雅貴の過去

 雅貴まさたかの初恋は中学生の時だった。片思いに終わった恋の相手は、陸上部で活躍していた友希ゆきという女子だ。可愛くて、明るい性格で、ショートカットと日焼けした肌がよく似合っていた。

 中学二年生の時に同じクラスで、夏休み明けの席替えで友希は雅貴の前の席になった。当時の雅貴は眼鏡をかけたぽっちゃり体型で、相手になんてされないと思っていた。友希の背中を見つめるだけでも贅沢だと感じた。


福田ふくだ君って、ノート書くの綺麗だね」

 友希が後ろ向きに座って、雅貴に声をかけた。

「あ、ありがとう」

 雅貴は急なことに驚いて挙動不審になった。名字を知っていてくれたのは嬉しかった。

「字もすごく綺麗」と細く長い指が雅貴のノートをなぞった。

「まあ、書道部だから」

「そっかー。綺麗な字が書けるっていいね」

 憧れの女子に褒められて、雅貴は舞い上がった。

「他校に彼氏がいるんだけど、部活が忙しくてなかなかデートできなくてね、手紙を書いてるんだ。でも、字が汚くてダメなんだよね」

 恥ずかしそうに笑う友希の話を聞きながら、彼氏がいるという事実にショックを受けた。

「気持ちがこもっている手紙は嬉しいと思う」

「そうかな? 彼からは手紙をもらったことないんだよね。男の子ってそういうもの?」

 雅貴はどうしてそんな男と付き合っているのかと問いたくなった。

「男子がみんなそうってわけじゃないと思うよ。俺ならすぐに返事を書くし」

「そっかー。彼が福田君みたいだったらいいのになー」

 伏し目になった友希のまつ毛は長く、雅貴の鼓動は速さを増した。友希は彼氏が雅貴のようであればいいと言っただけで、雅貴が彼氏だったらいいのではない。なのに、もしかしたらと少しだけ期待してしまった。


 この会話がきっかけで、たまに話すようになった。次の席替えで離れてしまっても。挨拶するだけで嬉しかった。

 冬休みに入る前、友希に年賀状を送るために住所を聞きたかった。けれど、雅貴は勇気が出なくてできなかった。友希が綺麗だと言ってくれた字を、友希のためにつづりたかった。


 冬休みが終わると、友希の姿がなかった。休み中に転校したのだという。

 クラスではある噂が流れていた。彼氏とセックスをしている時、インスタントカメラで裸の写真を撮られ、友人に見せびらかされた。そのせいで母親と一緒に祖父母の住む田舎に引っ越したらしい。そんな話だった。

 悔しさ、憎しみ、怒り。雅貴の中で負の感情が渦巻いた。友希はどうしてそんな男を選んだのか。どうして友希のようないい子が酷い目に遭わなければならないのか。


 雅貴は高校生になっても友希のことが忘れられず、再会を期待して陸上部に入った。きっとまだどこかで走り続けているだろうと考えた。

 とはいえ雅貴は走るのが苦手だったため、マネージャーとしての入部を考えていたが、顧問の勧めで砲丸投げを始めた。大会に出場するために努力を重ね、高校三年生の時には全国大会に進んだほどだ。しかし、友希と再会することはなく、他校の生徒との会話でも友希に繋がる情報は得られなかった。


 引退のタイミングで、雅貴は陸上部の後輩の女子に告白された。可愛いと思っていたし、付き合えば好きになれるだろうと付き合うことにした。だが、なかなか進展しない関係に後輩がしびれを切らした。

「雅貴先輩はどうして私に何もしてくれないんですか?」

「えっと・・・・・・何をしてほしいの?」

 今になって思えば、最低な返事だったと思う。後輩と付き合ってから、一緒に下校したり、休日にちょっと会う程度のことしかしていなかった。

「私のこと好きじゃないんですか? キスとかしたいと思わないんですか?」

「あ、えっと・・・・・・」

 雅貴は「したいと思わない」と言いそうになるのをこらえた。

「もういいです! 雅貴先輩と付き合ってても楽しくないです! 別れてください」

「うん、分かった。じゃあ別れよう」

 雅貴があっさりと答えると、後輩は「最低!」と涙を流しながら言って走り去った。女子を泣かせてしまったことには胸が痛んだ。




 雅貴は大学でも砲丸投げを続けた。始めた動機以上に競技自体が好きになっていた。おかげで、同じ陸上部に所属する先輩の徹彦てつひこと知り合うことができた。気が合って仲良くなり、一緒に合コンにも行った。卒業後も頻繁に連絡を取り合っていて、頼れる兄のような存在だ。

 大学時代の雅貴は数人の女性と交際する機会があった。しかし交際期間は短く、彼女から「つまらない」などと言われて振られた。

 雅貴から告白して交際が始まったことはない。相手から告白されて、可愛いから付き合ったし、デートだって喜ばせようと努力した。どうして振られるのか、雅貴には理解できなかった。




 大学卒業後、雅貴は三十歳まで地方銀行で働いていた。転職のきっかけは男女関係だった。

 転勤で配属された支店で、先輩の女性に告白されて付き合った。雅貴にしては長く、一年ほど交際した。だが、半年以上も二股をかけられていたことが発覚した。しかも同じ支店の同僚と、だ。

 デートをすることがほとんど無くなってきた頃、雅貴は彼女の部屋にいる二人を見てしまった。

 その日、雅貴は徹彦と千花ちかの結婚式に出席し、二人の幸せそうな表情をうらやましく思った。結婚すれば何か変わるかもしれないと、プロポーズしようと考えた。

 勢いで彼女の部屋を訪問したところ、薄着の彼女が出てきて、玄関から見える場所に下着姿の同僚が座っていた。その顔は雅貴を嘲笑あざわらうかのような表情だった。

「あ、急に来ちゃってごめんね。じゃあ、また」

 雅貴は平静を装って、その場から立ち去った。


「イケメンだから告白したけど、付き合ってみたらつまんなかった」

 後日、理由を尋ねるとそう言われた。互いに未練はなくあっさりと別れたが、嫌でも職場で顔を合わせる。二人の姿を見ると腹が立った。彼女と別れたことよりも、同僚より劣っていると判断されたことがショックだった。

 

 別れてから約二ヶ月の間、ろくに食事もせず、休日は家にもって過ごしていた。雅貴から連絡がなくなったのを心配してくれたのが徹彦だった。家まで来て話を聞いてくれた。そして「うちに飯食いに来い」と誘われた。新婚にもかかわらず千花も雅貴を歓迎して迎え入れてくれた。人の温かさと久しぶりのちゃんとした食事に涙が出た。その後も二人は雅貴を励まし続けた。

 元気を取り戻した雅貴は、転職をして仕事に打ち込んだ。もう恋人なんていらない、と。


 なのに、幸子に強く惹かれてしまった。大切にしたいと思うと同時に、独占して誰にも渡したくない。不安や恐れから幸子を守り、ずっと隣で笑っていてほしい。

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