造。

 稲田いねだ大学・政治経済学部、3年生。

 近年隆盛りゅうせいを見せている外資系の映像配信メディアにインターンを申し込んだが、そちらは落選。とりあえずメディア系ということで、受かっていた星月社せいげつしゃのインターンに来たらしい。


「給料出ないから、バイトですらない。星月社、しょぼいな」


 吐き捨てるように言ったのは、濃いくまをつけた痩せ型の男子、文彦ふみひこ

 慶葉義塾けいようぎじゅく大学・文化創造学部、3年生。

 ゼミの学生たちがインターンインターンと言い出したので、手当たり次第大手企業に出願。受かった中で、最も有名な星月社を選んだという。


「こっちの資質を見てもらう機会でしょ。インターンは無給の方が圧倒的に多いんだし、普通じゃない?」


 気の強そうな長身の女子は、絵馬えま

 最高学府である東都とうと大学・経済学部、3年生。

 栗色の髪をナチュラルショートにまとめている、できる女スタイルだ。 

 テレビ、新聞、雑誌などのマスコミ志望で、星月社には雑誌編集部を希望してインターンの申し込みをした。「文芸も可」と書いたことで、文芸編集部配属になったらしい。


 ここまで3人とも、超がつくほどの高学歴で、しかも東京生まれ東京育ち。

 だが続いたのは……


「なあ。君、全然話さないけど」

「自己紹介してくれる?」


 泰造と絵馬が水を向けると、小柄な女子は視線を合わせず、事務的に語った。


有栖ありす。4年制の専門学校『日本エンターテイメント総合学館』名古屋校、作家・シナリオライター学科3年。星月社は第一志望」


 そう言い終えると、紫色の炭酸ジュースが入ったコップを両手で抱え、お茶のようにすすりはじめた。

 黒々として丸いシルエットのボブカット。

 垂れ目がちの大きな目と緩く結ばれた口元が特徴の童顔で、同じ歳には見えない。高校生……いや、見ようによっては中学生にすら見える。

 マスコットキャラのような目を引く顔つき……のはずだが、今日一日を共に過ごして、愛嬌あいきょうというものがまったく感じられない。

 紛う事なき不思議ちゃん属性だった。

 その有栖から飛び出した「4年制の専門学校 作家・シナリオライター学科」という言葉。


 え? 専門学校?

 名古屋?

 作家・シナリオライター学科……?


 突然現れた異物に泰造と絵馬が何か言おうとするが、有栖は「話すことはない」と言わんばかりに沈黙を続けている。


 まさにディスコミュニケーション。

 僕は慌てて後を引き取る。


「あはは……有栖さんは、書く人なんだね。えーと僕は、M県のM大学から来て……なんて言っても、誰も知らないよね。とりあえず、みんなよろしくね」


 M県のM大学……なんじゃそりゃ? と泰造と文彦の顔が言っている。

 だが、有栖だけは目の奥に鋭い光をたたえて、僕を見つめた。


「……学部は?」

「商学部だよ」

「そう」


 商学部と答えた瞬間に、興味の色が消えた。

 有栖との会話はそこで終わった。


 そこからは、下読みというインターンの内容や就職活動についてのあこれこれとなった。


「1日1.5冊とか無理ゲーだろ。あの白戸って人は鬼かよ」と泰造。

「いい作品3つ見繕みつくろえば、あとは流せる。要領よくやればいい」と文彦。

「二人とも、本読まないの?」と絵馬。

「無理無理。中学受験の時に無理矢理読まされてから、まったく読んでない」泰造。

「ラノベなら読む。いきなり純文学じゅんぶんがくの審査なんて、無理難題を押しつけられてる」文彦。

「……ビキッ」有栖。――殺気?

「絵馬はどうなんだよ」泰造。

「私はたまに読むけど、文庫だけ。ドラマの原作とか。星月社の『デスバ島』だって、最初にハードカバーで出た時は買わなかったし」絵馬。

「……ビキッ」有栖。――殺気だよな?

「帰りに、古本屋で小説でも買って帰るか?」文彦。

「古本屋だと出版社に金入らないだろ。書店で新書買わないと」泰造。

「……ビキッ」有栖。――殺気だ。

「私たち、ちゃんとできるかな……」絵馬。

「ま、最後は小説家たちが審査するんだし。それなら、大丈夫だろ」泰造。

「小説家たちがどんな風に読むのか、見当もつかないけどな」文彦。

「…………ビキッ、ビキビキッ、メラッ」有栖。――有栖からめちゃくちゃ殺気出てる!?

 …………

 ま、明日から頑張ろうぜ……


   ***


「お客さん、それが気に入りましたか?」

「あっ……」


 ファミレスでの会話を思い出していた卓に、雑貨店の店主が声をかけた。

 革製の上品なブックカバーに手を伸ばしたまま、物思いにふけっていたらしい。


「はい。いいデザインだなって」


 店主は得意気に商品を勧める。


「ここは神保町、本の町ですから。文庫本がすっぽり収まりますよ」


「文庫本が、すっぽり……」


 卓は隣に飾られてたポストカードを手に取り、ブックカバーに合わせてみる。上下のあそびは1ミリメートル足らず。たしかに、葉書はがきサイズならぴったりだろう。


 薄い赤茶色のブックカバーは、質感も手触りもいい。

 東京に出てきた記念に買うのもいいかも……卓はそう思い、店主に尋ねた。


「あの、もう少し大きいサイズは?」


「大きいサイズ? はいはい、大きな本のサイズは少しお高くなりますが」


「いえ、そうではなくて……


「え? 文庫サイズはそれだよ?」


 店主が、何言ってんだキミ? という顔をした。


「いや、なんでもないです。変なこと言ってすみません」


 卓はブックカバーを棚に戻すと、ありがとうございました、と言ってから足早に立ち去った。



「……星月社のインターン。本の町、神保町か……」



 卓は、リクルート用に買った腕時計で時間を確認する。


 8月の頭、夜の七時。

 え、まだこんな時間か。

 すでに日は沈みかけ、夕闇がい寄ってきている。東京の太陽は、M県よりも30分ほど早く沈むらしい。同じ日本で、こんなに差があるのか……


 卓は東の空の薄闇うすやみに向かって歩いていた。

 背中では、溶けたような夕日がギラギラと燃えていることだろう。

 卓は、ファミレスを出た時からずっと続いている、背後の足音に向かって振り返った。



「それで……僕に何の用かな? 有栖さん」


「…………」



 リクルートスーツに身を包んだ、ブラックホールのようなボブカット。

 赤光しゃっこうを背に周囲に闇をはべらしたそれは、あごを引いたまま上目遣いに卓を見て、はっきりと告げた。



「私は今、むかついています」

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