8 飛び上がる夜空と変異
メキッ、と窓ガラスのサッシが折れ曲がる。
割れた窓ガラスの破片が病室内に飛び散っていくのを見ながら、武志は自分が空を飛んでいるような錯覚に陥っていた。
武志の顔面を掴む司馬の右手は、指と呼ばれていたものが針のように細くなり数倍の長さに伸びていた。
針のような指は武志の後頭部まで伸びていて、さながら籠のように武志の頭を固定している。
司馬の突進の勢いは衰退することなく、武志と司馬の身体は病室の窓を突き破り夜空へと浮遊する。
武志は視線を下に向け、地面が遥か下にあることを認識して息を飲んだ。
離れていく病院を見ると武志が居た病室の下に窓が三つあった。
掴む司馬の右腕を握り、両足をばたつかせて司馬の身体を蹴る。
今司馬に手を離されたら四階分の高さから落下することになるが、構わず武志は司馬を蹴った。
視線を再び下にすると地面はどんどん離れていった。
窓ガラスの吹き飛んだ病室も段々低い位置に見えるようになっていく。
突進の勢いだけではなく、飛んでる?
そう武志が疑問を浮かべた瞬間、目に映ったのは司馬の左手。
いや、左手だったもの。
左翼。
針のように細く伸びた指と指の間に膜のようなものが生え広がっていて、折り曲げた指と広げた膜は翼の形を成していた。
指と膜から小さな黒い硬質な産毛が生えていて、翼を黒く染める。
武志がその異形を凝視していると、それを遮るように視界を黒が邪魔する。
左手が翼に変貌したのならば、右手もしかりである。
武志の頭部を掴む司馬の右手も膜のようなものを生やし、広げ、翼状のものへと変異していく。
広がる膜は武志の首を絞めつけていく。
武志は首を絞めつける膜に両手で引っ掻いたが、硬質な翼に爪が滑るだけであった。
「ぐっ……離、せ……し、ば……」
「オイ、本庄、どうなってんだよ、なぁ!? オレの身体、どうなっちまうんだよ、なぁって!!?」
激昂する司馬。
武志の首に膜がより強く食い込む。
呼吸が出来ない苦しみと、メキメキと鳴る首の痛みに武志はもがく。
司馬の身体を何度と蹴るが、壁を蹴っているかのように硬かった。
「ああ、気持ち悪い気持ち悪い! オレの手、これなんだよ!? 蝙蝠か、蝙蝠なのか? なぁ、オレの手、蝙蝠みたいになっちまったよ、本庄!! 気持ち悪い!!」
司馬が激昂する度に、下に向けての重圧が強くなっている気がした。
つまり、武志と司馬は上空に向けて加速していた。
片翼の羽ばたきで夜空を加速して飛ぶ。
「オレが蝙蝠だとすると、お前は何になるんだ? ああ、気持ち悪い!」
ふいに武志の頭部の拘束が解かれた。
首を絞めつけていた膜の感触が離れ、武志は息を慌てて吸い込んだ。
息を吐こうとした身体は、急激な下からの重圧に押される形で折れ曲がった。
後ろに倒れるように垂れる頭を受ける風に歯向かいながらどうにか動かすと、地面が遥か遠くに見えることに武志は驚愕する。
病院も小さく見えて、辺りの街の様子まで見渡せる。
四階分の高さなど話にもならない、遥か上空。
上空、100メートル。
武志は絶望的な高さから、何も出来ずにただ落下する。
武志の視界にあるのは、いつもより大きく見えた半分の月と、武志を見下ろすように眺める司馬だったもの。
その変異は手が翼になっただけに止まらず、顔も鼠のような形になっていた。
服は裂けて破れ、そこから隆々とした筋肉が見える。
異常発達した身体は黒い産毛に覆われていて宵闇に溶け込む。
両手を──両翼を広げたその姿は、月明かりに照らされまさに蝙蝠であった。
蝙蝠の、怪人であった。
武志は落下する。
ただ、落下していく。
100メートルの高さをただ落下している。
死を思うこともなく、走馬灯が浮かぶわけでもなく、ただ落下していく。
足掻くことも止めて、ただ遠退いていく上空で羽ばたく司馬の姿に手を伸ばした。
オレが蝙蝠だとすると、お前は何になるんだ。
司馬の言葉が耳に響いた。
落下する身体が受ける重圧より、強い衝動が身体の内側にあった。
皮膚を突き破るかの衝動を逃すために、手を伸ばした。
身体の内側を燃やすような熱。
何かが溶けるような感覚。
外へと逃すことで、それは冷めて固まるのだと誰かに教えられた気がした。
父親として形作られた影か、あるいは、光に溶けていった姉か。
定かではない教えに武志は何故だか従っていた。
肌から黒い液体が零れた。
武志の頬に当たり、火傷しそうな程の熱を持ったその液体はすぐに冷たい固形になった。
伸ばした手が、溢れ出す黒い液体に覆われていく。
冷たく固くなったそれは外皮となり、武志の身体を覆っていく。
落下し続けた武志の身体は、病院の駐車場 ──アスファルトに叩きつけられた。
硬いものがぶつかり合う音が反響して、武志の身体は大きく跳ねた。
アスファルトを横に転がっていく武志の身体は、
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