第8話「八方塞がり」
ユーファに教えられた通りに朝の用意をし、部屋に置いてあった本を読みながら待つ。
少しすると、扉がコンコンと叩かれた。
「ユーファ。おはよう」
「はい。おはようございます」
ユーファの服装は昨日とは異なり、布製の固そうな生地で作られた上着とズボンを着ていた。彼女から手渡された衣服は同じようなもので、その上からそれぞれの鎧を着込むのだと伝えられる。
「パレード準備まではもう暫く時間がありますので、ゆっくりで大丈夫です」
「そうか。ありがとう」
「はい。……あの、それで、明日のことなんですが」
明日。団長決めの一騎打ちのことだろう。ジュリエッタがユーファを見やれば、その灰色の瞳はやはり強い意志を灯していた。
「事情を説明して、不参加ということで――」
「出来れば」
「は、はいっ」
「――出来れば、参加したい」
何が最善かは分からない。
――けれど、この魂があの日記を書いた人物と同じならば。
出たいと思う。それがジュリエッタに出来ることだと感じたから。
「……団長」
瞠目するユーファに、ジュリエッタは参加の意思を示したというのに不安で眉が下がる。
「けれど、その……記憶も無い、戦えるか不安なんだ。君さえよければ、少しでも戦えるように訓練をつけてくれないか」
なんとも情けない話である。けれど純然たる事実だ。今のジュリエッタは剣の振り方も知らぬ、ただの魔術師だ。ジュリエッタが伺いを立てると、ユーファは何度か目を瞬かせた後に激しく首を縦に振った。
「はい!! 勿論です!」
喜色に満ちたユーファに声に、安堵する。これで無謀な事だと一蹴されてしまえばジュリエッタの心は折れていただろう。
「パレード準備までの時間、少し作戦会議をしましょう!」
「そうだな。じゃあ部屋で話をしようか」
まるで村の少年が勇者を見るように目を輝かせていたユーファに、このまま立ち話でできる内容ではないだろうからとジュリエッタが入室を促す。すると、輝いていた目がふと現実に戻ってきた。
「エッ、へ、部屋にですか?」
「ああ。何か都合が悪いだろうか?」
現在地点であるし、壁もそれなりの厚みがあるらしく大きな声を上げない限りは内容が周囲に漏れ出ることもないだろう。ユーファは何か言いたげに何度か口を開閉させたが、振り絞るように「は、入らせていただきます……!」と何故か頬を紅潮させて言った。
――どうしたんでしょう。どうしてそんな難しい表情に。……もしかして、に、臭うんでしょうか!? 確かに歳を経た男性はこう、あの、独特の匂いを発しますし、自分では気付いていないだけでお部屋が臭かったのでしょうか!? ああ、うら若きユーファさんになんたることを……!
ジュリエッタは部屋に招きながら苦悩した。しかしユーファは既に部屋に足を踏み入れている。今更部屋を変えようなどと言い出したら逆に『ユーファが部屋を臭いと思っている』ことをこちらが察知してしまったことになる。ユーファは礼儀正しい子だ、逆に気負わせてしまうかもしれない。
「アッ、ユーファはそっちの椅子に座ってくれ!」
「いえ、私はどこでも……」
「大丈夫だそっちはまだマシなはずだから」
「マシ……?」
他に座るところと言ったら道具箱かベッドしかない。道具箱は座り心地が悪すぎ、ベッドはもう臭いが染みついてしまっているだろう。
そそくさと椅子へと案内し、半ば無理矢理座らせて自身はベッドに腰を下ろした。
「あ、ありがとうございます。じゃあ、まずエヴァンさんは戦う自分というのは想像できるでしょうか?」
「戦う自分……いや、想像出来ない。魔術の方なら多少はできるが、武器を振り回すのは全く」
魔術の扱い方なら多少は分かるが、武器全般は前世では手にしたことが無かった。正直に答えれば、ユーファがなるほど。と腕を組む。
「エヴァンさんは男性にしては珍しく強力な魔術も扱える方でしたからね……。先に魔術について、今のエヴァンさんがどれぐらい扱えるか試してみましょうか」
「ああ、それは助かる」
四大元素の火・水・風・地。ジュリエッタは魔力量が生まれつき多く、魔力効率も良かった。
魔力には自身が持っているオド、そして世界に存在しているマナの二通りがある。魔術とは、オドによって世界の循環に干渉し、マナを使用して特殊な現象を起こすことを言う。
切っ掛けとなるオドの量が多いほど活用できるマナは多くなり、現象の規模や精密さも上昇する。分かりやすく言えば、斧を振りかぶる際、その力が大きければ大きいほど切っ先が物を破壊する力は大きくなる。それと同じようなことだ。
更に、魔力効率というものがある。切っ掛けとなるオドによって、どれほどマナを活用できるか、だ。
使用するオドの量が多ければ多いほど、マナが多く使用できる。だが、魔力効率が良ければ少ないオドで大量のマナに変化を与えられる。魔術師はオドの量と、魔力の効率で有能か無能か判断される。それがジュリエッタの時代の常だった。
「すみません、四大元素の魔術に関しては私は疎くて……。使い方は分かりますか?」
「ああ。それは平気なんだが、ユーファは魔術を扱えないのか……?」
「いいえ、四大元素は扱えませんが、魔力による肉体強化を得意としています。その気になれば、エヴァンさんを持ち上げるぐらいなんともないですよ!」
挑戦的に目線に、持ち上げられてはたまらないと誤魔化すように何度か頷く。
しかし、時を経ると新しい魔術の分野も誕生しているようだった。魔術による肉体強化。そんな便利なものはジュリエッタの時代にはなかった。
気になるが、今は四大元素の魔術だ。
室内で扱っても問題が無い魔術。火は危険だから少し不安だ、水は濡らしてしまう。地は土や石が残る。ならば、形のない風が一番だ。
ジュリエッタは小さく息を吐いた。そして、ゆるりとオドを吐き出す。
「『世界を流転し、構築する風よ。我が翼によりて、円環を辿り、我らに
魔術の発動は、呪文詠唱か魔法陣を使用する。
魔法陣はオドを染みこませた染料などを使用し、紙や布、石に刻んで使用する。魔法陣は一度使用すればオドが昇華し効力は失われる。しかし直ぐに使用できる利点のある方法だ。
そしてもう一つ、呪文詠唱。これも、厳密に言えば魔法陣の一種だ。音にオドを纏わせ、宙に魔法陣を描いていく。詠唱というもの自体が『宙に魔法陣を描く』という技術であり、詠唱の言葉はその魔法陣を形作るための目印であり、骨組みだ。
ジュリエッタの詠唱と共に、宙に淡い光を伴う線が描かれていく。煌めく砂を集めたようなそれが、風を起こすための魔法陣を作り出した。
「『
そして周囲に心地良さを伴う優しい風が――吹かなかった。
魔法陣は確かに完成した。風に関しての基礎中の基礎、風を起こす魔法陣だったはずだ。
それが――発動する直前、魔法陣がまるで空に消えるように散ってしまった。
「ど、どういうことだ?」
――こ、こんなこと初めて。もしかして、わ、私魔術が使えなくなってる……!?
「そんなはずは……! 『世界を流転し、構築する地よ。我が土地によりて、円環を辿り、我らに寄る辺となる
ジュリエッタの魔術の腕は確かだった。一度も魔術行使を失敗したことがない。呪文を語れば必ず願った魔術が発動し、詠唱の短縮さえも行える腕があった。
早口で唱え終えた詠唱に、魔法陣は確かに宙へと描かれる。何も間違っていない。完璧な陣だ。
しかし、それは発動の言葉と共に宙へとかき消える。
――う、うう、嘘です。そんな、魔術が発動しないなんて、私の唯一の特技が……!
魔術の扱えない魔術師など、ただのでくの坊である。
ジュリエッタの心は砕けそうだった。というか大きな罅が入り、放っておけば勝手に砕け散るであろう状況だった。心が砕ければ涙腺も崩壊する。誰が見ているかなどもう脳裏になかった、ベッドに蹲って号泣する程衝撃的な出来事であった。
――役立たず、でくの坊、無価値、誰にも必要とされない……。
脳内に浮かんできた言葉がジュリエッタに突き刺さる――直前に、焦った様子のユーファが声を上げた。
「え、エヴァンさん! 団長は二大元素使いで、水と、何より火を得意としていました! 適性がなければ術は発動しませんから、風と地は使えなかったのでは!!」
「……二大元素使い?」
「そ、そうです。大丈夫ですか? 顔色がなんというか、茶色く……」
「だ、だいじょうぶ」
大丈夫ではない。
唯一と言ってもいいアイデンティティーが否定されたジュリエッタの心は水に濡れた紙より脆くなっていた。
二大元素使い――つまり、他の二元素は使用できないということだ。
ジュリエッタに扱えない元素はなかった。ジュリエッタは知識として、その魔術師に適正のない元素はオドが反応しないらしいということは知っていた。他人によって描かれた魔法陣にオドを流す方式なら適正がなくとも扱えるらしいが、それでも威力が低くなるとかなんちゃら――。
今まで全く縁の無かった現象に、ジュリエッタは酷く困惑した。魔術が発動しないという現象が、あんなものだったとは。
――転生すると、魔術の適性も変わるのでしょうか……。
分からないことだらけだ。だが、火と水が扱えるならまだ希望がある。
――しっかりしなさい、ジュリエッタ! 次こそは成功させるの!
場所を固定するために手の平を目の前に置いた。その少し上に、魔法陣を構築していく。
「『世界を流転し、構築する火よ。我が火花によりて、円環を辿り、我らに傍らを照らす焔を与えん――』」
魔法陣は一種の芸術的な美しささえ持って宙に描かれている。
ジュリエッタは心を落ち着かせ、集中する。纏わせているオドの量も問題ない。正しく発動すれば、手の平ほどの火が出現するはず。
「
パチリ、と火花が弾ける音が胸の奥で発せられた。
――瞬間、目の前が紅蓮に染まる。
「――へ」
「だ、大丈夫ですか!!」
魔術は発動した。発動したが――それは、火ではなかった。炎、しかも天井まで昇る火柱だった。
一瞬にして消え去った炎だったが、予想もしていなかった出来事に、炎に晒されたジュリエッタの前髪は煙を上げていた。
魔法陣の生成も、オドの量も間違いはなかったはずだった。しかしこれは――明らかに、失敗だ。呪文に書き描き、実現させようとしていた現象と実際に起こった現象が乖離しすぎている。
「どうして……」
「エヴァンさん髪がっ――って、え?」
茫然自失となっているジュリエッタにユーファが慌てて近寄るが、天井から聞こえる音に注意を引かれる。見上げた先、そこには黒く焦げた色合いと赤い火が垂れるように広がっていた。
「え、エヴァンさんー! 天井が!! 私、水魔術使えないんですよぉ!」
「――え? あ、は、はい!」
肩を揺さぶられ、ユーファの悲鳴により正気に戻ったジュリエッタが天井を見上げる。火柱は一瞬だったというのに、温度が高かったのか炎が燃え移っていた。そんなことはあり得ないのに、と内心で歯がみしながらも手の平を天井へと向ける。炎を消すための水魔術で当たりが水浸しになることが想定されたが、そんなことも言っていられず口を開く。
「『世界を流転し、構築する水よ。我が泪によりて、円環を辿れ。我らに小川の祝福を与え、敵する者を排せよ――
光の粒により魔法陣が描かれ、術名と共に周囲の
――バシャン!
「え、エヴァンさん……」
煤の臭いが立ちこめる室内で、ジュリエッタは濡れていた。
魔法陣から噴出した水は全く勢いが足らず、天井へ辿り着く前に重力に従い、ジュリエッタの頭から胸までをびしょ濡れにした。
――もう、
「だめだぁ……」
「エヴァンだ、エヴァンさんしっかりしてください! み、水! 水汲んで来ましょう!」
放心状態で呟いたジュリエッタに、ユーファが腕を掴み引っ張る。
馬に引かれるような強さに、引き摺られるようにジュリエッタが部屋から連れ出されていった。
桶を見つけ二人して消火に当たり、二往復目でようやく火の手は収まった。窓を開け、充満していた煙を出し、煤けた床をできる限り綺麗にし、二人は再び向かい合った。
「……」
「……」
痛い沈黙であった。全開になった窓から、鳥の愛らしい鳴き声が聞こえてくる。
ジュリエッタは精一杯努力しようと思ったのだ。日記を読み、できる限りの事をしようと。
できる限りが全然出来なくなっていた。
「だッ、大丈夫ですよ! エヴァンさんは詠唱で戦うと言うより、魔具を使用して戦っていたんです!」
「……魔具」
それはジュリエッタも知っていた。魔獣の骨や皮、牙などを使用し、武器や防具に魔術的な作用を付与した物品のことだ。魔獣は多くの魔力を持っている。そういった生物は死後もその身体に魔力を保持しているのだ。それを利用し、魔獣の死骸を使用することによって魔術の補助とする。魔導具と似ているが、あちらは日用品などに主に使われる言葉であり、魔具は防具や武器に該当する。
強い魔具になるほど、強力な魔獣を材料とするため、貴重さと価値が恐ろしいほどに上昇する代物だ。
はい! とユーファは拳を握って力説する。
「魔具を解して凄い魔術を使用していたんです! それに、エヴァンさんは剣技が卓越していて、魔具を使用した魔技が使用できてしまうんですよ!」
魔技。それもジュリエッタは知っていた。何しろそれは、勇者が使用していた技なのだから。
勇者は魔術が扱えなかった。だから、素の能力で戦うことしか出来ない。魔技とは、魔力を使用せずに本来だったら不可能なことを行う技だ。
まるで魔術を使っているように見えることから『魔技』と呼ばれた。原理は異なるが、魔法に近い技術だ。
しかし、言葉から察するに『魔術を使用する』という点において、勇者の使用していた魔技とは厳密には異なるようだった。だが、凄まじい力を発揮できるという意味では同じなのだろう。
熱弁するユーファの姿に、元気づけているのだとジュリエッタは否が応でも理解してしまう。
――本当に優しい子だなぁ。ユーファさん。魔術の一つもろくに行使できない私に……。
信じてきたものが失われてしまった。しかし、ジュリエッタには手を貸してくれる人が居る。
ジュリエッタは力強く頷いた。
「そうだな……! その魔具さえあれば私も少しは戦えるかもしれない! それで、その武器はどこに?」
ジュリエッタがユーファを見つめる。ユーファは笑顔のまま氷漬けになったように固まり――そして、瞳を潤ませた。
「ゆ、ユーファ?」
「――すみません、エヴァン団長の魔具、魔獣討伐で折れているのが発見されていました」
――は、八方塞がりィ……!!!!
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