第3話 彼女の最期

三日間で二度目の里帰りになった。


紺野の法律事務所は駅から車で10分ほど離れたオフィス街にあったため、璃々佳は頼と駅の中央口で先に合流し、頼の車でそこへ向かうことになった。頭の中は疑問だらけなので、遺言状の内容が気になるより、璃々佳が一番知りたかったのは、真尋がなぜ自分と頼の名前を遺言状に入れたかということだ。


璃々佳は未だに真尋に対して、複雑な思いを抱えていた。


もちろん真尋の突然の悲報に驚いたし、もう二度と会えないことに残念だなとも思った。しかし、彼女の死に対して、悲しみというより、彼女がまだ生きている内に何も解決できなかった虚しさの方が強かったかもしれない。


あの頃、真尋のことを本気で憎んでいた、それで一生会いたくなかったと思った。真尋だって、璃々佳に対しても同じ気持ちのはずだった。だから二人はあの大喧嘩の後、口を利かなくなり、和解しないまま高校を卒業した。


正直に言うと、あの時の出来事は他の人から見れば、大したことじゃないかもしれなかった。そして、当事者である璃々佳、真尋と頼だって、今になったら多分あの頃のことを笑い飛ばせるかもしれない。でも、10代の彼らにとって、あれはそう簡単に片づけるような問題じゃなかった。


あの頃の璃々佳は、その状況を作り出してしまった張本人は真尋だと思い込んでいたので、自分には非がなかったことをずっと思っていた。だけど、初めて壮真にこのことを打ち明けた時、彼の言葉でこの件を初めて違う視点から見ることができた。冷静に考えれば、璃々佳も頼も真尋を傷つけた。だから、自分は被害者だけではなく、加害者でもあった。


しかし、長年真尋と連絡が途絶えていたから、今更和解なんてできなかった。


まさか、今は和解するどころか、会うことすらできなかった。


それで、真尋の行動が理解できなかった。なぜ、真尋は死に際に、自分を傷つけた人たちを遺言状に言及したの?そして、何かを二人に残そうとしたの?


あまりにも考えすぎたせいか、璃々佳は頼の車が目の前に来ていたことに気付かなかった。頼が警笛を鳴らしたら、璃々佳はパッと現実に戻り、微笑んでいながら彼の車に乗った。


「何を思っていたの?すごく深刻な顔して」

「うん、真尋のことで」

「やっぱりなあ、俺だって、この2日間ずっと同じ」

「だって、どう考えても、何で死ぬ前に私たちのことを考えたの?」

「俺だって分からない。彼女は俺たちに何か言いたいことがあるかな?」

「18年経った今?」

「人は死に際の時、人生を振り返ることって、よくある話じゃない」

「私との思い出はいいはずじゃないけど」

「俺だって、真尋に憎まれたのは当然かも」


そういう思いを抱えながら、二人は紺野の事務所に到着した。事務員は彼らを会議室に案内した。しばらくして、紺野は書類などを持ちながら会議室に入った。


「こんにちは、わざわざここまで来てくれてありがとうございます」


3人は軽く解釈して、紺野は書類をテーブルに広げた。


「改めて自己紹介をしたいと思います。私は弁護士の紺野敦と申します。この度、椎名真尋さんの遺言執行者を務めさせていただきます。よろしくお願いいたします。これから、椎名さんの遺言を発表したいと思います…」

「あの紺野さん、それより、まず聞きたいことはありますが…」

「はい、どうぞ、恒松さん」

「遺言状に言及した人って、私と頼だけですか?」

「ええ、そうです」

「真尋のご家族は?」

「椎名さんには家族がいません。ご本人の話によりますと、お父様が刑務所から出てきてからしばらく連絡していなかったけど、彼は10年前認知症に診断されたことを知り、椎名さんは彼を養護施設に入れさせた。そして、8年ほど前に亡くなられたそうです。お母様は椎名さんが大学2年生の時再婚し、彼女と別々で暮らしていたので、7年前に病気で他界しました」


まさかこんな答えが返ってくるとは、璃々佳と頼は一瞬何の言葉も発してなかった。高校卒業までの真尋の家庭事情を大体把握していたが、その後の展開は何も知らなかった。ということは、真尋は大学生時代から独りぼっちだった。


しばらく沈黙したら、今回は頼が質問をした。


「つまり、真尋はずっと一人だったってことですか?」

「そのようです」

「他に友達はいないですか?彼氏とかも?」

「そのような人はいないようです。友人と言えば、お二人しかいないって、椎名さんはそうおしゃってました」


「友人」


18年間連絡もしてないのに、友人とも言えるかな?それに、あんな別れ方をして、敵という形容詞の方が合っていたかもしれない。二人はそれを思うと、何だか寂しくて悲しくなった。


頼はまた紺野に質問をした。


「失礼ですが、紺野さんはどういう経緯で真尋の遺言執行者になったんですか?」

「椎名さんは私のクライアントの紹介で、自らうちの事務所にやって来た。それは確かに3年前のことで、椎名さんは33歳の時でした」

「どうしていきなり遺言状の作成なんかをしたんですか?」

「椎名さんは当時がんの診断を受けたばかりだとおしゃってました。それで、自分の意思で財産の分配や寄付などをしようと思いました。当初はお二人の名前は遺言状に書かれていませんでした。

しかし、1年ほど前に椎名さんのがんが再発して、かなり深刻な状態になりました。余命宣告まで出されたので、早いうちに改めて遺言状を書き直しました。その時、お二人のことが初めて言及しました。家族関係がないお二人に何かを残したいって、問題がありますかとかいろいろ相談してきました」


璃々佳は真尋の死因が病気だと知っていたが、詳しいことを聞かされなかった。ここ数年闘病生活を送っていた真尋は、家族もなく友人もなく、ひとりでいったいどんな思いしてきたか、そして絶交状態の旧知をどんなふうに思っていただろう。


「紺野さん…真尋の最期はどうだったんですか?その…痛みとか…」

「椎名さんは亡くなられた前の半年間はずっと入院と退院の繰り返しでした。仕事はその時辞めるしかなかったけど、貯金と投資の利益で生活費、葬式、入院と治療の費用、そしてうちの手数料もそこから出しました。税金とかの控除をしたから、椎名さんは財産の残り分をお二人に相続してもらいたいと決めました。」

「真尋はどんなお仕事をしていましたか?」

「椎名さんは高校卒業してから、神戸の大学へ進学し、奨学金とバイト代で何とか卒業までの4年を過ごしました。大企業に就職して、若いですが部長までなりました。でも、本人は曰く、自分は仕事以外することがなく、だから誰よりも出世が速いだけ、決して自分は有能なんて思っていないそうです。でも、あんなふうにがむしゃら働いていたら、体に長い間無理をさせたせいか、体調は崩れてしまった。本末転倒だなって、椎名さんはよく言いました。お金はたくさんあるけど、家族も友達もいないって、哀れな人間だなって。だけど、人生の最後に、それを託される人はお二人しかいなくてと思い、あなたたちならきっと椎名さんの意思を尊重し、残された資産を有意義に使うことを信じていました」

「そんなに信頼されるなんて…真尋はいったいどうして…」

「お二人と椎名さんは高校時代のことで絶交状態になったことをちょっとだけ聞きました。詳しい事情は分かりませんが、椎名さんはその頃のことを非常に後悔していたそうです。せめて、亡くなる前にお二人と会って、直接お詫びしたいと思いました。しかし、椎名さんの病状がこの半年間速いスピードで悪化し、今の姿じゃお二人に見せたくないと思って、結局連絡しないと決めました。

正直、お二人は自分の葬式に来るかどうかも分からないので、椎名さんは生前お二人へ最後のメッセージが入っていたビデオを撮りました。こちらはそのビデオです」


紺野は2枚のDVDを取り出し、璃々佳と頼に1枚ずつを渡した。その上に、真尋は自分で二人の名前を書きました。


「璃々佳へ」

「頼へ」

「真尋より」


この字を見つめながら、璃々佳の目から涙がどんどんこぼれ落ちてきた。頼は必死に涙をこらえていたが、目はすでに赤くなっていた。


そして、紺野はこの悲しい空気を破ったように、事務的なトーンでこう切り出した。


「では、これからお二人に椎名さんの遺言状を読み上げたいと思いますが、よろしいでしょうか?」

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