第20話
さらに時は流れて、次の夏が来ました。村に、突然よそ者が何人か現れ、ちょっとした、というか、かなりの騒ぎになりました。
村長がよそ者たちと話したあと、村人を集めて説明をしました。わたしはまだ実家で暮らしていましたが、大人たちの集会に参加するようになっていました。
「この村に来たのは、地質学者と役所の方々です。彼らの話によると、ここの上の地盤が緩んでいて、雨が降ると山崩れが起きる危険があるそうです。わたしたちはここから引っ越す必要があるという話をされました。正直、どうすればいいのか判断しかねています。みんなの意見を聞きたい」
引っ越すってどこに、山崩れの危険って、と質問が飛び、絶対に山崩れが起きるということではないが、これからもずっと安全に暮らすためには、山を下りる必要があるということを話された、と村長は言いました。
「山を下りてどこに暮らすの?」
「場所は役所が提供してくれるそうです。でも、みんなで同じところに住むことはできないそうで、別々の町に分散することになります」
「そいつらは本当に信用できるのか? 俺たちを追い出して、ここの遺跡を狙ってるんじゃないか?」
「政府の紋章を持っていたけど、本物かどうかは……」
「その人たちはここに滞在するんですか?」
「しばらくいさせてくれと言ってるが、正直困ってます」
それから、泊るところもないのに勝手に押しかけてきて、みんなをバラバラに村から追い出す話をするなんて失礼すぎる、という意見が固まりました。失礼にも押しかけてきたのは本当に危険があるからではないかと言う人もいましたが、その意見は無視されました。
結局、その人たちは広場にテントを張って何日か滞在し、年長者や若者など、誰彼構わず説得に回りましたが、ほとんど相手にされませんでした。彼らの中の一人は、わたしを含めて何人かが畑仕事の合間に休憩をしている時に話しかけてきました。
その中年の男は、別にこの村を出ることは大変なことじゃない、と微笑みました。
「この村だって、たかだか百年かそこらの歴史しかないこと、きみたち若者は知っているかな?」
「知ってるよ」
わたしより少し年上の男が答えました。
「俺たちのひいじいさんかひいひいじいさんの時代に、ほかのところから移り住んできたって聞いたよ」
「その通り。その頃は混乱した時代で、様々な人々が故郷を追われて、散り散りになったんだ。そのことを考えれば、別のところに移り住むというのも、たいしたことじゃない。今よりはるかに厳しい状況で、きみたちの祖先ができたことなんだから。今は平和な時代だ。役人が国の隅々まで調べて、人々が安全に暮らせるように気を配っている。わたしたちの仕事は、そういうことなんだよ」
それからその男は、もしわたしたち村人が村を出ることになった場合のその後の生活について説明し始めましたが、みんなは、家や仕事を世話してもらえるという話を信じませんでした。不自由なく暮らせているのに、どうして突然現れたよそ者を信じて、すべてを捨てる必要を感じられたでしょう。
そのうち、よそ者たちは説得できないことを悟ったようで、村から去りました。
よそ者がいなくなって安堵した空気が流れていましたが、それほどしつこくなく諦めて帰ったことにかえって不穏さを感じました。しかし、食料がなくなったから帰ったんだろうという人の言葉に、わたしは無理にうなずきました。
わたしは、相変わらず村に住み着いているヒューのところへ行きました。それほど親しくしていたわけではなかったのですが、彼ならいろいろなことを知っているし、今回の件についてなにか意見があるのではないかと思ったのです。
ヒューはわたしの顔を見ると、なぜか微妙な表情になりました。微笑んで家の中に通してくれましたが、どこかぎこちなさを感じました。以前の甘い団子のようになにか出してくれるかと期待しましたが、出てきたのは水だけでした。
「どうしたの? なんか元気ない?」
と尋ねてみると、彼は慌てたように首を振りました。
「いや、元気だよ。久しぶりだね。きみは元気だった?」
「まあ、一応。ちょっと訊きたいことがあって……」
ヒューはかすかに怯えたような表情になったように見えましたが、それがなぜなのか、その時のわたしにはまったくわかりませんでした。
「なにかな?」
ヒューは引きつった微笑みを浮かべました。
「この前までいたよそ者のことだよ。この村は危ないって話してたみたいだけど、ヒューはどう思う?」
「ああ……ここからよそへ移ったほうがいいかどうかって話だよね」
「うん。みんな、無視することにしたみたいだけど、やっぱりちょっとこわいっていうか。ちょっとだけね」
「きみは、ここから出て行きたいのかい?」
「いや、そういうわけじゃないけど。でも、うーん」
その時のわたしは、どうすればいいのかまったくわからなかったのです。自分の意見というものがまるでなく、あるのは不安だけでした。
ヒューは、いつも通りの落ち着いた口調で言いました。
「多分、あの人たちが言っていたことは本当だと思う。政府の紋章も本物だと思うし。本当に生き残りたかったら、出て行くのがいいんじゃないかな」
「ヒューは出て行くの?」
「いや」
「どうして」
「絶対に山崩れがあると決まったわけじゃないからね。出て行ったほうがいいのかもしれないけど……僕は死ぬまでここにいると思うよ」
「そんなにここが好きになったの?」
「あのね、ちょっときみに話しておきたいことがある」
ヒューは突然改まり、わたしの目をまっすぐに見ました。
「今更になってしまったけど、行き倒れた僕たちを見つけてくれたのはきみなのに、ちゃんとお礼を言ってなかったかもね。ごめん。本当にありがとう」
「いきなりどうしたの?」
「そもそも、どうして僕たちが真冬に山を越えようとしたのか、誰にも話してなかったけど、話しておきたい。僕たちは一刻も早く自分たちの村を出たかったんだ。僕たちは愛し合っていたんだけど、そのことを知ったほかの人たちは、僕たちを受け入れてくれなかった。だから、逃げ出してきたんだ。旅人だと嘘をついてしまったけど、旅をしていたわけじゃなく、逃亡していたんだ」
ヒューはさらりと話しましたが、その時のわたしには理解できず、ぽかんとしてしまったと思います。
「前時代では、同性愛は広く認められていたらしい。でも、社会が崩壊して文明が後退したあと、再び同性愛は生産性のないものとして疎まれるようになったんだ。僕は、すべての人はなにかを創造していると思う。子供をつくれない人も、宇宙に貢献しているんだ。そもそも、子供が生まれることが尊いと感じるのは、それがわかりやすい情報の増え方だからだ。わかりやすい方法しか見えない人が、別の方法で情報を生産している人を蔑む……」
「よくわからないよ」
「ごめん、ごめん。とにかく、僕は自分の村から追い出されたんだよ。そして、まだ僕の連れのことが忘れられない。だから、連れが眠っているこの村から離れたくないんだ。僕は多分、一生ほかの人のことは愛さないと思う」
「……それって、ヒューにとって秘密のことだった? 無理に話してくれなくてもよかったのに」
「いや、話さなくちゃいけないと思ったんだ。もし、必要だと思ったら、今の話をほかの人に話してほしい」
「必要だと思ったらって、どういうこと?」
「その時が来たらわかるよ。そんな時が来ないことを祈るけど」
それからヒューは、「山崩れのことについて、答えがなくてごめん」と言いました。
「いいんだ。そういえば、タリアはどうしてるかな」
わたしがそう言うと、ヒューは少し明るい顔になり、「たまにうちに来てるよ」と言いました。
「一時期はどうかしちゃったかと思ったけど、勉強熱心なところは相変わらずだね」
「そうなんですか。ずっと引きこもってるのかと思ってた」
「勉強と散歩くらいはしてるみたいだよ。でもまあ、心配だね。相手にされないとわかって、口にはしなくなったけど、まだ自分が一度死んだと思い込んでるみたいだし、なにかを諦めちゃってるみたいに見える」
「もとからそんな感じはちょっとあった気がするけど」
「きみもたまには会いに行ってあげたら」
そう言われても、わたしはなかなかそんな気にはなれませんでした。もとから仲がよかったわけではないし、タリアと話しても不気味な思いをするだけなのはわかっていたからです。
それからしばらくして、ある騒ぎが起きました。人につられて行ってみると、タリアの家の前で、タリアが座り込んでいました。玄関には、タリアのお母さんが仁王立ちしています。
誰かがタリアのお母さんをなだめていましたが、お母さんはまなじりをつり上げ、娘を睨みつけていました。
「この子は働きもせず、自分の体にいたずらしているんだよ! 我慢ならないわ!」
タリアは、横座りで地面に手をついていました。ただ地面に置かれたように、リラックスしてなにも考えていないように見えました。ボサボサの髪からのぞく横顔には、かすかに笑みが浮かんでいるようでもありました。
「みんな、これを見てよ」
お母さんはタリアの腕を取り、袖をまくりました。タリアの左腕には、黒い痣のようなものがありました。よく見ると、それは鳥のような形をしていて、痣にしては色が濃すぎました。
「この不気味な鳥の絵、洗っても洗っても取れやしない。なんでも、一生消えないことがわかっていて、針でインクを自分で肌に入れたんだって。本当に、なにを考えてるの?」
タリアは立ち上がり、腕を見せつけるように上げたまま言いました。
「これは刺青というものだよ。昔の人が、特別な身分を示すためだったり、お洒落だったり、いろいろな理由で入れていたもので、絵柄にもいろいろな意味があった。カラスには、知性、太陽、秘密、守護者、死など、様々な意味がある」
タリアの口調はまるで演説のようでした。
「それがなんなの!?」
お母さんは、今にも気が狂いそうな様子でした。
「カラスの刺青が入っているということは、特別な存在という意味なんだよ」
「あんたはまったく特別じゃないよ。ただの怠け者だろ?」
お母さんは家の中に引っ込み、中から「もう家の中に入れてやらないよ! 世話になるならよそにしな!」と怒鳴り、ほかの大人がなだめても聞く耳を持ちませんでした。
タリアは、親切な女性に連れられて行きました。わたしには一瞥もくれず、わたしに気づいているかどうかもわかりませんでしたが、タリアの演説口調は、わたしに向けられたものだったような気がしてなりませんでした。
それでも、わたしは内心でタリアを憐れむだけでした。タリアは、ほとんど大人になりかけているのに、いつまでもあの小屋の人に囚われて、前に進めずにいるのだと。自分はちゃんと大人になっているのに、彼女は時の中に取り残され、かわいそうだと思いました。
あとになってから、タリアはあのよそ者たちがいた時、彼らのところに入り浸っていたという噂を聞きました。猥雑な妄想が入った噂でしたが、タリアは、知識欲のためにそうしていたのだということは確信できます。わたしには理解できませんでした。どんどん物知りになって、なにもいいことはない。実際、タリアはますますおかしくなっているじゃないかと思いました。
それからいろいろと話し合いやなにやらがあったらしく、タリアは、わたしたちより少し年上の男の家に嫁ぐことになりました。きっと、タリアの意思は無視され、親同士が決めたのでしょう。それでも、一応、結婚式のようなものは行われました。
誰かが結婚する時は、祝うというよりは、それに乗ずる形で、村中がお祭り騒ぎになります。花嫁は、一応ドレスのようなものを着て花を頭に載せて着飾りますが、場の主役というよりは見世物のように見えるのが常でした。
タリアも花嫁衣装に身を包み、いつも乱れていた髪も綺麗にされていました。しかし、口元に張りついた笑みは、幸福というよりも軽蔑を表しているよう。つまり、いくら綺麗にしても、タリアはいつものタリアでしかなく、新郎のほうは、頼りなくおどおどしていて、見ていられないほど気の毒にわたしの目には映りました。
嫁入りしても、タリアはろくに家のことをしなかったらしく、悪い噂ばかり聞こえてきました。家事もしなければ妊娠もしない、文字通り石のような女だと。ヒューと会うこともやめたらしく、タリアはわたしにとって、さらに遠い存在となりました。
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