第6話 最初の一週間


 インターンシップが始まって、最初の週末。

 白戸しらとは文芸編集部の会議室にインターン生一人一人を呼び出して、面接を行った。



――泰造たいぞう


「すみません……本当にすみません……でも俺、どうしても……」


「いや、とんでもない。気にしないでいいよ。むしろ、適性のずれた仕事を指示してしまった僕の方が悪かった。それに、うちの仕事は文芸だけじゃないから。雑誌部の人手が足りてないって打診だしんがきてたから、残りの期間はそっちで活躍してもらいたい。大丈夫。ばりばり元気がある君なら、きっとうまくやれる。この後、一緒に雑誌部に紹介に行くから。落ち込むことはないよ。仕事のできるできないは、能力よりも場所次第さ。僕だって、文芸以外ではさっぱりだからね」


「すみません……全然お役に立てなくて……」


「大丈夫。それに、自分から言い出したことはとても素晴しいことだよ。君は責任感がある。意地を張ったり誤魔化したりしようと思えば、いくらでもできたことだからね。僕は泰造くんの素直なところ、すごくいいと思うよ」


 泰造くん、下読み脱落。雑誌部へ引き渡し。

 小説を読むのに目滑めすべりを起こしてるレベルで、1日に1冊は遠かった。

 初期の阿久津あくつくんみたいに、気合いを入れても1日100ページぐらいが限界だった様子。

 大抵の作品はA4用紙130枚……260ページみっちり書かれているので、巧拙こうせつろんじられる段階ではなかった。それでも、一生懸命やろうとしてくれてたのは、とてもよかった。

 ただ……「趣味は読書」って書いてあったから採ったんだけどな。それについては、無責任な就活マニュアル本か何かのせいだと思いたい。

 まあ、本命は出版社じゃなくて外資がいしの映像系らしいから、もしかしたら将来そっちで成功して、いつか助けてくれるかもしれない。当然、優しくする。彼は敵ではない。お客様だ。



――文彦ふみひこ


「文彦くんは、ずいぶん早く読めてるみたいだね」


「……上にあげるべきと思える作品が少ないので」


「君の選評を見ると『最低限の品質に達していない』というのが多いね。君の言う最低限っていうのは、どういうライン?」


「……表記ひょうきルールと応募条件です。ダッシュと3点リーダーは偶数個で使用する。応募原稿は260ページまで。それすら守れていない原稿が多すぎる」


「ふむ……だから、真面目に読む価値も無いと?」


「……そうです。ダッシュも三点リーダーも、『小説の書き方』みたいな本に書いてあることでした。ネットで検索してもすぐに出てくる。それを守れていないというのは、最低限の勉強もしてないんでしょう。規定枚数の上限を超えているなんて、論外です」


「でも僕は、って、言ったよね?」


「……気にしすぎているわけでもないです。普通だと思います」


 ……文彦くんが読んだのは、全部査読さどくし直す必要があるな。


 彼は、僕たちが正しいものではなくて面白いものを発掘しようとしていることが、わかっていない。

 新人賞は試験じゃない。

 自信のある書き手と自社から出して売りたい出版社の、マッチング大会だ。

 他の編集者は知らないが、僕の場合は、大ヒットが見える原稿なら261ページでも全然かまわない。その規定をオーバーした1ページで、全体の面白さが損なわれるはずもないからだ。むしろ、そのルール違反の1ページが物語上絶対にあった方がいい場合も当然ある。

 また、ダッシュや三点リーダーが偶数か奇数かなんて、言わずもがなだ。その表記によって面白さが激変するならともかく、ほとんどの読者は気にしない。書籍化する際には視覚的な効果を高めるために調整することもあるが、それは面白い作品を受賞させた後に調整できることだ。つまり「お作法マナー」ができていないからといって、受賞の資格なしと落とす理由にはならない。


 第一、読者の支持を得ている人気作家の中には

「まだだ! チェス盤をひっくり返すぜ。」「そろそろいいかな? 反撃しても。」

 のように、台詞のかぎ括弧を閉じる前に句点を入れる作家もいる。

「なんでなのよっ」

「っ、どういうことだっ」

 のように「!」を一切使わないで「っ」を使う作家もいる。

 現代小説のお作法としてはNGとされることだし、僕としても違和感を感じることだが、内容に任せて50ページも読めば、全然気にならなくなっているのも事実だ。つまり、些事さじ

 そもそも僕、選評シートの使い方を教える時に言ったんだけどな……

 文彦くん、聞いてなかっただけでは。


「君の意見はわかった。……じゃあね、別の話。君の勤務態度きんむたいどについて、編集部内から少し問題になってる」


「……遅刻も欠席もしてませんけど」


「そうだね。でも、家に帰らず朝まで飲み明かして、そのまま出社した日が二日間あるよね?」


「……プライベートの時間について、会社は口出しできないと思います」


「そうだね。でも、業務時間のことについては言わないとね」


「…………」


「そういう日、まともに査読できてたとは思えなかったけど。席にはついていたけど、3時ぐらいまでぐったりしてたし」


「……その後、ちゃんとやりました」


「業務時間中の成果認定は、君じゃなくて僕の仕事なんだ。……生活を改めてくれる気はない?」


「星月社は、プライベートの時間の使い方について口出しするんですか?」


「僕が言っているのは、始業時間にはちゃんと仕事ができる状態でいてほしいということなんだけどな」


「……だからそれなら、自分は大丈夫なので」


「二日酔いの頭で読んで、応募してくれた人に申し訳ないとは思わない?」


「……べつに。自分はちゃんとやれてますから」

 

 文彦くん、下読み脱落。書籍部へ引き渡し。

 すでに校閲こうえつの終わったゲラの再校閲をやってもらおう。収穫がなくてもかまわない。何かさせて、迷惑をかけられないことが大事。この子は責任のある仕事をさせないで、タイムアップを待つしかない。

 彼は僕の母校の出身だけど、「めちゃくちゃ要領いいやつ」と「とことん勘違いしてるやつ」の二つに分かれがちなのは、今も昔も変わらないらしい。たぶん、全自動エスカレーター式の小中高大一貫教育の光と闇で、闇の方を引いてしまったようだ。

「趣味は読書」って書いてあったから採ったんだけどな。それも、無責任な就活本の影響なのだろうか。



――絵馬えま


「絵馬さんは、毎日しっかり業務をこなしてくれているね」


「……『は』?」


「いや失礼。他意たいはないんだ」


「いえ……精一杯という感じです。正直……文芸の市場マーケットつかめているとは思えないので、本当に私が選考していいのか……疑問に思いながら、業務に当たらせていただいています」


「まあまあ。飛び抜けて面白い小説っていうのは、素人しろうと玄人くろうと関係なく『これは面白い!』って言わせるものだよ。昔は『光って見える原稿』なんて言われてた。黄昏たそがれ大賞はトップ1作を決めるための賞だから、光って見える原稿を見つけられる目があれば充分さ」


「そう言われましても……自分の眼がそれにかなうのか、自信はありません」


「君は正直だね。でも、下読みする人に大事なものはちゃんと備えている。引き続き頑張って仕事にあたってほしい。しんどいことがあったら、僕や仲間に頼るのもアリだからね」


「はい。ありがとうございます。頑張らせていただきます」


 絵馬さんは、「こっち側」じゃない。

 それでいい。

 今のご時世、本が売れるためには「読書趣味じゃない人」にまで響く必要がある。一冊の本が日本国内すべての読書ファンの心を掴んだとしても、それは数値や勢いとしてあまりにも小さい。

 彼女は小説ファンと呼べるほどではないにしても、1日1.5冊は丁度良いペース。素人の目線でありながら、理解力、責任感、忍耐力が備わっている人材だ。本読みだったらいいなーという枠で採った3人中、絵馬さん1人が残っただけでも充分だ。



――有栖ありす


「白戸さん、突然ですが、なぞなぞです」


「どうぞ、有栖さん」


杉本すぎもと清張せいちょう海崎うみざき豊子とよこ柳沢やなぎさわ周平しゅうへい……なーんだ?」


「ふむ……『点と面』、『黒い巨塔』、『暗殺の年季』」


「!!」


「みんな、大がつくほどの文豪ぶんごうだね」


「ほかにほかに、共通点は?」


「みんな、雑誌や新聞の記者出身だね」


「正解! やっぱりわかるんですね。すごいすごい!」


 僕を試したのか。


「じゃあ僕からもなぞなぞ」


「!」


「敬称略。杉本清張、海崎豊子、柳沢周平……」


「むむむ……!? お返し……!?」


「……なーんだ? 有栖さん」


「みんな、デビューして間もなく直木賞なおきしょう、直木賞候補!」


「そうだね。……他には?」


「みんなおそき! 30代か40代でデビューしてます!」


「正解! よく知ってるねえ」


「やった~!」


「他に記者出身の作家さん、言える?」


「昔の人なら『佐々木ささき小次郎こじろう』の吉山よしやま英治えいじ先生、今の人なら『罪の音』の塩畑しおはたたける先生! それにそれに……」


 ……これは、並の専門学校だと完全に持て余すだろうな。

 うちの編集部でも、ここまですらすら出てくるのは数人だろう。


「もしかして、専門学校で読むように言われたとか?」


「いえ。今のなぞなぞ、専門学校の先生はぜんぜん答えられなかったです」


「……」


「あ、でも。卓くんは、答えられました!」


「……なんと。それはすごいね」


「はい! 私と本の話できたの、すぐるくんが初めてです!」


「彼のこと、好き?」


「しゅきい……はわわわわぁ……」


「うんうん。お似合いだと思うよ」


「ほんとですか~? 『好き好き大好きごく愛してる』~」


躍城やくじょう姫太郎ひめたろう先生の作品だね」


「はああああん……白戸さんもしゅきですみゃああああ」


「猫か~」


「今のは名古屋弁ですみゃあああん」


 猫。

 気分屋で、自分が認めた相手にはとことん懐くけど、そうでない相手にはまったく懐かないタイプ。

 卓くんと絵馬さんには甘えん坊の妹のようにまとわりついているけど、泰造くん、特に文彦くんには「近寄るな」オーラを出してガン無視。そういう意味で、社会性は大変問題がある。職場にいたら最も困るタイプ。

 が、下読みについていえば、取り組み方は真面目で選評内容も的確。

 評価が甘めに出る卓くんよりも、選評の信頼度は高い。


 有栖さんは頬を桃色に染めて、夢見心地で言う。


「私、この一週間、人生で一番楽しかったですみゃ。白戸さん、卓くん、絵馬ちゃん、こんなに強くてかっこいい人たちに会えるの、初めてですみゃん」


「喜んでもらえて嬉しいよ。きっと、応募作も君に読んでもらえて喜んでるね」


「そうだといいですみゃ~」


 関谷編集長は、専門学校へのインターン募集に『成績優秀者 上位10%以内』という条件をつけた。

 有栖さんに対する専門学校側の回答は『作家・シナリオライター学科 主席』。

「なんとなく」で通い始めた学生たちでは、彼女はまったく物足りないだろう。

 先ほどの発言からして、講師ですら彼女を指導できていない可能性は高い。

 正直、専門学校で教鞭をふるう講師はピンキリで、デビューさせたものの書かない読まない上手くないの三拍子で強制的にフェードアウトさせられた、ブラックリスト入りしている「元作家」が登壇していたりもする。

 もし講師がそういうレベルならば、有栖さんは実に困った生徒だろう。

 飼い主に牙をむく……猫というより、虎か。


「白戸さん、質問ですみゃ」


「なにかな?」


「応募作、読んだらまずいのは、交換してもいいですか?」


「ふむ……読んだらまずいのって?」


「友達のとか」


「ん? 作者の情報はペンネームすらわからないから、大丈夫だと思うけど」


「タイトルを聞いてしまっていたら、わかりますみゃ」


「なるほど。その場合もし大賞を受賞したら、後々面倒になりそうだね。確かに、そういった場合は他の人に読んでもらうことにしようか。週明け、朝会で言うよ」


「はい! ありがとうございますみゃ~!」


 ……

 いったい、何を考えている。

 この子は虎どころか、妖怪かもしれない。



――卓


「卓くんは、この一週間で痩せたね」


「ははは……そうですか……?」


「あの……うわさでは、有栖さんと毎日やりまくりだとか?」


「そういう意味ではないです!」


「わかってるよ。毎日、業後に本語りを付き合わされてるってね」


「そうです……いったい誰が誤解を招くような噂を……」


「有栖さんだよ」


「ですよね……」


「しかし、げっそりしてるのは本当だ。本当に大丈夫?」


「あはは……なんか、毎日緊張してしまって……」


「下読みは、しんどいかい?」


「……はい。しんどいです」


「どこらへんが?」


「……一生懸命頑張った人を……自分よりも上手い人を、落とすのが」


「そう。そうなんだよね」

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