第7話「エヴァン・ナイトレイの日記」
翌日の予定を簡単に伝えられ、指揮を含めて任せてください。と胸を張るユーファに、ジュリエッタは頷いた。今のところ、頼れるのはユーファしかいない。ユーファが頼れる人物で良かったと心底思いつつ、兵舎のエヴァンの自室前でユーファと別れた。
簡素な鍵を渡され中へと入る。あたりは暗かったが、ユーファから渡されたランタンのお陰で手元が見える程度の光源はあった。
見知らぬ部屋にそろりと入れば、一人部屋で目を覚ました時にいた医務室よりも狭い部屋だった。木で出来た簡素なベッドと、壁に寄せられた机。収納用の大きな箱。ガラスが嵌められた窓が一つあり、そこから月光が差し込んでいた。
「ここが、私の部屋……」
ジュリエッタが宮廷に居た頃は、この何倍もの広い部屋だった。必要とされていなくとも、宮廷での最低限の用意はされていた。随分と大きくなった身体に、この部屋は少し狭いように思える。
――でも、なぜだか心が休まる。
机にランタンを置くと、その周囲が淡く照らされた。机にはいくつかの本が置いてあり、興味に惹かれるまま一つを手にする。
「『魔方陣作成について、詠唱の簡略化』」
魔術についての書籍だった。本という物は、ジュリエッタの時代では高級品だ。宮廷に多く所蔵されてはいたものの、旅に出てからはとんと見かけなくなった。読み書きが出来る人々は極一部だったため、大部分の人々にとって書物は記号の書かれた無価値な紙で、本を持ち歩いているような人物はジュリエッタだけだった。
美しい文字で規則正しく書かれた文章を少しだけ読み、元の位置に戻す。
幾つか背表紙を眺めていき、一つだけ何も書かれていないものを見つけた。
「これは、日記、ですか」
表紙を見れば、
ジュリエッタに、人の日記を読む趣味はない。けれど、今はそのようなことを気にしてる時では無かった。エヴァン・ナイトレイ――ケントルト隊隊長、そしてユーピテル騎士団団長であるその男は、どんな人物なのか。もし、ジュリエッタがこのままこの姿で生きていくのならば、知らなければならない。
ジュリエッタは、ゆっくりと表紙を捲った。
――エヴァンという男は、几帳面な男のようだった。
一日の出来事を、一ページに収まる程度ではあったが事細かく記載している。そして無味乾燥なものではなく、時折その人物の感情が垣間見える文章。
そこから読み取れるのは、ユーファの事を信頼していたこと。彼女の成長を嬉しく思っていたこと。ルーファと仲が良く、よく飲みに行っていたこと。街の人々とまるで友人のように接していたこと、隊の騎士達を大切にしていたこと。そして――団長としての仕事に誇りを持っていたこと。
そして何より、ジュリエッタの目を惹いた文があった。
「『団長決めの一騎打ちにより、本日よりユーピテル騎士団団長の称号を得た。長い間望んでいたものだ。男の私が、ここまで辿り着けるとは思ってもみなかった。しかしこれは通過点に過ぎない、私はこの国のために力を振るうと誓った。この国の人々のために、これからも腕を磨き、力を尽くしていく。皆が幸福であるように。この称号はその決意の証なのだ』」
ジュリエッタは、自分の幸福で精一杯だった。だから、正反対の人物だと思った。
日記の著者は、周囲の人々の幸せを願って、そのために努力をする。見上げた人物だ。もし、ユーファが言うようなジュリエッタの時代とは男女の地位が異なる世界ならば、彼は大層苦労したことだろう。
そこまでして国の為に、人々のために尽くしたいと思ったのか。どうしてそう思えたのか。
その日記だけでは分からなかった。ただ、熱い決意だけが滲んでいる。
「団長決めの行事、ということはこの日記は二年前のもの、でしょうか」
日記は全てのページが使われていたわけでなかった。それまで一日も欠かさず書かれていたことから、飽いたりして書くのを辞めたわけではないように思えた。別の本に続きを記すことにしたのか。
一通り読み終えて、ジュリエッタは日記を元の場所に戻した。
小さくなってしまったランタンの火を消して、月明かりを頼りにベッドへと腰をかける。
――二つの月と、太陽の光によって死した魂の自我は浄化され、生前の行いによって次の生命の行く先が決まる。
ユピテル教の教えだった。
創造神ユピテルによって世界が作られたとされる神話。世界はジュリエッタ達がいる地球を含む
全てのものは循環しており、魔術はその流転を人々が僅かに操作する術に過ぎない。
そして循環の中に、魂も存在する。月と太陽を巡り、次の生へと輪廻する。
だから人々は、戦場で次の生は平穏なものであるように神へ祈りを捧げていた。
――ずっとこのままだったら。
どこかで終わりがあるような気がしていた。けれど、終わりは来ない、時間は過ぎ、次の夜明けを待つばかりになっている。
「やはり、自我の浄化が正しく行われず、
もし、そうだとしたら記憶の問題ではない。ユーファはエヴァンとしての記憶が戻るようにと祈った。だが、自我は記憶と似て非なるものだ。
記録の結晶である記憶と、その人物の記憶を含めた
エヴァン・ナイトレイは、輪廻の狭間に消えた。
「神よ、なぜ私は浄化されなかったのですか。なぜ、私は再び、人として生を得たのですか……」
神は答えない。輪廻の先、道を決めるのは
――――――
『素晴らしいです、ジュリエッタ様!』
使用人が歓声を上げる。
ジュリエッタには魔術の才があった。
普通なら一つか二つ、多くても三つの元素しか扱えない者が多い中、四大元素を全て扱うことが出来た。
『凄いわ。ジュリエッタ』
姉の柔らかな目が細まり、細い指先がジュリエッタの髪を撫でる。
『ジュリエッタ様。どうか、その魔術の才で私と共にこの国を救ってくれませんか』
男が言った。真っ直ぐとした瞳だった。
『――手を貸して欲しい』
褒められはすれど、その力を欲されたことは無かった。けれどただ一人、その才を求めてくれた人が居た。
――私は無力じゃない。私には、魔術がある。それに――魔法も。
――そうですよね。
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