十一月、あかりがともる夜

〈俺も会いたい! どこでも何時でも行くよ! 今日、仕事の後でもいい?〉

 雅貴まさたかからの返信はすぐに届いた。嬉しさと驚きが一気に押し寄せ、幸子さちこは勢いよく起き上がって正座をした。安堵あんどの気持ちから涙が出た。

〈返事をくれてありがとう。嬉しい。わたしも今日会いたい。最後に会った公園はダメかな?〉

 あの公園は雅貴の職場から遠くないはずだ。そして、幸子は選択を間違えた場所でやり直したいと思った。

〈いいよ。七時頃には行けると思う〉

〈ありがとう。じゃあ午後七時に公園で待ってる〉

 雅貴に全て話そうと、幸子は背筋を伸ばした。もう逃げたりしない。




 いつもと同じ時間にバイトを終えた幸子は、最寄り駅へと自転車を走らせた。帰路につく人々に混ざって電車に乗り込む。高校生とおぼしきカップルが顔を寄せてひそひそと話をしているのが見える。幸子は自分も雅貴とそうできたらいいのにとうらやましく思った。


 約束の公園に近い駅で降りた幸子は、駅前の商業施設で服を買い、着替えのできるパウダールームで身支度をした。久しぶりに穿くスカートは落ち着かないが、雅貴に少しでも良く見られたくて精一杯のお洒落をした。

 幸子は雅貴に会えるのが嬉しくて仕方ない。高揚と緊張でドキドキが止まらない。しかし、今日で本当に最後になるかもしれないと、大きな不安も抱えている。


 公園の入り口まで行くとイルミネーションが輝いていた。幸子はそういったことに興味がなく、そういう季節なのだということを忘れていた。人が多くて話すのには不向きな場所だと感じた。

「市川さん、こんばんは」

「わっ、びっくりしたー」

 他にいい場所はないだろうかと考えていると横から声をかけられた。声の主は雅貴だった。

「驚かせてごめんね。着いたよって連絡しようと思ったら、姿が見えて」

「ううん、大丈夫。考え事してたから、ちょっとびっくりしただけ」

 雅貴の柔らかい笑顔と声が幸子の緊張をやわらげた。

 

「今日は会ってくれてありがとう」

「俺のほうこそ、連絡くれてありがとう。会いたいって、ずっと思ってた」

 雅貴の優しい声は耳心地がいい。幸子はすぐにでも雅貴に触れたい衝動に駆られた。それを心の奥にしまい込んで、目的を果たすことに集中した。

「あの、イベントやってるなんて知らなくて。どこか他の場所がいいかなって考えてて・・・・・・」

「せっかくだから見ていこうよ。公園の奥に行けば静かだと思うし。それか、お店とか入る?」

「えっと、外のほうがいい」

 他の人には聞かれたくない話だ。公園も誰かに聞かれている可能性はあるが、店の中よりはマシだと思った。

 

 イルミネーションの中を雅貴と並んで歩いていると、幸子は周囲のカップルに羨ましさを感じずにはいられない。雅貴の告白を受け入れていれば、この場所を手を繋いで歩くことだってできていたはずなのに、と。

「あのさ、今は社員の人から嫌なことされてない?」

 雅貴は幸子のことをずっと気にかけていたのだという。

「・・・・・・うん。あの後、他の人にも声かけたらしくて、解雇になったみたい。本社で女性と揉めて異動させられたって噂を聞いてたから、もう後がない状態だったんだと思う」

「それじゃあ、辞めるとか引っ越すって話はなくなったの?」

「引っ越しはまだ決めてないけど、来月で今のバイトは辞めるの。次のことはこれから考える」

 幸子は雅貴に思いを伝えてから、その先のことを決めようとしていた。もし、まだ好きでいてくれるなら引っ越しはしないし、手遅れなら地元に帰るだけだ。


 電飾の輝きを抜けて進んでいくと、街灯が哀愁を帯びたように周囲を照らしている。街のざわめきが遠く感じるほどに静かだ。ベンチを見つけて並んで座る。二人の間にある少しの距離に幸子は寂しさを感じた。

「会ってくれて本当にありがとう。直接、福田さんに話したいことがあって。嫌になったら帰ってくれて大丈夫だから」

「最後まで聞くよ。市川さんの話、聞かせて」

 優しく微笑む雅貴の表情に、幸子は嬉しさと自己嫌悪を抱いた。

「あの日、告白された日、振られるべきだったのは、わたしなの。ごめんなさい」

 幸子は頭を深く下げて謝った。

「どうして? 理由、教えてくれる?」

 うつむきながら、幸子は話を続ける。

「わたし、自分が傷つきたくなくて、福田さんを振ってしまって・・・・・・。本当は嬉しくてたまらなかったのに。自分に自信がなくて怖かった。だから、好きって言えなかった」

「そっか。俺のこと好きなんだ」と雅貴がふふっと笑った。

「好き。考えない日がないくらい、好き」

「好きなのに、俺、振られちゃったの?」

「ごめんなさい。福田さんはかっこよすぎるから、わたしなんかじゃ釣り合わないし。収入も少ないし、わたしじゃ福田さんを幸せにできないなって・・・・・・」

 幸子の視界が涙でにじんでいく。

「釣り合わないって何? 俺、市川さんを養えるくらいは稼いでるし、不安なら頼ってほしい。それに、俺は、市川さんと一緒にいられることが幸せなんだから、幸せにできないなんてことないんだよ」

 雅貴の悲しそうな声に、幸子は心を痛めた。

「でも、たくさん迷惑をかけて、きっと重荷になると思う」

 雅貴が大きくため息をついた。

「ああ、分かった。俺が年下で頼りないのが悪いんだね」

「違う! そんなことない! 年下だからダメとかじゃない! 一緒にいると楽しくて、幸せで、どうしようもなくドキドキして・・・・・・。福田さんに隣で笑っていてほしいって、わたしに触れてほしいって思う。もう、好きすぎて分かんない」

 せきを切ったように言葉があふれ出す。幸子の両手を雅貴が優しく握った。

「それでいいでしょ? 俺も一緒にいて幸せだって思う。市川さんは自信がないって言うけど、俺はすごくすごく可愛いって思ってる。表情も仕草も。大好きだよ」

 雅貴がもう一度「大好き」と言った。

「俺だって、市川さんに相応ふさわしい男になりたいんだよ。頼りがいのある年上の人が好きなんだろうなって思ったら、自信なんか全然なくて・・・・・・。どうすれば好きになってもらえるんだろうって、ずっと考えてた」

 雅貴が照れたように笑った。

「ごめんね。そんなこと知らなくて・・・・・・。振っちゃうなんて、本当、わたしって最低・・・・・・」

「ううん。俺も市川さんが悩んでるの知らなかったし、しっかり話を聞いてればよかったと思う。俺たち、ちょっとすれ違っただけなんだよ。だからもう気にしないでさ、両思いってことでいいよね?」


 雅貴の言葉を幸子は嬉しく思ったが、まだ大切な話をしていない。幸子は深く息を吸った。

「わたし、恋愛経験がないの。四十路よそじにもなって、一度もお付き合いをしたことがなくて。だから嫌な思いをさせるかもしれない。花火の日のキスも、あれが初めてで・・・・・・」

「え? 初めて? ・・・・・・ごめんね。初めてだったのに、あんな形でしてしまって、本当にごめん」

「謝らないで。福田さんは何も悪くないから」

 幸子は目をぎゅっと閉じて、言葉を続ける。

「えっと、わたしね、痴漢にあったりとか色々あって、男の人が苦手で・・・・・・。必要以上に近づかなかったし、近づかないでって思ってた」

 幸子は過去について詳しく話すのは怖かったため、言葉をにごした。特に次兄とのことは話せないと思った。

「今は苦手意識が薄れてるんだけど、あのキスの時はちょっと気分が悪くなって、逃げてしまった」

 こんな話を聞いたら傷つくに決まっている。雅貴のことを思うと涙がこぼれ落ちた。

「本当に人酔いしてただけなのかもしれなくて・・・・・・。キスされたのを思い出すと嬉しい気持ちになるし、手を繋いだり、肩を寄せ合ったり、福田さんが触ってくれるのも幸せに感じる。だからきっと大丈夫と思う一方で、またこばんでしまったらどうしようと思って・・・・・・。こんな、キスくらいで悩む女なんて面倒だし、嫌でしょ?」

「嫌じゃないよ。ごめんね。事情を知らなくて、俺が勝手に一人で盛り上がっちゃって・・・・・・。これからは待つよ。市川さんの心の準備ができるまで待つ」

「本当に? いつまで待たせるか分かんないよ? そんなのつらいでしょ?」

「大丈夫だよ。少しずつ進んでいこう。今みたいに俺が手を握るのが平気なら、触れ合って慣れていけばいいよ」

「ありがとう。そんなふうに言ってもらえると思ってなかった」

 雅貴が幸子の頭を撫でる。

「俺、我慢できない時もあるかもしれないけど、嫌なら嫌って言っていいから・・・・・・。ずっと俺のそばにいてください」

「気持ちに応えられるように努力するから、傍にいさせてください・・・・・・」

「努力なんてしなくていいよ。つらい思いはさせたくない」

「でも、頑張らないと福田さんに恥をかかせるかも・・・・・・。美人じゃないし、ダサいし」

「そんなこと言わないで。俺は市川さんのこと最高に素敵な人だと思ってるよ。人の目が気になるんなら、家でデートしたっていいんだよ」

「福田さんはそれでいいの? つまらなくない?」

「一緒にいられる時間が楽しいんだよ。・・・・・・市川さんが抱えてる不安は俺が消してあげる。なんだってする。だから、遠くに行かないで」

「ありがとう」と言って雅貴の顔を見ると、その目は涙でうるんでいた。しかし、その表情は嬉しそうだ。

「改めて言うね。俺と付き合ってください」

「はい。よろしくお願いします」

 二人とも泣きながら笑った。


「ねえ、これ覚えてる?」

 雅貴がハンカチを差し出した。

「えっと、映画とコラボしたやつだっけ? わたしも同じの持ってたんだけど、なくしちゃって」

「これ、市川さんのだよ」

 雅貴が何を言っているのか、幸子は理解できなかった。

「俺と市川さん、七年前に会ってたんだよ。テツさんと千花さんの結婚式で」

「あの場所にいたの?」

「そう。その帰りに水たまりで足を濡らしちゃってね、市川さんがハンカチを渡してくれたんだよ」

「ごめん、覚えてない」

「大丈夫。俺も思い出したの先月だし」

 雅貴がハンカチで幸子の涙をそっと拭う。

「わたし、千花のことお祝いしたくて出席したけど、あの日はすごく緊張してて、周りの人とほとんど話せなくて・・・・・・」

「ふふっ」っと雅貴が笑う。

「そっか。緊張してたのか。すごく素っ気なかったし、サッと渡して去っていったんだよ」

「ごめん」

「いや、嬉しいよ。男に近づきたくないって思ってたのに、俺には話しかけてくれたってことでしょ? もしかしたら、あの時から始められてたのかもって後悔した。ハンカチを返して、同じの持ってるって言って、映画の話ができてたら・・・・・・なんてね」


 雅貴の真剣な目が幸子を見つめる。

「抱きしめてもいい?」

「うん」

 幸子が答えると、雅貴の両腕が幸子を包んだ。幸子はどうしたらいいか分からないながらも、雅貴の腰に手を回した。雅貴の香りと温もりで安心感に満たされていく。

「さっき、待ち合わせ場所で市川さんを見つけた時、駆け寄って抱きしめたかった。でも、会えるだけでも奇跡だと思ったし、嫌われたくなくて、グッと堪えた」

 耳元で聞こえる雅貴の声がくすぐったい。

「今、こうして市川さんが俺の腕の中にいてくれて、すごく嬉しい。・・・・・・ねえ、名前で、幸子って呼んでいい?」

「うん」

「幸子・・・・・・。俺のことも名前で呼んでほしい」

「雅貴、さん」

 雅貴の腕に力が入るのを感じた。

「幸子の初めては、俺が全部いい思い出にするから。あ、でも、キスは・・・・・・ごめんね」

 そう言って、幸子の背中をトントンと優しく叩く。

「ねえ・・・・・・キス、したい」

「ん? 今なんて?」

 雅貴が体を離して、驚いた顔で幸子を見た。

「今日がファーストキスの日ってことにしない? それで、あの日のキスのことを謝るのは終わりにしようよ。ね?」

「そう言ってくれて俺は嬉しいけど、焦ってない? 外だけど、嫌じゃない?」

「今、すごくしたいと思うし・・・・・・。あの日も外だったよ」

「あー、そうだったね」

 雅貴は照れくさそうに笑った。


「じゃあ、するね」

 雅貴はそう言って優しく微笑ほほえみ、幸子の髪を撫でた。そして頬に手を添えて、親指で唇をゆっくりとなぞる。幸子はその感触に酔いしれるように、そっと目を閉じた。

 幸子の顔に当たる雅貴の息で近づく気配を感じる。そっと唇が重なる。柔らかくて、温かくて、とても気持ちいい。

 

 幸子は強く確信した。大丈夫。彼なら。彼だから。今、わたしは幸せだ。と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る