第2話 なら、俺に力をくれ

「ん?」


 気が付くと俺は、どこか分からない場所に立っていた。夜なのか辺りは薄暗くて、肌寒い。目の前には大きな川が流れている、見覚えのない場所だった。


 地下室でボコボコに殴られていた筈だが、今の俺の身体は怪我をした形跡がなにもない健康な状態だった。ボロボロだった黒のスーツは、もとのキレイな状態に戻っている。なぜか、奪い取られたはずの拳銃も懐にあった。


 これは、夢か幻か。最後の記憶は、銃で頭を撃ち抜かれたところなのに。


 あの怪我で生き残ることは出来ないだろう。トドメに頭を銃で撃ち抜かれて死んだはず。それなのに身体に怪我はない状態。ということは、目の前にゆったりと流れている大きな川、これが噂に聞く三途の川というものなのだろうか。薄暗いのに街灯もないので、川の向こう側はよく見えない。


 この川を渡って向こう側へ行けば、あの世に繋がっているのだろう。俺は自然と、そう思った。


 抗争で死にかけた仲間たちから、夢の中で大きな川を見たというような話を何度か聞いたことがあった。そんな話を聞いたとき、何を寝ぼけたことを言っているんだと一蹴したが、本当にあったのか。


 そしてとうとう俺も、その川を渡る日が来たということだ。生き残った仲間たちは一歩手前で帰ってこれたらしいのだが、俺はそのまま向こうの岸まで行くことになるだろう。そして、死を受け入れる。


 船は見当たらないし橋もかかっていないようだった。どうにかして俺は、この川を渡らなければならない。向こう岸に行くためには川を泳がないと駄目だろうか。


「まだ貴方は、向こう岸に行く必要はありませんよ」

「ッ! 誰だ!」


 川に飛び込もうとする寸前、背後から声を掛けられた。聞こえてきたのは女の声。無意識の反応で、懐から拳銃を取り出すと同時に声が聞こえてきた方へ突きつける。銃口の先に立っていたのは、見知らぬ女だった。


「……」

「あら、びっくり!」


 彫りが深くて金髪、日本人とは思えない目鼻立ちの整った美人顔の女。しかし、日本語をものすごく流暢に話している。


 一見すると筋者という雰囲気はないから、カタギだと思う。だが、拳銃を目の前にしても彼女の表情に恐れた様子はなかった。びっくりしたと口では言っているのに、表情に恐怖の色はなく平然としている。とんでもなく肝の据わった女のようだ。


「何者だ? てめぇ……!」

「私は、神です」

「はぁ?」


 あぁ、頭がイカれてるのか。普段ならそう思っているはずなのに、目の前の人物を見ていると何故か、言っていることは嘘偽りがなくて、彼女は本物の神なんだろうと信じてしまいそうな気分になった。


「チッ! 頭を殴られすぎて、俺の頭の方がイカれたのか!?」


 もしかすると三途の川も神様なんてのも全てが俺の馬鹿な妄想で、鉄パイプなどで頭を殴られすぎて脳がオカシクなったか。自分の頭をガンガンと叩いて、落ち着きを取り戻そうとしてみた。狂っている自分の思考を疑う。


「落ち着いて。大丈夫だから」

「ッ! 離せ……!」


 目の前の女が、いきなり俺に抱きついてきた。振り払おうとするけれども、何故か俺は女のを乱暴に扱うのを躊躇ってしまった。本当に、俺はオカシクなってしまったようだ。


「落ち着きましたか?」

「あぁ。落ち着いたから離れてくれ」


 抱きつかれたまま、しばらく時が過ぎた。抱きついてきた女の身体は、ものすごく柔らかかった。顔も美人で好みだったし、抱きたいと思えるぐらいに良い女だった。しかし、この意味不明な状況でナンパをするほどの余裕は俺には無かった。


「まぁ、嬉しい」

「はぁ……?」


 それに、なんだか女の様子も変だ。懐から拳銃を取り出し、頭に銃口を向けられた男に怯えず抱きついてくるなんて。とんでもなく、頭がオカシイ。


「俺は、もう行くぜ」

「待って下さい」


 今は不可解な女なんか放っておいて、どうにかして元の世界に戻る方法を探そうと周囲を探索することにした。だがその前に女から呼び止められる。一瞬、無視しようかと振り向くのを躊躇ったが、結局は振り返って彼女の顔を見ていた。


「何だよ?」

「私の案内がなければ、貴方はどこにも行けませんよ」

「なんなんだ、それは……?」


 神を名乗った女は、ものすごく真剣な表情を浮かべていた。そして、俺はどこにも行けないと告げてくる。


「じゃあ、お前が案内をしてくれよ。俺はすぐに元の世界に戻って、色々と後始末をしないといけない」


 組にケンジの事を報告して、仲間を集めて報復と後始末をしないといけないから。色々と忙しい。


「残念ながら、それは出来ません」

「……はぁ、そうかよ」


 案内をお願いしてみたら案の定、拒否られた。思わずため息を付いてしまう。何がしたいんだ、この女は。彼女の目的を聞きたい。


「貴方の望む先への案内は出来ません。ですが、その代わり貴方の願い事を私が1つ叶えてあげます」

「1つだけかよ。ケチくせぇな」


 唐突に話題が変わる。悪態をついてみるが、彼女はニコニコとした笑顔を浮かべたまま。


「そんな貴方は、口が悪いですね」

「生まれが悪いもんでね。申し訳ありませんねぇ」


 慇懃無礼な態度で女に謝った。だが、彼女は笑顔のまま気分を害した様子もない。やりにくいな。


「素直に謝った貴方には、特別にご褒美をあげます。叶えてあげる願い事を、3つに増やして上げましょう。どうです? これでも私がケチくさいと言いますか?」

「そんなに簡単に数を増やせるのかよ。ならもう、ちょっと」


 願い事の数を増やしてくれとお願いしようとすると、彼女が待ったをかけた。


「流石に、もう願い事の数を増やすのは無理です。3つが限界なんです。これでも、だいぶ頑張っているんですよ」

「分かったよ神さん。流石だねぇ。3つの願いごとを有り難く、叶えてもらうよ」


 呆れた感じで言ってみるけれども、彼女は嬉しそうに笑顔を浮かべていた。皮肉も通じないらしい。俺では彼女の相手は無理そうだと判断。だから適当に話を合わせ、満足させて早く会話を終わらせてしまおう。それが一番の対処法だと思った。


「それで、願いごとは何にしますか?」


 何を願うのか、女が急かして聞いてくる。だけどいきなり、そんな事を聞かれても何も思いつかないな。


「なんでも良いのか?」

「なんでも良いですよ」


 ニッコリと笑顔を浮かべて彼女は答えた。俺は考えてみる。真っ先に思ったのは、組のために何か残していけないだろうか、ということ。拉致られる前に残してきた、仕事を全て終わらせた状態に出来ないだろうか。それが俺の願い。


「残念ながら、その願いを叶えることは出来ません。あちらの世界に干渉することは既に不可能なのです」

「そうかよ」


 俺の望みを言う前にすぐ、俺の考えは却下されてしまった。どうやら、何か制限があるらしい。ならば、どうしようかと俺は考えて、改めて願い事を決める。


「なら、俺に力をくれ」

「わかりましたぁ!」


 俺の願いを聞いて、女は嬉しそうに元気よく返事をした。

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