第8話 始まり~その1

始業式以来、真尋と璃々佳は一度も話をしなかった。


別にお互いを避けていたわけではないが、中々話す機会がないのが原因だった。人気者の真尋は常に誰かと一緒にいて、あるいは大勢の人に囲まれていたから、璃々佳はその輪に入ることが至難の業だった。おまけに、真尋の席は廊下側にあったので、反対側にいた璃々佳は気軽にそこに近づくことが出来なかった。変な行動を取っていたら、また真尋に迷惑をかけるかもしれないと思って、璃々佳は遠くから真尋を見ることしかできなかった。


始業式の「事件」以降、真尋と璃々佳は特に目立つようなやりとりがないため、騒ぎが完全に収まったし、璃々佳を好奇心な目で見られることもなくなった。やっぱり、真尋の行動への注目度が高かったので、誰かが彼女と親しくなると、嫉妬や面白がるような目線が必ず集まってくる。後にみんなは勝手に真尋の行動は単なる外部生への親切さだと思い込み、璃々佳に対する警戒心や好奇心が次第になくなった。


話せなかったとは言え、璃々佳は真尋のことよく見ていた。


クラスの学級委員を選ぶ時、クラスメイトたちには暗黙の了解があるように、推薦された真尋は全員の票を獲得した形で選ばれた。一見それは彼女の人気の証とは言え、逆に言えば真尋本人の意思を無視して、嫌な仕事を彼女に無理矢理させられた、と璃々佳はそう思った。一瞬とは言え、璃々佳は真尋の顔に諦めたような表情を見た時、何とも言えない気持ちが湧いて来た。


男子の学級委員選挙では、何人かの候補がいて、結局頼が選ばれてしまった。本人曰く、自分が選ばれた理由は真尋へ多分手を出さないことだと思った。やっぱり、真尋に気がある男子たちは、恋ライバルの一人を真尋と同じく学級委員にやらせたくない思いで、無害そうな頼を選ぶことが一番セーブだと判断した。やっぱりこれも真尋に関連することだから、クラスのために学級委員として一番ふさわしい人を選ぶわけじゃなかった。


真尋の人気も思わぬところで見てしまった。ある日、お手洗いへ行こうとした璃々佳は、なぜか外に数人の女子が立っていて、誰かを待っている間にずっと大声でおしゃべりしていた。後で分かったのは、みんなは真尋を待っていた。璃々佳はそれを見てこう思った、


「せめてトイレへ行く時ぐらい、一人にしたらいいのに」


どこへ行っても人が集まり、何をしても人の目を気にする。常にいい顔しか見せない、自分の気持ちを素直に伝えない。やっぱり、こんな人生はどこかおかしいし可哀想だ。お金があっても、美人であっても、こんなふうに生きるのは辛いじゃない?普通である自分の人生は良くて幸せだな、と璃々佳は初めて思った。



新学期からすでに2週間が過ぎ、璃々佳は学校のことにだいぶ慣れてきた。最初は名門校に馴染めないだろうと不安だったが、頼と遼のおかげでクラスメイトたちと早く打ち解けた。勉強の方は予想以上に大変だけど、頼と一緒に勉強できたので、今のところはまだ付いていけた。しかし、文系志望の璃々佳と理系志望の頼は来年同じクラスにいられないから、やっぱり今年のうちに何とかしないといけない。


美大へ行こうと思った璃々佳が、この高校に入りたいもう一つの理由は美術部だった。進学校とはいえ、学業成績だけを重視することではなく、部活動にも力をいれたおかげで、ここのバスケットボール部やテニス部、吹奏楽部と美術部などは県内屈指の実力を持っていた。美術部の部員たちはいろんな学生やアマチュアのコンテストで受賞したことが多く、しかも月一に系列の美術大学の教授は学校で部員たちの指導もしていた。こういう環境にいたら、自分の腕も上達するだろうし、美大へ入れるチャンスも高くなる。


入学早々、美術部の新入生コンペが行われることになった。ゴールデンウイークの連休後、一年生の部員は自分の作品を展示し、先輩たちの投票によりトップ3作品が選ばれ、優勝者たちはその後の県内高校新人コンテストにも参加できる。


ある金曜日の昼下がり、璃々佳は一人で美術部のアトリエで作品の最後の仕上げをしていた。週末前だし、そしてアトリエは部活動館の三階の突き当たりにあり、普段は美術部と隣にある書道部の部員たち以外は来ないはずのところだった。やっと終わった絵を確認していたところ、誰かがものすごい勢いでアトリエのドアを引いて、そして同じスピードでそれを閉めた。突然の音に驚かされた璃々佳は振り返った。そこに立っていたのは息を切らせそうになった真尋だった。


「ええ?椎名さん…どうしてここ?」

「恒松さん…あの…後で説明するから、今隠れる場所がありますか?」

「誰かに追われるんですか?とにかく、備品室に入れば?」

「ありがとうございます。後でちゃんと話すから」


そう言った真尋は璃々佳の案内で備品室に入り、なるべく声を出さないようにドアの後ろにあるスペースにしゃがんでいた。備品室のドアを閉めた後、璃々佳は何もなかったかのように、自分の荷物を片付けを続けた。


5分ほど過ぎたら、廊下に走って来た足音が聞こえて、3人組の女子生徒がアトリエのドアをいきなり開けた。彼女たちは誰かを探しているように室内を見渡した。


「あの、どちらさまですか?」

「美術部の方ですか?」

「はい、そうです」

「先ほど、誰か来ませんでしたか?」

「ご覧の通り、ここは私しかいませんですけど」

「椎名さんを見かけましたか?」

「椎名さん?彼女はうちの部員ではありませんので、こちらに来ないはずです」

「でも、確かに部活動館へ入ったところを見ました」

「ここは部室が結構ありますから、他のところでも探しませんか?」

「一体どうやって消えたんでしょう?」

「あの、何かありました?椎名さんに用がありますか?」

「特にありません。お邪魔しました、失礼します」


女子生徒たちは璃々佳へお辞儀をした後、階段の方へ歩き出し、どうやら他の階でも探し続けるつもりだった。自分の荷物を片付け、そして部室の清掃が終わったら、一階から先ほどの3人組の声が聞こえた。20分も使って真尋を探し続けたみたいで、今はようやく本館へ戻ったところだった。


彼女たちの去っていった姿を確認してたら、璃々佳は素早く備品室のドアを開けた。30分近くずっと同じ体勢だった真尋は顔を上げて、璃々佳に対して恥ずかしそうな笑顔を見せた。


「あの…ずっとしゃがんでいたので、足が痺れましたけど。今すぐ立ってられない…」


これを聞いた璃々佳は思わず笑い出した。


「あ、すみません。笑うつもりはありませんが…ほら、私の手を捕まってから立ってみませんか?」


璃々佳は両手を真尋の方へ差し出した。真尋はそれを捕まえて、ようやく立ってるようになり、璃々佳の支えでアトリエにある椅子に座った。璃々佳はお湯を紙コップに注ぎ、それを真尋に渡した。


「お湯を飲んでみたら?すみません、ここはこれしかありませんので」

「いいえ、これで十分です。いただきます」


お湯を飲み干し、数分後に真尋はようやく落ち着いたように見えた。そしたら、璃々佳はこう切り出した。


「では、先ほどの逃亡劇について聞かせてくれませんか?」

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