FATHER TIME
黒靴偽革
1 猫又幽矢弥という暗殺者
午前二時、某市。繁華街から大きく外れ、港に面する大規模な工業地帯の一角にはいくつもの大型倉庫が並んでいる。用途は様々だが、そのうちいくつかは現在使われておらず、周囲に人気のないそこは、とある連中にとって理想的な集合場所であった。真っ黒なスーツに身を包んでいる彼らは、お互い持ち込んだアタッシェケースの中身を見せ合い、ほくそ笑みながらも慎重に協議している。すなわち、このクスリはいくらで取引するのかが妥当か、である。実に警戒心が強い彼らは、囁きにすら満たない声で会話を続けている。当然、倉庫の外に声が漏れ出てはいない。だが、
耳をぴったり鉄の大扉に押し当てて、中の様子を聞く人影があった。人影は扉の向こうから聞こえてきた会話の内容を一通り聞き終えると、耳を扉から剝がし、懐から防弾マスクを取り出した。某国の軍隊も使用するような、安物ではない装備だ。どこから入手したのかわからないそれを、装着した。
その直後、人影の頭から、青白い湯気のような何かが湧き出した。その気、幽矢弥が霊気と呼ぶそれは彼の体表から溢れているのだと、衣服の隙間から漏れ出す青白さから感じられる。只ならぬ気配を醸し出しているが、その様子はどうにも静的で、本能が毛を逆撫でするような感覚もなく、ただそこにいる。
幽矢弥は両手を鉄の扉に押し当てた。まもなく姿勢は扉を強く押し込むような形になり、さながらクラウチングスタートのような恰好をしている。しかしその表現は、あながち間違いでもないようだ。
ほんのわずかに、霊気が多く噴き出した。
次の瞬間、マスクの男が扉をすり抜け突然屋内に現れた!
倉庫の中にいたすべての黒服が、一秒静止した。やがて我に返り、懐から銃を抜いたころには、幽矢弥は一つ仕事を終えていた。
幽矢弥の右手から放たれた霊気が地面を奔る。その跡からいくつもの鎖が飛び出してきた。茫然としている一人の黒服に向かって鎖が伸びる。黒服が我に返った時にはすでに鎖の先が鳩尾を貫通しており、痛みが襲う頃には心臓を裂いていた。
続けて幽矢弥が左手を払った。霊気もその動きに沿って流れる。青白い光がだんだんに形づいていき、三人の黒服に接触するときには鎌の形を完成させていた。残忍な形をしたそれが三人の胸を深く裂いた。
その行動で出来た怪人の隙を狙って、生き残る四人の内二人が発砲した。
着弾した。だが明らかに肉に弾が当たった音ではない。
鎖だ。地面から生えた何本もの鎖が怪人の背中を庇ったのだ。さらにはその鎖が怪人の姿を隠してしまった。黒服たちが辺りを見回しても、捉えられない。
耳元で風を切る音がした。後ろ? いや、上……
霊気と鎖で黒服の視界を奪った幽矢弥は跳躍していた。滞空する際中、先ほど放った左手の霊気が収束し、また放たれた。
霧散する霊気は先ほどと同じく鎌となり、幽矢弥の着地とほぼ同時に黒服の首を掃った。
わずか数秒で、静寂が戻ってきた。幽矢弥はこの仕事の真の目的である、クスリの廃棄処分に行動を移した。右手の霊気をアタッシェケースに放つと、みるみるうちにケースは中身もろとも燃え上がり、やがて消滅した。しかし、灰が残っていない。そもそも燃えているにも関わらず熱がない。
すなわちこれが、猫又幽矢弥という暗殺者の能力であった。
彼がこの能力を使っている様子を見て、とある方面の有識者は彼に向けてこう言った。
「まるで
以来、彼は自身の能力を語るときはその名を引用している。
静的で破壊的、そして立つ鳥跡を濁さずを具象したような能力。
そんな能力が無償で手に入る訳もなく……。
すべての仕事の完了を終えたことを確認した幽矢弥は、着用していた防弾マスクに手を掛けた。後頭部に接する金具を弄り、上に引っ張って外す。
突然右前方から大声が上がった。声に反応して幽矢弥が素早く首を向ける。
視線の先には簡素な金属製の棚があった。その隙間から、黒服の残党が見える。腰を抜かしているようだが、意志の力で立ち上がり走り出した。
逃げられる……訳ではない。幽矢弥も焦ってはいなかった。
必死に走る黒服の耳元で、金属が軋むような音がした。あるいは金属を擦り合わせるような、小さく、カリカリキリキリと。
黒服はまだ気づいていないようだが、音は続いており、それに伴って黒服の首元に何かが生成され始めていた。キリキリと鳴るたびに、宙に浮いた生成物が成長する。
やがて音が鳴りやみ、生成物……鎌が、黒服の首に触れた。
その冷たい一線を感じ、一瞬だけ冷静になったのがいけなかった。
直後、鎌は素早く首を撫で、円柱を半分断った。生涯一度きりしか味わえない熱を感じて、黒服は沈黙した。そしてその場に崩れ落ち、以降動くことはなかった。
これは幽矢弥の意思で行った殺人ではない。彼の能力、ファーザータイムの代償である。ゆえに彼らは、この能力を呪いと評するのである。
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