第15話

 その翌日、夕食後にあの団子が出てきました。母がさりげなく葉の包みから団子を皿に載せ、父とわたしの前に置きました。

 わたしは一目見て、それがヒューのところで出してくれたものだと察し、一口食べて確信しました。ヒューがつくったのとまったく同じものでした。

 父が、「なんだこれは?」と言い、母は平然とした顔で、「芋を濾して砂糖を混ぜて団子にしてみました」と言いました。父は疑問を持たなかったようで、「うまいな」と言って食べていました。わたしは、父を怒らせるといけないので、なにも言えませんでした。

 季節は初夏となり、毎年恒例の祭りが行われました。わりと年配の人たちが交代で太鼓を叩き、子供と若者たちが輪になって踊ります。子供と親たちは早めに切り上げて帰り、若者たちはその日は帰らずに翌日の仕事は休んでもいいことになっていました。その年、わたしは初めて、子供枠から若者枠に上がり、翌日の仕事を免除されました。

 わたしはたいして踊るのが好きではなく、すぐに疲れてその辺の草の上に座って芋酒をなめるだけでしたが、帰らなくてもいいのに帰るのも嫌だったので、ただ松明の炎と楽しそうにしている人たちを眺めていました。

 その時、一人の女の子が話しかけてきました。わたしよりいくつか年下のナジュという子です。

 踊らないのかと訊かれたので、わたしは踊るのが好きではないし疲れたと正直に答えました。

「きみは子供枠じゃないの?」

 とわたしが尋ねると、彼女はわたしの隣に座り、「お父さんとお母さんに頼んで、若者枠に入れてもらった」と言いました。

 しばらく、どうでもいいような話をしましたが、会話が途切れた時、ナジュは意を決したように言いました。

「わたし、子供の頃にあなたに助けてもらったことがあるとお母さんから聞きました。ずっとお礼が言いたかったんですけど、話す機会がなかったから。ありがとうございました」

「なんのこと? 覚えがないんだけど」

「あの、林の中で倒れていたわたしを見つけてくれたのがあなただったって」

 そう言われて、なんのことだかわかりました。

「ああ。子供の頃って、あれはそれほど前のことじゃないじゃないか」

「そうですか? なんだかとても前のことみたいな気がしてしまって」

「まあいいよ。わかったよ。うん」

 わたしの中で、押し込めていた光景がよみがえってきて、それがあまりに鮮明だったので、あの過去がもう存在していないとは信じられず、今こうしている現実が現実だとは信じられないような心地がしました。あの人が全裸で昼の光を浴びていた光景です。肌に塗られたなにかが光を反射し、心の目を突き刺しました。

 わたしはそれを振り払うように尋ねました。

「きみはペールになにをされたの?」

 そんなことを訊くなんてなんと無神経なのだろうと今は思いますが、その頃のわたしには、そんな配慮はありませんでした。

「よく覚えてなくて。そのことを思い出そうとすると、吐き気がするんです」

 彼女は、嘘をついているようには見えませんでした。

「そうなんだ。ペールがどうなったか、知ってる?」

「罰を受けたって聞きました」

「殺されたって聞いたの?」

「はい」

「そう聞いて、どう思った?」

「よかったなって」

「それくらいひどいことをされたってことだね?」

「それに、ペールがした悪いことはひとつだけじゃないらしいし。いなくなったって聞いて、ほっとしました」

「ペールを殺した人のこと、知ってる?」

「村の守護者だって聞きました。塩とかを持ってきてくれる人だって。その人にもお礼を言いたかったけど、会っちゃいけないって言われて。選ばれた子供しか会えないんだってね。あなたは会ったことあるんですよね。すごいなあ」

「別にすごくないよ」

 その話の流れでタリアのことを思い出し、そういえば今日は見かけていないなと思いました。目でタリアを薄闇の中に探しましたが、広場に彼女の姿はありませんでした。

「……なにを見てるんですか?」

 ナジュに言われ、わたしは生返事をしました。きっとタリアは、馬鹿騒ぎなどには興味がなくて、家で外の世界の空想でもしているのだろう。そう思って、わたし以上に陰気で友達付き合いの下手なタリアを内心で哀れみつつ、自分とはまったく違うことを考えているであろう彼女のことが羨ましくて、複雑な気持ちになりました。彼女のことを考えるといつも、尊敬できる面はあるがやはり仲良くなれないな、と思いました。

 タリアのことを考えているうちに、なんだか自分がとてもくだらないことをしているような気持ちになってきました。手をつないで踊って、楽しくなれるのなら、それが一番です。そうはなれないのに、その場にとどまって、なんとなく今を生きている。流されるままに、時が流れることだけを待っている。そういう自分の姿がやけに客観的に目に浮かんできて、今度は自分のことが哀れになってきました。タリアはいつも人を見くだしていてムカつくけれど、彼女からするとわたしが馬鹿に見えるのは仕方なかったのかもしれません。

 わたしは、帰ると言って立ち上がりましたが、ナジュはわたしの手を握り、「もう少し一緒にいて話したいです」と言いました。

 わたしはその時初めて、祭りというのは結婚相手を探すためのもので、自分も若者の一人だということはそういう枠に入っているのだということに気づきましたが、当時のわたしは精神が幼すぎて、そういうことを他人事としてしか考えていなかったのです。

 わたしは彼女の手を振り払い、自分の幼さに気づいた反動で、「子供はもう家に帰ったら」とひどい捨て台詞を吐いてしまいました。ナジュが傷ついたような表情をしたのは、たいまつの光に照らされてやけにはっきりと見えましたが、やはり、その顔は子供にしか見えない、とわたしは自分に言い聞かせ、広場から立ち去りました。

 林の中を通る道は真っ暗で、火に慣れた目に、お酒が入って軽くふらつく体では、ゆっくりと歩くしかありませんでした。確か、広場でランプを貸し出していたはずだから、戻って借りてこようかと一瞬思いましたが、誰かと林の中にしけこむわけでもなく、一人で家に帰るだけなのに借りに行くと笑われるかもしれない、と思いとどまりました。

 足がなかなか進まないせいか、爽やかだったはずの空気がよどんで感じられ、道は永遠に続くようで、呼吸さえ苦しくなってきました。

 あとどのくらいで家が見える道へ着くだろうかと思った時、前方から声をかけられて驚きました。

 わたしの名を呼んだのは、タリアの声でした。タリアは、蛍よりも小さそうな火が入ったランプを持ち、木の陰から出てきました。

 わたしを待っていたと、ほとんど顔の見えないタリアは言いました。

「夜明けまであんたが帰って来なかったり、誰かと一緒だったりしたら、諦めようと思ってた。でも一人だね。そうだと思ったけど」

「なんだよ。また馬鹿にするのか?」

「あのね、わたし、ここから出て行く」

「え? 今から?」

「そうだよ。今から。一緒に来ない?」

「え?」

「勘違いしないでほしいんだけど、あんたのことが好きだとか、そういうんじゃないから。今日を選んだのは、いなくなったことに気づかれにくいから。あんたを選んだのは、あの人を見たことがあるから」

「あの人って、あの人?」

「あの人だよ。あの人のことをほかのもっと進んだ町の人に話して、調べてもらう。もしかしたら、すごい発見かもしれない。この村が豊かになるかもしれないよ。わたしがしようとしてることは、短い目で見たら親不孝かもしれないけど、長い目で見たら、親孝行で、この村のためになるかもしれないんだよ。一人より、二人で話したほうが、信じてくれる人も増えると思うんだ。だから、一緒に来てほしい」

「……そんないきなり言われても」

「あんたは優柔不断だから、長々と説得しても悩むだけで決められないでしょ。ほかの人に話されても困るし。だから、今すぐ決めてほしいの。来ないなら一人で行く」

「ちょっと待ってよ。一人でなんて、危ないよ。そんなに外に出たいなら、親と一緒に行くとか――」

「わたし、もう子供じゃないよ。あんたに守ってもらおうなんて思ってない。むしろ、わたしが巻き込むんだから、わたしがあんたを守るよ。力はないけど、なんとか知恵を絞って、あんたが安全でいられるように努力する。いざとなったら、自分の命と引き換えにしてでも、あんたを守るくらいの覚悟はできてるよ」

「……行けるものなら行きたいけど、母さんを置いていけないよ」

「お母さんが、あんたを必要としてるから?」

「うん。僕がいなくなったら、母さんが悲しむ」

「そうだろうけど、あんたは、お母さんのためになにかできるの?」

「え?」

「知ってるよ。あんたのお母さん、お父さんに殴られてるんでしょ。でもあんたは、それをとめることもできない。せいぜい、言葉で慰めるくらいでしょ」

 タリアはそう言いましたが、わたしは言葉で母を慰めることなんてしていませんでした。僕から母にしてあげていることは、洗濯や掃除の手伝いくらいでした。

「それに、お母さんがお父さんと別れないのは、あんたがいるからかも。あんたがいなければ普通に別れて、幸せになるかもよ。むしろ、あんたがお母さんの幸せの邪魔をしてる可能性だってあるよ」

 そう言われて、わたしは頭を殴られたような衝撃を感じました。

「どうして……そんなこと言うんだよ」

 わたしはこぶしを振り上げ、弱々しく空気を殴りました。

「タリアは、いつもひどいことばかり言ってるよ。タリアには、僕や母さんのことなんてわからないよ。タリアは、僕とは違うんだよ。ほかの村の人たちとも違う。ほかの町の人となら気が合うかもね。行きたいなら、勝手に行けばいいよ。タリアと話したって、僕は傷つくだけで、全然楽しくないんだから」

「あっそ」

 タリアはあっさりと背を向けました。

「じゃあ、行くわ。今までありがとう」

 返事も待たずに突然消えたので、わたしは、まるで夢を見ていたような気分になりました。この暗闇の中、慣れないお酒で頭がおかしくなってしまったのではないかと。現実感がなく、タリアに言われた言葉だけが、ぐるぐると頭を駆け巡りました。

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