吉村家にて

 十二月に入ってすぐの土曜日、吉村よしむら夫妻は自宅で客が来るのを待っていた。客の一人は夫の友人で、もう一人は妻の友人だ。数日前から付き合い始め、出会いのきっかけとなった夫妻に挨拶をしたいということだった。






 十一月の終わり、妻の千花ちかは友人である幸子さちこにスマホでバースデーメッセージを送った。その日は朝から忙しく、送るのが夜になってしまった。

 千花は幸子からの返信に、声が出るほど驚いた。

〈ありがとう。福田さんと付き合うことになったよ。千花のおかげだね。本当に感謝してる〉

「えっ、いつから? いや、嬉しいけど。えっ?」

 詳しく聞くために文字を打っていると、ビデオ通話で着信があった。画面には〈福田ふくだ雅貴まさたか〉と表示されている。夫の友人であり、幸子の彼氏になった人だ。


 応答すると雅貴と幸子の姿が映った。画面に入るように寄り添っている。

『千花さん、俺たち付き合うことになりました!』

「いつから?」

『さっきです』

 雅貴の鼻声を聞いて、泣いていたのだと分かった。幸子もハンカチで目元を押さえていた。

「もしかして、今日が誕生日だから会ったの?」

『いえ、今日が誕生日だとは知りませんでした』

「じゃあ偶然ってこと?」

『今朝、わたしが会いたいって連絡したの。誕生日は関係なくて、福田さんにどうしようもなく会いたくなって・・・・・・』

 画面の向こうで、雅貴が泣いている幸子の頭を撫でている。


「そこどこ? 暗いみたいだけど」

『公園です』

「今日は寒いんだから、あったかい場所に行きなよ」

『あ、そっか。ごめんね。寒いよね』

 雅貴がそう言って幸子の頬に触れると、幸子も雅貴の頬に手を添えた。

『ごめんなさい。わたしが公園で話そうって言ったから・・・・・・』

『俺は平気だよ。幸子といれば、あったかい』

『ふふっ、わたしも』

 幸せそうな二人の姿に千花は安心した。両思いだけれど相手を思うあまりにすれ違ってしまった。そんな二人を千花は心配していたのだ。


「もう切るよ。誕生日デート、楽しんでね」

『千花さん、ありがとうございました!』

『千花、ありがとう!』

 二人の幸せに満ちた笑顔を見て、千花の心は温かくなった。通話を終えると、安堵あんどの気持ちから涙があふれた。


「千花、どうした?」

 夫の徹彦てつひこが息子のあおいと風呂から出てきた。

「幸子と福田君、付き合うことになったって」

「そっかー、嬉しいなあ」

 徹彦と千花は抱き合い、互いに友人の幸せを願った。






「わー、サッちゃんとマサ君だー!」

 リビングに入ってきた二人を見て、葵がはしゃいだ。

「サッちゃん、ぎゅーしてー」

 葵は幸子にとても懐いていて、会うといつも抱っこをねだる。

「いいよー。ぎゅー」

 幸子が抱え上げると、葵は喜んで幸子に抱きついた。

「サッちゃん大好きー」

「そんなに甘やかさなくていいよー。もう重いでしょ。腰、痛めたら悪いし」

 千花は少しつらそうな幸子の表情を見て言った。

「んー、そうだね。そろそろね」

「じゃあ、俺がぎゅーしてあげようか?」

 雅貴が言うと「マサ君のはいらない」と拒否した。千花がテレビでアニメを再生すると、葵はすぐそちらに夢中になった。


 雅貴と幸子は肩をくっつけてソファに座った。二人とも嬉しそうな顔をしている。

「誕生日のデートはどうだったの?」

 そう千花が聞くと幸子が答えた。

「あの日はすごく泣いてメイクが崩れちゃって・・・・・・」

 幸子は近くの化粧室でメイクを直し、その間に雅貴が個室のある飲食店を探した。店までしっかりと手を繋いで歩き、楽しく食事をして帰宅した。そして、電話を毎晩するので名前で呼ぶのにも慣れた。と、話す。

「本当に嬉しくて、幸せすぎて、言葉にできないです」

 そう言って雅貴は幸子と手を重ねる。

「プレゼントは何かあげたのか?」

 キッチンからコーヒーを運んできた徹彦が言う。

「それが、まだなんですよね。幸子はいらないって言うし」

「あの日はおごってもらったし、それに・・・・・・雅貴さんと付き合えたことが最高のプレゼントだから」

 幸子と雅貴は目を合わせて、照れながら笑っている。


「そういえば、雅貴さんの誕生日っていつ?」

 幸子が尋ねると、雅貴は「四月だよ」と答えた。

「プレゼント、考えとくね」

「俺は幸子と一緒にいられれば、それだけでいいよ」

 二人の初々しさに千花は笑みがこぼれた。

「サッちゃんの体にリボン巻いてさ、プレゼントはわ・た・し、って言えばいいんじゃない?」

 徹彦の発言に千花は「バカ!」と笑いながらつっこんだ。そんなちょっとした冗談が二人の心には響いたようだった。

「そういうのがいいの?」

「してくれるの? あー、もう、想像しただけでやばい」


「困ってる福田君にハンカチを渡したのって、幸子らしいよね。ほら、わたしと幸子の出会いもそんな感じだったでしょ」

 千花は大学時代のことを思い出した。

「あ、試験の時ねー。千花が筆記用具を丸ごと忘れちゃって」

 幸子も懐かしそうに笑みを浮かべる。

「予備で持ってたのをサッちゃんが貸してくれたんだったよな」

 徹彦も千花に聞いた話を口にする。

「その話、俺だけ知らないのか」

 雅貴は面白くなかったようで、不満そうな顔をした。幸子が雅貴に「あのね」と説明を始めた。

 視線をしっかり合わせて楽しそうに話す二人の姿を見て、千花の心は温かくなる。


「サッちゃんとマサ君は仲良しになったの?」

 それまで静かにアニメを見ていた葵が言った。

「そうだよ。すっごく仲良しになったんだよ」

 雅貴が嬉しそうに答える。

「じゃあ、ぎゅーしたり一緒に寝たりするの?」

「そうだねー、ぎゅーはするねー」

「ぼく、サッちゃんのぎゅー好きだよ。おっぱい大きくて、柔らかくて好きー」

 その場の空気が固まった。幸子は顔を赤くしてうつむき、雅貴は幸子の胸に視線を向け、吉村夫妻は顔を見合わせる。


「サッちゃん、ぎゅーしてー」

 葵が幸子に近づこうとするのを、千花は抱いて止めた。

「幸子のぎゅーは福田君だけのぎゅーになったから、葵はもうだめだよ」

「なんで? マサ君だけずるい!」

 葵はじたばたと暴れる。

「葵にはママのぎゅーがあるだろ? そんなこと言ってると、パパがママのぎゅー独り占めしちゃうぞ?」

 徹彦も慌ててフォローする。

「それもやだー!」

 葵は千花に抱きついて大人しくなった。しかし、ほっとしたのも束の間で、次に葵が発した言葉によって再び場が凍ってしまう。

「じゃあ、ぼくが大きくなってサッちゃんと結婚したら、ぼくだけのぎゅーになる?」


「それはだめだよ。幸子は俺の大切な人だから、誰にも譲れない」

 雅貴が真剣な表情で葵に言った。

「子ども相手に何言ってるの」と、幸子が照れながら雅貴の袖を軽く引っ張る。

「ごめんね。葵君が大きくなる頃、おばあちゃんになっちゃってるし。わたしなんかじゃなくて、ちゃんと可愛い子がいっぱいいるでしょ?」

「やだー! ぼくはサッちゃんがいい! サッちゃんは可愛いし、おばあちゃんにならないもん!」

 葵が大きな声で泣き始めた。


「二人とも、今日はこれからデートしに行ったら?」

 困った様子の雅貴と幸子に、徹彦が提案した。

「そうそう。二人でゆっくり過ごしたらいいよ」

 千花も同じように勧める。

「せっかく来たけど、そうさせてもらいますね」

 雅貴は幸子の手を取って立ち上がった。

「こんなことになって、ごめんなさい」

 謝る幸子の肩を雅貴が優しく撫でる。

「大丈夫だって。そんな気にしなくていいから。徹彦君、玄関まで二人を送ってあげて」

 千花が泣きじゃくる葵をなだめながら促した。




 二人が帰った後、吉村夫妻は息子が泣き疲れて眠るまであやし続けた。そして、息子の幸子を慕う気持ちについて話し合うことになったのだった。

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