第3話 この世界の常識
テーブルの向こう側で小さな悲鳴を上げて椅子ごと倒れた女性は、そのまま微動だにせず起き上がる気配もなかった。どうやら僕が顔を晒してしまった事で驚かせて、気絶させてしまったようだった。
驚かせてしまい気絶したのか、それともイスごと倒れた衝撃により気絶したのか。多分、前者なのだろうと予想する。ならば今の状況は、僕の責任という事になるのだろうか。外していたフードをかぶり直して、僕は再び顔が見えないように隠した。
この世界に居る女性の多くが、男性という存在と接することに慣れていなかった。男性と面と向かうだけでも緊張したり、男性と目を合わせられなかったり、今のように気絶したりする女性も多く居た。
なぜなら、この世界には男性の数が驚くほど少ないから。男性の数が少ないから、接したり話したりする機会やタイミングが無い。子供の頃から大人になるまで一度も男性と出会ったことがないし話したこともない、姿すら見たことも無いという女性も多いらしい。
男性の出生率が女性に比べて異常なほど低く、100人に1人というぐらいの割合でしか生まれてこないから。その原因は未だに解明されていなかった。この世界ではそれが大昔からの常識だった。邪神の呪いによって男性が生まれにくくなった、という言い伝えもあるぐらい。
数の少ない男性は守られるべき存在として、女性達に大事に育てられるというのが一般的だった。国や場所によって保護が行き過ぎだと思うような所もあって、男性を生まれた瞬間から軟禁状態にして、死ぬまで生活する場所や食べる物、接触する人間など全てを管理される、なんて人生を送る男性も居たりするようだ。
僕が生まれた場所であるエルフの里も、男性の外部との接触を制限するような場所だった。僕が普通のエルフだったなら、何の疑問も持たずに生涯を過ごしていたかもしれない。ただ、僕は普通じゃなかった。前世の記憶があったから、この世界の常識に疑問を持った。
外に強い興味を持っていた僕は、生まれてから数十年間ぐらいはエルフの里で普通に生活していた。それから、エルフの族長に無理やり里の外へ旅に出て行ってもいいという許可を貰って世界を旅した。
その旅をした時に、男性の数が少ないのはエルフの里だけの特徴ではなく、世界の常識だったという事を僕は知った。いろいろな失敗を経て、男性に慣れていない女性が多く居るという知識も得た。
たくさん失敗したから今度からは気を付けようと学んだつもりだったけれど、前世の記憶による影響で、未だに女性との付き合い方を間違えることが多かった。男性の人口が少ないという事実は、僕が思っている以上に常識が違ってくるようだった。
今回も僕は、彼女を気絶するほど驚かすつもりは微塵も無かった。男性であることを明かして驚かれた経験もあったから注意もしていた。だが、顔を晒す前に証明書で性別を明かしているから大丈夫だろうな、と判断をしてしまった。
僕の常識を超えて、ギルド受付の女性は男性に慣れていなかった、という事を予想できなかった。それはそうか、男性と冒険者ギルドでは縁遠い存在だった。僕のような存在は異質だから、予期してなかったのかな。
こんな場所にまさか男が居るなんて! という心境だったのだろうか。
周囲を見渡してみると、先ほど目にした待機中の冒険者達がコチラに視線を向けていて様子を見られていた。こんな注目された状況の中で、受付の女性を地面に倒れたままにしておくのは可哀想だったので、僕は彼女の目を覚まさせる事にした。
「よっと」
テーブルを飛び越えて受付嬢が居る向こう側へと着地すると、倒れている近寄って今度は驚かないように優しく声を掛ける。
「お姉さん、目を覚まして」
「……」
彼女の肩を軽くポンポンと叩いて、小さく声を掛けてみたけれど反応は無い。気絶したフリでもないみたいだし、これはダメそうかな。意識が戻らないようだから次は受付嬢を椅子に座り直させる事にする。地面の上に気絶したままで放置するよりも、まだいいだろう。
彼女を床の上から椅子の上に運ぶため、お姫様抱っこのように受付嬢の身体を横にして抱き上げる。150cm程度しかない僕の低身長に対して、身長が180cm以上は有るだろう高身長の受付嬢。
座っていた時には分からなかったが、そんなに身長差のあった2人のお姫様抱っこは、客観的に見たら不格好だろうなと思いながら、彼女を元の位置である椅子の上に座り直させる。とりあえず、これで大丈夫だろう。
先ほどと同じような要領で、足を上げ素早くテーブルを飛び越えて元の位置に着地する。そして何食わぬ顔で、僕はカウンターテーブルの前に立った。
先ほど注目していた待機中の冒険者たちを横目で確認してみると、彼女たちは既に興味を失っていたようで、僕からは視線を離して談笑していた。これで一安心かな、と安堵する直前に気付く。
2人組の女性冒険者が、コチラにじーっと視線を向けていることに。しかし、僕は素知らぬ様子に振る舞って、受付嬢が目を覚ますのを待った
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