2 猫又幽矢弥という暗殺者2

 真に仕事の完了を認めた幽矢弥は、遺体の溢れる倉庫を後にした。

 向かう先は、まあ自宅なのだが、その帰路で依頼人に報告しなければならないことがあった。こんな依頼をこんな人間にする時点で、堅気ではないことは、聞くもの皆容易に想像できると思うが、実際そうである。さらに言えば堅気でない中でも上位の堅気でない存在で、某市の闇の重鎮、ガットパルドファミリーの日本支部は幹部・通称ディリゼンツァである。分かりにくいので表社会で言い直すと、某車メーカー世界シェアトップのメーカーの幹部である。

 裏社会を生きる人間にとって恐ろしいことこの上ない存在だが、幸いか災いか、幽矢弥には面識があった。その出会いも、幽矢弥がディリゼンツァの命を助けたことに由来する。いわば贔屓されているのである。

 人気のない通りに出た。今まで歩いてきたところもそうなのだが、ここなら襲撃に会っても逃げやすい。幽矢弥は携帯を取り出した。手動で番号を打ち込み、コールを鳴らす。

 「なんだ。」

 中年の男の声が聞こえた。若いかと言われればそうではないが、その歳にしては老けて聞こえる、苦労人の声だ。

 「依頼を終わらせた。証人ついでの処理班を向かわせてくれ。」

 「判った。ゼフ、行きなさい。」

 『はい。』

 電話の向こうで別の、野太い男の声が聞こえた。

 「いつもすまないね。」

 「いえ、こっちも贔屓してもらって。」

 「命の恩人だもの。」

 「光栄です。ところで……。」

 「あいつらのことか?」

 「ええ、あの取引現場。断頭会だんとうかい主導のモノですよね。」

 「そうだ。おそらくな。奴らからも依頼を?」

 「いえ。」

 「ならよかった。ちょうどいい。その断頭会について明日話があるんだ。依頼だよ。」

 「……昼間にですか?」

 「ああ、私の代理が向かう。」

 「場所は。」

 「いつも通りで。」

 「判りました。」

 「今日の報酬もそこで渡す。」

 「ありがとうございます。」

 「それじゃあ、後始末は任せてくれたまえ。では。」

 プツンと鳴って電話が切れた。

 今日の仕事が無事終わったことにひとまず安堵して、幽矢弥は伸びをした。春の終わりの夜風は冷たく、海が近いから磯の香りがする。

 さて、彼にはこの後まだやらなくてはならないことが残っていた。それを達成するための物品を、最寄りのコンビニで調達する。夜勤店員のやる気のない歓迎の文句を背に、目的の物にまっすぐ向かう。

 ……一キログラムの砂糖だ。これが無くては

 まさか昨日のタイミングで切らしているとは思わず、作り置きして楽しようという幽矢弥の完璧な計画は破綻してしまった。

 仕方なく早朝から弁当作りに勤しまなくてはならないのだが、そうすると次は出来立て熱々の弁当を冷ます時間を確保しなくてはならない。なにより料理の音で彼の目を覚ましてしまうかもしれない。それは実にかわいそうで、申し訳ないことだ。

 なんなら幽矢弥も能力の使用で多少なりとも疲労がたまっている。それに加えて昼間に会合だ。睡眠時間が欲しい。

 考える程に足が回る。そのうち自宅のアパートに着いていた。

 彼を起こさない様に静かにドアを開ける。郵便受けの付いたやたら重たいドアが音を立てる。静まり返ったアパートの敷地に、金属の軋む音が必要以上に響き渡る。

 閉める時にも派手な音を立てるため、それに警戒しつつ、防弾マスクを玄関の戸の裏に隠した。

 底の柔らかい靴を脱いで、足音を立てない様に忍び足でリビングに近づく。

 この部屋の構造は、玄関から五六歩ほどでリビングにつながる短い廊下が伸びており、廊下の左右にはそれぞれ風呂場や洗面台が一緒になったもの、狭めの個室トイレが設置されている。トイレの横にはこれまた狭い物置が用意されていて、中にはいくつかの清掃用具が収納されている。

 風呂場を横切り、トイレも横切り、廊下からシームレスにリビングに接続する。その間、足音は一切立っていない。

 幽矢弥は、リビングに入るとまず右手側を見渡した。テレビの上に掛けてあるアナログ時計を見ると、午前三時少し過ぎが示されている。

 (意外と時間があるな……少し眠るか?)

 そんな考えが頭をよぎったが、直感が「寝たら当分起きなくなる」と告げている。やめておこう。午後四時半を回るまではしばらく静かにしていよう。

 左手側にあるキッチンを脇目に、幽矢弥はテレビの下で蒲団を敷いて寝息を立てている小さな人影の隣に腰を下ろした。

 穏やかな表情で眠りにつく少年の顔を覗きながら、「ただいま。」と幽矢弥は囁いた。返事はない。それでいい。よく眠るがいい。

 この少年はナオという。東第3小学校四年生。幽矢弥の息子である。

 ナオは本来、幽矢弥の友人の息子だ。故にこの親子に血の繋がりはない。では件の友人らはどうしているのかというと、ナオが物心つく前に亡くなっている。母親はナオを産んだことによる衰弱で息を引き取った。母親への愛と想いを以て、幽矢弥の友人にしてナオの肉親・三又無尽みまたむじんは、警察官という職に就きながらも彼の両親や幽矢弥に頼りながら、育児という激務をこなしていた。

 だが、ナオが四歳の誕生日を迎えようとしていた矢先、無尽は暗殺された。遺体には首に一本、綺麗な刀傷が刻まれており、安らかな死顔をしていた。

 彼は遺言と書かれた便箋を握って絶命していた。そこに記載により、幽矢弥はナオの親権を得た。当時のナオと幽矢弥は面識があったので、二人は相容れぬこともなく、無尽の関係者らはナオの行く末について安堵していた。事実現在まで、この父子の間には大きな衝突もなく、健やかで平穏な毎日を送っている。

 ナオが寝がえりをうった。幽矢弥から顔を背けるような姿勢から、仰向けになり、幼い顔立ちが良くうかがえる。

 鼻立ちが父親そっくりだ。

 幽矢弥の脳裏に無尽の死顔が浮かぶ。

 無尽を暗殺したのは幽矢弥だった。

 当時、某市のあるいは日本の裏社会は二つの組織により支配されており、またそれらは同時に対立を深めていた。対立の要因は幽矢弥が把握できぬほどに様々であったが、片方の組織・中浪組なかなみぐみが「呪い」に関わる活動を行っていたことは確かだった。無尽は警察官という立場でありながら、その活動に加担していた。

 今となってはその理由もわからない。だが、危険な「呪い」の存在を身をもって体感していたもう一方の組織・ガットパルドファミリーがそれを許すわけもなく、無尽の関係する研究施設の解体を、幽矢弥やその他の「呪い持ち」に依頼していた。

 無尽の自宅で、マスクを着けた暗殺者に霊気の刃を押し当てられても、無尽は何も言わなかった。ただ、手に握った遺言の内容を友人に言い聞かせ、隣で眠るナオを起こさぬように静かに笑っていた。

 幽矢弥は霊気を消し、マスクを外して友人の眼をしかと見つめた。金属の軋むような音が鳴る。幽矢弥はマスクを着けなおし、無尽の自宅を去った。次に友人の顔を見たのは、彼の通夜の時である。そこで無尽の両親に、当の本人から伝えられたことをまた聞かされた。

 その時幽矢弥は、かつて妻を失った無尽の感情と同じものを以てナオを育てると心に誓った。猫又幽矢弥という暗殺者が父親になった瞬間である。

 そして現在に至る。

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