第2話

 わたしの村には学校というものはなく、たまに教師の家に行って、簡単な授業を受けるのが、その代わりでした。子供はみんな、物心ついた頃から畑仕事を手伝わされていました。

 わたしも父について行って畑仕事を手伝っていたのですが、わたしには別の仕事もありました。

 いつだったか、わたしは村長に呼び出され、タリアというわたしと同い年くらいの女の子と一緒に、行ったこともない村はずれに連れられて行きました。そこには小川が流れていて、その向こうに、小さな掘っ立て小屋がありました。

 村長は川の前で立ち止まり、タリアとわたしに、そこの小屋の中にいる人から、塩の入った袋を受け取ってくるようにと言いました。見た目は変わっているけれど、こわい人ではないからと。

 わたしは村長に、村長は一緒に行かないのかと訊いたのですが、彼は首を振って、わたしはここで待っている、と言いました。

 どうやら、タリアは事前になにか説明を受けていたようで、なにも聞き返さず冷静でした。まあ、彼女はいつも落ち着き払っていて、友達たちの中ではかなり大人っぽい感じだったので、いつも通りだと思いましたが。多分、それがタリアの選ばれた理由で、わたしが選ばれたのは、比較的従順な性格だったからだと思います。

 タリアとわたしは、飛び石を踏んで川を渡り、わたしが小屋のドアを開けました。

 そこには、一人の女性がこちらを向いて正座をしていました。その時は、正座というものを知らなかったので、どうして足を折りたたんで板の間に直接座っているんだろう、我慢比べでもしているんだろうか、と思ったのを憶えています。

 小屋に窓はなく、室内は暗かったのですが、女性だと思ったのは、長い髪と、ワンピースらしきものを着ていたこと、そして華奢な体型からでした。

 わたしが窓を全開にして、光が差し込み、彼女の顔が見えました。

 明るくなったはずなのに、彼女の顔だけに闇が残って、なにが起きたのか一瞬わかりませんでした。やけに大きな銀色の目が闇の中に浮かんでいるように見えて。しかし、瞬きのあとに、彼女の顔に、カラスの絵が描かれていることがわかりました。左の目元にくちばしが、額と頬に翼が広がり、右の口元に足が二本ある。

 白いワンピースの袖だけが黒いように見えましたが、そうではなく、ノースリーブのワンピースから伸びた腕に、様々な黒い模様が描かれていることがわかりました。

「こんにちは」

 と彼女は、落ち着いた声で言いました。黒髪に光が反射していたこと、顔面の翼を広げたカラスがおどろおどろしく見えてこわかったことも、鮮明に思い出せます。

「これをどうぞ」

 と、彼女はかたわらに置かれた麻袋を示しました。

 わたしは彼女の異様な外見に圧倒されて動けませんでしたが、タリアは駆け寄って麻袋を掴み、ずるずると引きずってきました。手伝ってと言われ、わたしは初めて動くことができ、タリアと二人でひとつの重い麻袋を持って、靴を濡らしながら小川を渡り、待っていた村長のもとへ戻りました。

 ちょっと重かったか、と村長は言い、今度から台車を用意するとか言いました。

 村長が袋を抱え、村長の家に三人で戻りました。それから村長は、麻袋を開けて、中に詰まった白いものを「ちょっと指につけてなめてごらん」と言いました。

 それは塩でした。それから村長は、タリアとわたしに、ふかした芋を振る舞ってくれました。土間で芋を食べていると、村人がやって来て、村長の娘さんのナイミが、塩をわけてやりました。わたしの村には貨幣がなく、それに代わるようなものもありませんでした。物々交換か、村長とその家族がしっかりと記録をつけながら分配することですべては成り立っていました。

 それから、タリアとわたしは不定期で村長から指示され、掘っ立て小屋の女性のもとへ行って、なにかをもらって来る仕事をするようになりました。もらってくるのは、主に塩で、たまに砂糖だったり、胡椒だったり。それはどれも、わたしの村では貴重なものでした。

 タリアと一緒でなければ、とてもわたしには無理だったと思います。あまりにも恐ろしすぎて、わたしはなにを言うこともできず、ただタリアについて行っていました。嫌がる権利も、自分にはないと思っていました。どうしてタリアは嫌がらないのか不思議でしたが、彼女は、これが必要な仕事だと理解していたんでしょう。思考停止状態だったわたしより、数段大人の考えをしていたはずです。

 これもまた人間の性でしょうか。その仕事にも、わたしは徐々に慣れていきました。小屋の女性はなにもしないので、ただ荷物を運ぶ仕事なのだと理解して、恐ろしさが薄れていきました。

 慣れとともに、いろいろな疑問が浮かんできました。すぐに浮かんでもいいようなものばかりでしたが、馬鹿だったわたしには、時間が必要だったんです。

 村長はどうして小屋に近づかなかったのか。荷物を運ぶ仕事なのに、どうして大人ではなく、子供のわたしたちにやらせるのか。彼女は、そばに畑もない、ただ林が広がっているだけの場所で、どうやって暮らしているのか。塩などはどこから運ばれてくるのか。あの体の模様はなんなのか。そもそも、彼女は誰なのか。

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