第6話「暖かな食卓」

 ジュリエッタの座る机の前には、夕食が並べられていた。

 衝撃の事実を告げられたジュリエッタは、再び飛びかけた意識をユーファによる激しい揺る動かしによりどうにか保ったのだが、すっかり意気消沈していた。そんなジュリエッタを慮ったサルワー父娘により、ジュリエッタはサルワー家の夕食に誘われたのだ。


「そんなに落ち込まないでくれよ。君だったら大丈夫だよ」

「はぁ……そうでしょうか……」


 何がどう大丈夫なのだろうか。ジュリエッタは一時の優しい言葉など欲しくなかった。何しろ明後日には団長決めの一騎打ちジョストが始まってしまうのだ。どうにか現状から逃げ出す手段が欲しい。

 ジュリエッタは出されたスープにスプーンを差し込んだ。半ば自暴自棄になっていたとしても、たたき込まれた所作は無意識に美しい動きをし、掬ったスープを静かに飲み込む。


「……美味しい」

「本当かい? 僕が作ったんだよ」

「お父さんが?」

「お義父さん!? いやぁ、それはちょっと早いんじゃないかなぁ……」

「何言ってんの……」


 ジロリと鋭い視線を受け、父はそっと口を閉じる。その様子を眺めつつ、ジュリエッタは小さく笑みを漏らした。


「親子揃って料理が上手なんですね」

「えっ! そうかい? へへへ」

「ちょっと、お父さん変な笑い方しないで!」

「変って、酷いなぁ」


 ――似てますねぇ。


 ジュリエッタはひっそりとそんな事を思う。料理を褒められたときの照れ方など、とても似ていた。親子揃っていい人達なのだな。とスープを飲み込む。


「そうだ。僕の名前も分からないんだよね。僕はルーファ。ルーファ・サルワーだよ」

「ルーファさん。じゃあ、改めてよろしく、ルーファ」

「え、エヴァン……!」


 嬉しげに口元を緩ませる相手に、間違っていなかったと安堵する。忘れられていたことを強く嘆いて、敬語を使われることにも悲しんでいたルーファだ。呼び捨てで、敬語もなしなら喜んで貰えそうだと思ったジュリエッタの思惑は正解だったようだ。

 ルーファはずれてもいないメガネをかけ直し、それから期待に光る目でジュリエッタを見た。


「けど、エヴァンは僕のことをルーファじゃなく、ルーと呼んだんだよ」

「そうなのか」

「だからほら」

「……ルー。でいいのかな?」

「勿論!」


 喜ばしげに手を叩いたルーファに、小さく笑みが漏れる。ジュリエッタの時には、こんな年齢の友人などいなかった。年上の男性は大体恐ろしいもので、勇者の陰に隠れていたものだった。しかし、ルーファは口調も物腰も穏やかで、顔つきも恐ろしくない。メガネ越しの目元は穏やかで、終始ジュリエッタに友好的だった。

 が、そんな二人を険しい面持ちで見つめている人物が一人。ユーファである。


 ――ハッ、ユーファさんが険しいお顔を……! 一体何故、も、もしや、四十代ほどのおじさん達が和気藹々と語り合っているのが見た目的にアウトだったとかでしょうか……!?


 ルーファは柔らかな表情をしているし、髭も生えていないのでむさいということもないが、対してジュリエッタ、もといエヴァンは髭を生やした逞しい目つきはどちらかというとキリリとしていて男性的である。

 ふ、不快な思いをさせてしまったでしょうか。けれどルーファさんはエヴァンさんの大切なお友達で……! とジュリエッタが一人苦悩しながらスープを啜っている中、ユーファが小さく口を開いた。


「わ、私だって……」


 しかし、その声はあまりに小さすぎジュリエッタの耳には入ってこない。が、なぜかジュリエッタより遠くの席にいたルーファが反応した。


「ユーファ、もっと大きな声で言わないと……!」

「しょ、食事中に無駄口叩かないで!」

「す、すまない」

「アッ、いや違うんです……!」


 ――――――


「エヴァンさん、明日のことなんですが」

「明日?」


 ユーファが、はい。と首を縦に振る。三人で囲んだ夕飯もなんだかんだと穏やかに終わり、ルーファが夕食の後片付けをすると席を立ったためリビングには二人きりだった。


「騎士団には色々と仕事があるのは伝えたと思うのですが、その中の一つに王族の護衛がある、というのはお話ししましたよね」

「ああ、そうだったな」


 王族。七百年前はジュリエッタもその内の一人だった。しかしドラゴンの咆哮があり、七百年も経った今ではトリスメギストス家が王族として存続しているかは分からない。

 そんなことを思案しながらも、目線でユーファに続きを促す。


「それで、明日はその護衛任務があるんです。といっても、形式的なものですが」

「護衛任務というと、王族がどこかへ行くのか?」

「いえ、この街でパレードをするんです。王女様の二番目の子、次期王女ともくされているジュリアーナ・トリスメギストス様が初めて外に姿を現されるんです」


 幸か不幸か、トリスメギストス家は存続していていたようだった。そして一番上の子が次期王女と想定されていないところから考え、初めの子は長男なのではとジュリエッタの頭に過る。


「そのパレードの護衛として、姫様が通る馬車の両端に騎士達が並ぶんです。それでですね、エヴァン団長は意識が戻らない場合は欠席ということになっていたのですが……」

「意識が戻ったから、参加しなくてはいけないわけか」


 ――それはまぁ、そうなりますよね……。


 次期王女のパレードともなれば、王家の権力を見せるためにも武力は示しておきたいと考えるのが普通だ。しかし、頭が痛いのも事実。明日はパレード、そして明後日は一騎打ちジョスト。ジュリエッタにはどちらも上手くいく気がしなかった。

 夕食で強ばった身体は解れたものの、逃げ出したいという気持ちは変わらぬままだ。そもそも、隊長や団長と言った役職も荷が重い。ジュリエッタは大勢を率いた経験などなかった。勇者の後についていって、もっぱら傷ついた兵士達を癒やしていた。強大な魔術も、勇者の指示で行使することが多かった。

 誰かから頼られることが少なかった。頼られたいとは思っていたが、重圧を背負うことは恐ろしい。それに、既に勇者がジュリエッタを頼ってくれていた。それで十分だった。


「パレードの都合上、各地の隊からも何名か呼び寄せる必要があって、それが原因で今回ちょっと一騎打ちジョストの予定もずれたんです。本来なら、一ヶ月前に終わっている行事なんですよ」


 一ヶ月前。それならばエヴァンがまだエヴァンであった頃だろう。既に終わってくれてさえいれば、まだ救いがあったかもしれないというのに。ジュリエッタは間の悪さに耐えきれずに小さくため息を漏らした。


 ――私、本当にどうなってしまうんでしょうか。このまま、本当にエヴァン・ナイトレイとして生きていかなければならないのでしょうか。


 ジュリエッタが机の木目を見つめていれば、ユーファからジュリエッタのつむじにそっと声がかかる。



「辞退、しますか?」


 ジュリエッタは思わずユーファをまじまじと見つめてしまった。あまりにも――意外な提案だったからだ。ユーファはエヴァンの強さを信じ切っているようだった。レラが強者であることを認めながらも、エヴァンを更に強いと力強く語る姿は嘘偽り無かった。

 辞退。ジュリエッタも、出来るものならしたい。したいが、許されない立場というものがあるのも分かる。前回の優勝者。怪我を負い意識不明のために辞退なら理解もされようが、動けるほどに回復しているのに不参加など、騎士団としての誇りや矜持が許さないだろう。ジュリエッタがどう思うかとは別に。

 力ある組織ほどしがらみは多い。だからこそ、ジュリエッタは逃げたいと強く思いながら実行など出来ないと諦観していたのだ。

 言葉を返さないジュリエッタに、ユーファが続ける。


「エヴァン、隊長は命をかけて魔獣討伐を行い、重傷を負いながら生還しました。記憶も失って……これ以上頑張らなくて良いと思うんです」

「……しかし」

「エヴァン隊長、責任感が強い方ですから、どうにかして参加しなきゃと思ってるんだろなって。私も、参加はして欲しいし、優勝して欲しいです。エヴァン隊長は誰よりも強いんですっ! でも、無理はして欲しく、ないですし……」


 ユーファが組んでいた手を強く握る。そして、光る――よりも、ぎらつく瞳で告げた。


「周囲が何をどう言おうとも、私が守ります。エヴァンさんのこと」


 ――ああ、強いんだな。この方も。


 ジュリエッタが見たその瞳は決意の瞳だった。決して譲れない、譲らないと決めた眼。そういう目を出来る人は限られている。折れぬ意志を持つ人間、そして何よりその自信。

 守れると確信する、その矜持。


 ――綺麗。


 その瞳をジュリエッタは見たことがあった。旅の中、戦火の中。亜獣の眼に、騎士の目に、そして何よりも勇者の漆黒の瞳に。薄暗い、決意の誓い。


「……少し、考えさせてくれないか」


 ――――――――


 片付けを終えたルーファが出てきて、そろそろ兵舎に戻らなければとユーファに促され席を立つ。


「今日はありがとう。食事も、片付けまでやってもらってしまって」

「いいよいいよ。いつもやってることだからね。それよりもまた来てくれよ。エヴァンに会いたいっていう貿易商がいるんだ」

「貿易商?」

「そうだよ。あ、不安かもしれないけど、エヴァンも以前あったことがあるし、会うときは僕もついてるから大丈夫だよ」

「そうか。じゃあ、そのときは頼む」

「うん。また今度」


 ルーファに見送られ夜の街に足を踏み出す。

 サルワー家から出るときには既に日が沈みかけており、少し歩けば当たりは暗闇に染まっていく。

 ジュリエッタは空を見上げた。そこには、沈む太陽とは逆に姿を現す星々と、二つの月があった。一つは紫色の月、もう一つは星空の中にあっても尚黒く、縁が白く彩られている月。二つが一定の距離を開けて、空に浮かんでいる。

 死した魂を浄化すると謳われる太陽と、二つの月。


「月を見ているんですか?」

「……ああ、月というより。ユピテル教のことを考えていた」

「ユピテル教……。確かに月に関する記述もあったような」


 ユーファに歩幅を合わせながら歩いて行く。途中、下からの明かりで僅かに月が見えにくくなった。ジュリエッタが空を仰ぐのをやめてみれば、大通りには背の高い金属棒があった。棒の先にはガラスの箱があり、そこに強い火が灯っていた。


「あれは、魔術?」

「え? ああ、魔導具ですよ。街灯の一種ですが、魔導具としては近年開発されたものです。暗くなると点灯員がやってきて、魔導具に魔力を流すんです。それで朝まで燃え続けます」

「街灯……朝まで……」

「はい。といってもまだ王宮や大通りにしかないんですけどね」


 明かりがあるせいか、大通りには多くはないが人々が歩いていた。七百年前、夜は人の領域ではなかった。朝まで燃え続ける魔導具など存在しなかったし、自身の魔術での火の光も消費する魔力に対して恩恵が少ない。

 大きな変化がないと思っていた。しかしそれはただ理解していなかっただけだった。手にしていた常識が、この一日で悉く覆されて行くのをジュリエッタは感じていた。

 七百年、長い時間だ。ドラゴンの咆哮で多くの人々が亡くなっただろう。けれど人々は争い合いながらも進化を続けている。


「――本当に、変わりましたね」


 一人、取り残されたような寂しさだった。



「そうだ! ジュリエッタ様を見に行きませんか!」

「え」

「近くに像があるんです! 記憶が早く戻るようにお祈りしましょう!」


 こっちです! と走り出してしまったユーファに、ジュリエッタが慌てて着いていく。

 街灯が淡く照らす道を駆けていき、辿り着いた先でユーファが振り返った。


「この方がジュリエッタ様です。お美しいでしょう!」


 ユーファの背後には、台座を含めて三メートルはあるだろうかという女性の像が建っていた。ブロンズ像であるそれは、街灯の光を反射して深緑色を反射している。

 布を巻き付けたような服装に、ウェーブのかかった長い髪。背には輪を背負っており、その中には火、水、風、地の四大元素の魔術記号が描かれている。両手には花を持っており、片方は枯れた花。もう片方は咲き誇る花を手にしている。

 しかし、ジュリエッタが目を奪われたのはそこではなかった。


「……美しい方ですねェ」

「はい。って、エヴァンさん敬語になっちゃってますよ!」


 ユーファの言葉を笑って濁す。

 それはもう仕方が無い。ジュリエッタとしては頭を抱えないだけ良いと思って欲しかった。


 ――本人より二割増し美人なのですが……!


 神話である、神である。当然美化されることもあろうが、張本人のジュリエッタとしてはなんとも言えない気分になった。そのままの顔ではいけなかったのか。これなら全くの別人の方が気楽に見れていたのに、こうも『二割増し美人』だと私の顔がいけなかったのかとジュリエッタは歯がみしそうだった。乙女には乙女なりのプライドがあるのだ。


「お祈りしましょう! エヴァンさんの記憶が早く戻りますように!」

「……戻りますように」


 笑顔で祈るユーファになんとも言えない気持ちになりつつ、ジュリエッタも手を組む。自分に祈るとはこれいかに。



 祈り終わったユーファが、くるりと振り返る。スカートの裾がふわりと舞う。


「気分転換になりましたか?」


 尋ねられたそれに、ユーファがジュリエッタを気遣ってここまで連れてきたことを察した。

 感傷に浸っていたことが悟られていたことの気恥ずかしさと、その心遣いに感謝しながらジュリエッタは笑みを向ける。


「ああ。ありがとう、ユーファ」

「はい!」


 ユーファの花のような笑顔を眩しく思いながら、ジュリエッタは帰路へと着いた。

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