第2話 編集長命令

 5階の会議室には、関谷せきやが一人で待っていた。


 部屋の電灯はともっておらず、薄暗い。明かりは、ブラインドの隙間すきまから6月の日差しが忍び込むのに任せている。


 白戸しらとが入室すると、関谷は開口一番、スマホをかざして言った。


「白戸……なんだこのスタンプは」



 ヽ(ΦωΦ)ノ<OKッ!!!!!!!



阿久津あくつ先生がくれたんですよ。『ホーリーダーク・Ⅱ』刊行かんこうのお礼だそうです」


 え……?


 にらみをきかせようとしていた関谷の強面こわもてが、足払いを受けたかのようにつるりとすべる。


「これが……お礼……?」


「選ぶのに1時間迷ったそうです」


「……」


「……」


「宇宙人だな……」


「阿久津先生なので……」


「でも気に入った。俺も買っておこう」


 関谷はスマホを操作して、「やかましい猫」のスタンプを購入した。

 白戸よりも一回り以上の年上で、すでに五十路いそじを過ぎている関谷だが、スマホへの適応は早かった。所によっては、未だにメールどころかファックスでのやりとりを強要されている出版社もあるらしい。白戸は、上司をスマホの道にけた関谷夫人と高校生の娘さんに感謝の念を送る。


いかり先生の調子は?」


「まだかかります」


「どれぐらい?」


「今年は無理だと思います」


「そうか……」


 関谷の顔がくもる。

 毎年1冊でいいから、「阿久津 対 碇」の月を作りたい。文芸界の名物にしたい。その想いは関谷も白戸も同じものだ。二人はすごい物を書く。そして書かれたすごい物は、なんであろうと話題性を勝ち得て、多くの人の目に触れてほしい。すごい物をこっそりと出すのと、すごい物を大々的に発表するのでは、。極論、どんなにすごい物語も、まずは知られなければ興味を引かず、興味を引かなければ読まれない。


 それぞれ衝撃的なデビューと異なる属性、充分な因縁を持つ「阿久津 対 碇」は、普段は小説を読まない人たちですら触れる話題性がある。それは、昨年11月の「『レッドゲームZERO』 対 『月と太陽の影』」で証明されていた。


「……ま、碇先生は拾いもんだ。俺たちが発掘したんでも育てたんでもねえ。いきなり、目の前に浮かび上がった仏様ほとけさまだ。阿久津先生が発破はっぱかけて連れてきてくれた、ラッキーだからな。もちろん、それはお前が阿久津先生を『こっち側』にしてくれてたからってのもあるが」


「わかってますよ。それに、僕と阿久津くんの力だけでもありません。彼をとりまく様々な人……特に、ある人物の圧倒的ファム力のおかげです」


「ファム力?」


「『運命の人ファム・ファタール』力。僕が名付けました」


「お、おう……?」


「男子を戦場に送り込む、女子の視線が持つ力です。単位はシヅキかマイ」


「あ、うん……大丈夫か? 阿久津先生にやられてないか? その……脳とか」


「たぶん……最近は、中国地方に香港ほんこんが出てくることもありませんし……」


「阿久津先生、よくあそこから持ち直したよな……」


「それも、ある人の圧倒的ファム力のおかげです」


「ファム力……」


 そう、ファム力……


 白戸、これからはファム力の時代か……?


 ええ、おそらく……


 そうか……


「とにかく、碇先生はこれからです。長い目で見れば、必要な時期だと判断します。そして、彼は生粋きっすい文芸人ぶんげいじんです。長い目で見るべきです」


「わかった。担当のお前がそう言うなら、俺は口を出さん。実際、去年一昨年と、うちと文芸界を盛り上げてくれただけでも、感謝にえん」


白戸は静かにうなずくと、ゆっくりと切り出した。


「それで、編集長。本題は?」


関谷はにやりと、口の端をつり上げる。


「わかってるだろ。この時期だからな」


 そう言うと、関谷は机の上に置いてあった大きく膨らんだ茶封筒を、ずいと押し出した。

 白戸はその茶封筒に手を伸ばさず、やや緊張した面持おももちでながめる。


 やっぱりか……



「その中から5人、好きにツモれ。で、15作までしぼめ。


「……栄誉えいよと受け取っていいんでしょうか」


「もちろん。碇先生は2年連続でうちのトップセールスだ。担当であるお前にはおいしい思いをさせないと、周りに示しがつかん」


「……この仕事は……難しいですね」


「なんだ、お前らしくもない。大丈夫、お前はツいてる。そして運も実力の内だ」


「ツいてるのは、否定しませんが……」


 ま、頑張れ。お前の晴れ舞台なんだからな。ファム力ファム力ぅ~


 関谷は白戸の肩を力強く叩くと、ガッハッハと笑いながら会議室を後にした。

 白戸は茶封筒の中から、A4サイズの紙の束を取り出す。

 その一番上には、次のように書かれていた。



『××年度 星月社インターンシップ候補者リスト』


 以下の者たちから5名を選び、

 『第42回 星月社せいげつしゃ 黄昏たそがれ賞』(きゅう 星月社ミステリ大賞)の

 一次選考委員とすること



 失敗は許されない、選ぶ人を選ぶ仕事――


 白戸は、大きく息を吐いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る