第1話
わたしが生まれたのは、山間の小さな村です。家族は父と母だけで、きょうだいや祖父母はいませんでした。伯父さんはいました。気性が荒い人で、誰も嫁に来る人がいなくてね。どこか外から中年の女を拾ってきて無理やり嫁にしたんですが、その女があまりにも醜く、さらに無口で無表情で陰気、さらに手が不自由だったらしく、自分で連れてきたくせに耐えられなかったようで、いつも罵声を浴びせていました。
土の上にしゃがみこんで畑仕事をしている女に伯父さんが怒鳴っているのを、子供の頃のわたしは、木の陰に隠れて盗み聞きました。
「お前、踏み潰されて蟻のたかった団子みたいな顔しやがって、恥ずかしくねえのか? しかもそんな震えて役立たずな手、見た目はまともだったからまんまと騙された。動かすたびに手だけ死にかけてるみてえじゃねえか。お前に触られた途端に役立たずにされて気の毒だって、この俺がまさか鋤や鍬に同情することになるとは思わなかったぜ。俺のムスコもお前が相手じゃ、とんだ役立たずだよ。苛々する。お前の唯一の才能は、黙ったままでひとを不快にさせることだな。体も顔もあばただらけ、女としても終わってる、働き手としても三歳児以下。なんのために生きてるんだ? なんのために生まれたんだ? 神の不在を証明するためか? これ以上陰気な面で空気を汚さねえように、さっさと自分で死んだらどうなんだ? 崖から落ちて死んじまえよ。なんとか言ったらどうだ。おい」
そう言われている間、女は少しでも仕事を進めようとしているのか、土を耕していました。鼠が象の便所掃除をするとしても、もう少し早く終わりそうな感じでね。女は顔を上げず、ただ伯父さんを無視していました。
伯父さんはしゃべり疲れたのか、唾を吐いてどこかへ行きました。自分の畑に唾を吐くなんてどうかしてるとは、子供だったわたしでも思いましたが、そういう人です。ほとんど働きもせず、他人の食べ物をくすねて生きていました。断ったり責めたりすれば、なにをするかわからないので、ほかの人は逆らえず、村長も放置するしかなかったようです。
伯父さんの弟であるわたしの父も、あきれるだけでなにも言えませんでした。昔からの気性なので、諦めていたんでしょう。
父は、穏やかで優しい人でした。畑仕事から帰ってくると、大きな手でわたしの頭をなでてくれて。無口でしたが、母とわたしを見る目には愛情が宿っていました。
父は、自分の畑を持っておらず、村長の畑を手伝っている小作人でした。その仕事のほかに、村はずれの崖を掘り起こす遺跡発掘の仕事の手伝いもしていました。そこからは前時代の遺物や遺骨が出土して、それらを山を下りたところにあるほかの村に売ると、たまに高値になるという話で。父はまだその恩恵にはあずかっていませんでしたが、いつか貴重なものが出るのではないかと期待して、崖を掘っていたんだと思います。
しかし、ある日のことです。父は突然の落石に襲われて、頭を打ってしまいました。怪我はたいしたことはなかったんですが、しばらく寝込んでいました。母が、命が助かって本当によかったと言いながら、粥をつくったりして看病していた姿を鮮明に憶えています。
怪我をしてから、父が初めて起き上がり、外の空気を吸ってくると言って、少しだけ外に出て戻ってきた時、父は母を殴りました。外に干されている洗濯物の干し方がなってないと言って。なにがどうなっていないと言ったのか、その光景を見てあまりにもショックだったので、理解できませんでした。
嘘みたいな本当の話ですが、父は頭を打って人が変わったんです。伯父さんのように、いや、もっとひどい男に生まれ変わりました。それまでわたしは、子供ながらになんとなく、肉体という器に魂が入っているんだと思い込んでいました。しかし、父が変わってから、徐々にわかりました。魂などというものはないのだと。人間は、肉の人形なんですね。勝手に動いているだけで、そこに神秘も尊さも、なにも宿ってはいなかったんです。神や魂という言葉はなんとなく使われてはいても、わたしの村自体がきちんとした宗教とは無縁だったので、自然と身についたその考えは、誰にも否定されることはありませんでした。
母は、いつか父は治ると信じていたようです。頭の中が壊れてしまったけれど、いつか治ってもと通りになると。
わたしの村には、医者と呼ばれる人はいませんでした。薬屋のばあさんと、若い者に応急措置の方法を教える教師が医者に一番近い存在で、その二人の手に負えなければ、放置されるだけです。村の外から医者を呼ぶとか、誰か村の外へ医学を学びに行くとか、今考えればいろいろな方法があったんでしょうが、当時は、大怪我や病気をすれば死ぬのが当たり前で、どうにかしようなんて、誰も考えなかったんです。もちろん、後遺症に対処するなんていう考えも、まったくありませんでした。
父は、見た目や体にはまったく問題はありませんでした。常におかしいわけでもなくて、治ったんじゃないかと錯覚する時もたくさんありました。ついさっきまで穏やかに食事をしていたのに、母が片づけを始めると、音がうるさいとか、片づけるのが早すぎるとか、わけのわからない文句をつけて、物を投げつけたり、母の長い髪を掴んで引き抜いたりしました。
不思議と、そういうふうになった時の父は、わたしのことは眼中にないようでした。わたしは臆病な意気地なしだったので、テーブルの下や自分の部屋に逃げ込んでいたからかもしれません。しかし父は、わたしには言葉一つ、一瞥さえもくれませんでした。激情と暴力の嵐が過ぎ去ったあとは、何事もなかったかのようにわたしの頭をなでたりもしました。それがかえってこわかったのですが、恐れを見せてはいけないような気がして、わたしは子供ながらに、つくり笑いを浮かべていたと思います。
わたしはよく自分の部屋のドアの陰から、父が母を殴っているところを盗み見ていました。饒舌な伯父さんと違って、父は口をぴったりと閉じて黙ったまま、手だけを鐘を打つように正確に動かしていました。目は普通に開かれ、瞬きをしません。まったくの無表情なのに、なぜかすさまじい怒りのオーラを感じました。なにに対してかはわからないけれど、きっと父はものすごく怒っているんだと、それは母ではなくて、なにか別のもののような気がして、それならもう仕方ないのかもしれないと思いました。
母はひたすら暴力に耐え、わたしに口止めしました。ほかの人に、お父さんの話をしてはいけない、と。恥ずかしいことだと思っているのか、または、父と引き離されることを恐れていたのかもしれません。それでも、隠しおおせるようなことではありません。父が豹変して母に暴力をふるっていることはすぐに村中に知られるようになり、わたしもいろいろと訊かれたり、根も葉もない噂を聞かされたり、ずいぶんと嫌な思いもしましたが、結局、家庭の中に踏み込んできてまで助けてくれる人はいませんでした。母は大人しい人でしたが、機織りの腕や謙虚な態度で周りの人に好かれていて、困っている時には助けてくれる人がたくさんいました。しかし、父は、外ではまともで、今まで通りに仕事をしていたのと、狭い村だからこそ、よその家のことには首を突っ込みすぎないほうがいいというみんなの考えがあったのかもしれません。
父は、母の顔を殴ることはさけていたようでしたが、母が洗い物や洗濯をするとき、まくった袖からは、痣が見えることが当たり前になりました。わたしは小さい頃から自分で湯あみをしていて、母の裸を目にする機会はありませんでしたが、着替えようとしたところを一瞬目にした時、背中にたくさん痣があるのが見えました。
でも、残酷なことに、なんにでも慣れてしまうものです。当事者でなければ、ということですが。母がどう思っていたのかはわかりませんが、わたしはもうそれは普通のこととして受け入れてしまいました。父が四六時中暴れまわっていれば、また話は違っていたかもしれませんが、数日間大人しいということもあったので。いつ豹変するのかは、まったくわかりませんでした。母とわたしは、父がいる家の中ではただひたすら、父を刺激しないように、息をひそめるように過ごしました。
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