4・患者

 そんな大金……身代金と呼べる額ではない。

 どういうことだ? 理解できない……。

 この患者にはそれほどの価値があるということなのか?

 単に大使の息子というだけではないだろう。息子の命の代償に大使自身から、あるいはイスラエルから金を出させようというのか? 

 手術の妨害は、国家を脅して身代金を手に入れるための手段だったのか? 

 それにしても、高額すぎる……。

 だが、それは今考えるべきことではない。患者の安全を確保することが先決だ。

 この先、手術をどうすればいいのか……。

 迫田も再びスマホをかけ直していた。部下との連絡らしい。邪魔はできない。

 私は伊藤のもとに向かった。

「不要な機材の電源を切ろう」

 伊藤はうなずいた。スタッフに命じる。

「最低限の生命維持装置だけ残して電源を切る。無影灯も消せ。早急に対応策を練る。君たちはそれまで待機していてくれ。戦略デスク! そっちも閉じ込められているのか?」

 天井のスピーカーが答えた。

『ドアが開きません。バッテリー以外の電源は使用不可能です』

「そっちもすべての機器の電源を切ってくれ! 残すのはブレインサイトとの通話だけだ。バッテリーをできるだけ長持ちさせたい。携帯を持っている者はいるか?」

『少々お待ちを……ほら、携帯持ってる奴は出して……合計四台あります』

「個人の通話は控えて欲しい。いざという時に、外部への通信を頼むかもしれないから。これだけの事を仕掛けてくる奴らだ、通話が盗聴されている可能性もある」

『了解しました』

 そして伊藤は、私に言った。

「力を貸してくれ」

 意外な提案だった。

 伊藤が、これほど素直に助けを求めてくるとは思いもしなかった。むろん、手術自体を援助する力はない。だが、この状況への対処法を考えることはできる。

「分かった。この患者にはとてつもない価値があるらしい。だとすれば、犯人は金を手にするまで諦めないだろう。1000億円なんて金が即座に用意できるとも思えない。何日も閉じ込められることだってあるかもしれない。つまり……」

「いつ解放されるか分からない、ということだな。手術はどうする?」

 スタッフたちが次々に機器の電源を切っていく。頭上で煌煌と輝いていた無影灯も消された。

 観覧室の戦略デスクも真っ暗に変わる。

 麻酔関係の機器や人工呼吸器などの生命維持装置のモニターから漏れる明かりだけが、辺りをぼんやりと照らす。モニター群も、照度を落としたようだ。

 その周囲に、不安げなスタッフたちが身を寄せ合った。

 私はしばらく考えてから言った。

「継続すべきだと思う」

「この状況で、か?」

「この状況だから、だ。お前は、待てるか? 延期するには、病院挙げての細かい全身状態の管理が不可欠だ。今、それが可能か? オペ室の外にさえ出られないんだぞ……。しかも、手術の緊急性はさらに切迫している。反面、今ならすでに腫瘍近くまで脳が開いている」

「一気に取り除く、か……」

「このまま待っていても、バッテリーは減る一方だ。いつまで保つかも分からない。完全に電源が切れたら、再手術もできなくなる」

 伊藤は、すがるように私を見た。

「だが、犯人だって患者に死なれたら困るんじゃないか? 身代金が手に入らないぞ。交渉して、手術に必要な電気だけは回してもらえばいい」

 私は恐れていることを口にした。

「本当かどうか分からないが、犯人は病院を丸ごと人質にしたと言っているようだ。それがはったりだとしても、警察は相手の言葉が嘘だと確証が持てるまで動きがとれないだろう。どれだけ時間がかかるか分からないが、少なくとも数時間は院内に入って来られないと思う。その上さらに、ブレインサイトだけを二重に封鎖した。物理的に電線を切断したに違いない。こうして、緊急電源も届いていないんだからな……」

「何が言いたい?」

「なぜ、犯人はそんな手間をかける? 何が何でもこの手術を妨害したいからじゃないのか? だから病院のコンピュータのハッキングだけではなく、わざわざ電線まで切った。外からシステムを乗っ取っただけじゃなくて、病院の中にまで犯人の一味を入りこませている。当然、単独犯じゃないだろう。テロリストとしてのスキルも高い。犯人がイスラエルに敵対する国だとしたら、半端なことでは引き下がらない。ブレインサイトの蓄電池が切れるまで封鎖を引き延ばされたらどうする? 今なら携帯でも通信できるが、バッテリーが切れたらここは完全に孤立する。患者が死んでも、外部に知らせる手段がなくなる」

 伊藤が息を呑む。

「患者が生きている振りさえしていれば、身代金は手に入る……ということか?」

 私はうなずいた。

「いずれにしても、この先、相手がどんな攻撃を仕掛けてくるか分からない。何が起きるか予測できない。だから、今、この場でだけで完結できる対応策を選ぶべきだと思う」

「それは分かるが、これではMRIも動かせない。ナビがなければあんな場所には触れない」

「超音波ぐらいは使えるだろう? モニタリングにも大電力は必要ない。ナビがなくても、実力と経験があれば手術はできる。自信がないか?」

 伊藤は苛立ちを隠さずに言った。

「お前ならやれるっていうのか?」

 ずっと考えていた。私なら――全盛期の私だったら、この腫瘍に素手で戦いを挑めるだろうか……。

 答えはイエスだ。

 10年前の私なら、10年前の設備しかなくても、ハサミを取った。腫瘍の性質が私が思った通りであれば――これ以上の〝罠〟が潜んでいなければ、勝算もある。五分五分よりは多少有利な程度、ではあるが……。

 だが今、手術しなければ、おそらくこの危機を乗り越えることはできない。脳の状況はドミノというより、もはや地震エネルギーを限界まで溜め込んだ太平洋プレートに近い。大震災のようなカタストロフがこの瞬間に起きてもおかしくはない。

「できる」

 伊藤は額に冷や汗を滲ませていた。

「だろうな。お前はそういう男だ。難しい手術ほど自分でやりたがった。だが……」

「お前ならできる。今はナンバーワンなんだぞ」

「他人事だと思って……」

「だが、できるとすればお前だけだ。つまり、患者を見捨てるのも、お前だ」

「覚悟を決めろ、ってか……。支援装置も自由に使えない中で、こんな場所に手を突っ込めってか……」

「昔はそうやっていただろうが。支援装置がないってことは、ハッキングされる恐れもない。アナログは電子障害に強い。邪魔される心配なく、手術に集中できる」

「そんなめちゃくちゃな理屈があるかよ……」

「お前ならできる。福山教授の弟子なんだからな」

 伊藤はうなずいた。

「分かったよ。逃げ場はないってことだろう。やってやろうじゃないか」

 私は軽く伊藤の肩を叩いて、ソファーに近づいた。

 垂水が私を見上る。

「何が起きているんですか……?」

 さすがに手術室の混乱に戸惑っているようだ。

「私に分かるはずがない。君は、こんなことになることを知っていたのか? 君を脅迫した者は、この手術をどうしようとしていたんだ?」

 垂水は投げやりにつぶやく。

「知りませんよ、そんなこと……相手が誰かも分からないのに……患者を殺せって脅されただけだから……」

 そして顔を背けて押し黙る。また、自分の殻に閉じこもってしまったようだ。

 嘘ではないだろう。

 そもそも、垂水を脅迫した人間とハッキングの犯人が同一だとは限らない。規模も性質も違いすぎる。二つの犯罪が重なるのは偶然過ぎるとは思うが、ないとも断言できない。

 あるいはテロリストが、自分たちの計画の一環として垂水を利用したのかもしれない。だとしても、垂水自身は本当に何も知らないのだろう。

 垂水から得られる情報は少なそうだ。

 だが身代金が目的なら、垂水に殺させようとしたことに何の意味がある?

 本気で患者の命を狙っているんだという〝デモンストレーション〟なのだろうか……?

 と、背後で伊藤がスタッフに指示を出し始めた。

 手術は伊藤に任せればいい。私は、これ以上何もできない。できるのは、環境を整えることだけだ。伊藤が手術に集中できるようにしなければならない。

 迫田の話を聞かなければならない。

 迫田はスマホの通話を終えてソファーに戻るところだった。ともに腰を下ろす。

 迫田が言った。

「手術の方はどうなりました?」

「続行します」

「この状態で? 危険ではないんですか?」

「もちろん危険です。ですが、状況が変わりました。延期すれば、もっと危険です。どちらの危険を取るか――選ばなければならないところに追い込まれました」

「そうですか……」迫田の声に力はなかった。「くれぐれも、患者を救ってやってください」

「もちろん。ですが、この病院は本当に占拠されたんですか?」

 疑っているわけではないが、わずかでも外部に逃げる余地があるなら、無謀な手術は避けたい。ブレインサイトは暗闇に包まれていて、外部が実際にどうなっているのかは何も分からない。犯人たちが我々を欺いている可能性も、ないとは言えない。

 だが、迫田の口調は厳しい。

「間違いありません。道警や警察庁、それにもマスコミ各社にも犯行声明が出て、病院は封鎖されました。警視庁を中心に全国のテロ対策スタッフにも招集がかかっています。間違いなくテロリストの仕業です」

「封鎖……。やはり本館まで?」

 こちらは別館だとはいえ、構造的にはほぼ一体化している。外見上は、一つの建物にしか見えない。受付も共通で、内部のコンピュータシステムも共用しているはずだ。別館がハッキングされているなら、その範囲は本館にも広がって当然だ。

 やはり数百人の患者とスタッフが人質にされているのか……。

「同様にシステム全体が制圧されています。敷地が丸ごと〝敵〟の手に落ちています」

「そんなことが簡単にできるんですか……?」

「簡単ではなくても、不可能ではありません。相手は、その実力を持った〝組織〟だということです」

 伊藤は、携帯が盗聴されているかもしれないと言った。迫田の手にあるスマホを見て、思わず尋ねた。

「そのスマホは、盗聴されたりしないんですか?」

 迫田は一瞬、小学生を叱る教師のような目で私をにらんだ。

「自衛隊と同じ仕様の、盗聴防止機能を強化した端末です。ハッキングに対する堅牢性に自信が持てなければ公安の通信には使えません。原理的に解読不能な国産の暗号化技術も投入しています」

 プロに対して、馬鹿な質問したものだ。

「つまらないことを聞きました……」

 が、迫田が逆にすまなそうな表情を見せる。

「……いえ、重要な事柄です。我々は万全の体制を敷いているつもりですが、相手がそれを超えている恐れはあります。実際、民間病院だとはいえ、ハッキングを許してしまったんですから……。しかし、今は連絡を控えるわけにはいきません。警察はすでに対策本部を設置しました。マスコミも大騒ぎだそうです。間もなくテレビでも報道されるでしょう。病院周辺は上空も含めて進入を禁止されましたが、報道自体を止める術はもうありません。警察や自衛隊、もちろん公安も緊急体制に入っています」

「テロが起きる時には、たいてい何らかの予兆があると聞いたことがあるんですが――」

「今回は、世界中の対テロ機関からも何の警告も受けていませんでした。油断していたわけではありませんが、少人数の潜入チームの仕業なら網をすり抜けられることもあります。言い訳のしようがない不覚です。この病院はまもなく警察に包囲されますが、突入を試みれば患者を殺すと脅迫されています。しばらくは膠着状態が続くと考えています」

「しばらく? どれぐらいですか?」

 迫田は苦しげな表情を見せた。

「まだ、なんとも……」

 いかにプロでも、情報が何もなければ判断のしようがないのだ。

「病院はどんな方法で封鎖されたんですか? オペ室の外の状況によっては、患者を運び出して手術を延期する手段が見つかるかもしれません」

「難しいでしょうね……。すべての出入り口が閉じられて、コンピュータでロックされています。ですが、情報のやり取りは禁止されていません。病院内に閉じ込められた人たちは、携帯などで自由に外部と連絡を取っています。警察も職員たちから内部の事情を聞き出して、現状把握に努めています。ただ、出入りができません。非常電源が働いていますがシステムが完全に掌握されていて、医療機器類が不正に操作される危険があります。病院内の監視カメラなどを使って見張られてもいるでしょう。患者全員が人質状態です。犯人の目的は、閉じ込めた人々の中に身を隠すことだと思います。この手術室のドアも、おそらく病院の監視カメラ映像で見張られています。監視カメラは待合所や廊下のいたる所に設置されています。仮に見つからずに患者を手術室から運び出せたとしても、隠れたまま生命を維持するのは無理ではないかと……」

 ブレインサイト内にも、手術過程を記録するビデオカメラが数台設置されている。回線が院内のシステムにつながっているなら、ハッカーは当然その映像を傍受している。暗くて画面は見えなくても、会話は聞かれてしまう。

 無力化しておくべきだろう。

「伊藤にカメラの件を話してきます」

 私は伊藤のもとに向かった。身を寄せて囁く。

「オペ室の中のカメラを全部止めたい。テロリストに盗み見られている可能性が高い。なるべく、犯人に知られないように」

「スイッチは切れるが……」

 スイッチ自体が遠隔操作できる仕組みになっているかもしれない。

「できれば、ケーブルを抜くか、レンズを塞いで欲しい。音声も聞かれたくない」

「やってみる」

 伊藤は部下たちを呼び寄せ、小声で指示を出し始めた。ここは彼らに任せよう。

 私はソファーに戻って、迫田に言った。

「カメラを止めるように頼みました」そして、改めて確認する。「犯人は病院内部にも潜んでいるんですね?」

「間違いありません。ハッキングは外部からも可能ですが、この部屋の電源は物理的に――つまり、ワイヤーカッターなどで直接電線が切られたようですから。前もって病院の設計図面などを入手していなければ、どこを切断すればいいかは分かりません。ハッキングも、ソーシャル・エンジニアリングであらかじめ情報を収集したりウイルスを感染させるのが常套手段です。準備は詳細で正確、どこに何人潜んでいるかも不明です。悔しいが、テロリストとしては凄腕だと認めざるを得ません。今のところ、病院内の警備員にもうかつに動くなという指示を出してあります」

「やはり、ブレインサイトから出られませんか……。危険でも、手術続行以外ないようですね」

 迫田が声を落とす。

「しかも外からの情報では、犯行声明では身代金の要求額が50億円だといいます……」

 たった50億円? なぜ身代金が20分の1に減る……?

 どういうことだ?

「1000億円という話はどうなったんですか?」

「犯人は別のルートで、直接国テロにも身代金を要求してきました。こちらの金額はやはり1000億円。この事実は外部には伏せられています。50億円は、マスコミ向けのニセ情報でしょう。その程度の金額なら多数の患者を守るために支払え、という世論が確実に起きます。論争を起こせれば時間が稼げるし、警察の足並みも乱れるかもしれません。国テロとしても、1000億円もの高額な身代金を支払ったとは公表できません。犯人の本当の目的は、日本政府から1000億円を奪うことです。あ、これは口外しないようにお願いします」

「支払うんですか⁉」

「検討するために、NSCが緊急大臣会合を招集しました」

 身代金が要求されてから、まだ10数分しか経っていない。病院の現状も調査中で、正確には把握できていないという。

 それなのに、すでに政府が検討を始めている?

 あまりに速すぎないか?

 何かに怯えているのか?

 患者に、とてつもない価値があるとしか思えない。

「あの患者……一体何者なんですか?」迫田は答えなかった。「何も打ち明けずに、ただ協力だけしろっていうんですか? もう、そんな状況じゃないでしょう」

 迫田はしばらく考え込んだ。唇を軽く噛みしめている。

「確かに……」そして、うめくように言った。「やむを得ません。あなたには、私の権限でお話しします。ただ、これは国家的な機密事項ですので、絶対に他言しないように。当然、特定秘密保護法の対象にもなります。他人に漏らせば、確実に逮捕、処罰されます。それでもお聞きになりますか?」

 やはり、とんでもない厄介事に足を突っ込んでしまったらしい。だが、それならなおさら知らないではすまされない。

 ブレインサイトの周りでは大掛かりなテロ事件が進行している。それが身代金目的なら、これで妨害が終わるとは思えない。聞かなければ、患者を守るために必要な情報かどうかも判断できない。

「教えてください」

「この部屋にいるスタッフ全員に、同じ責任が課せられますが? あなたが責任を持って、情報漏洩を防いでいただけますね?」

「分かっています。スタッフに関しては、伊藤も責任を持ちます。医師として知っておかなければならない情報かもしれませんから」

 迫田はじっと私の目を見つめた。まるで、心の中を覗き込まれたようだ。というより――この目は、必要ならば人も殺せるという凄みと冷たさを潜ませている……。

「彼は、確かにイスラエル大使の息子です。名前はデイビッド・エシュコル。ですが、日本にいたのは10歳までで、それ以後は母国へ戻っています。実は、世界的に著名なハッカーなのです。10代の頃は、Ph0x――フォックスの名で〝アンダーグラウンドのスラッガー〟として君臨していました。むろん、実名では知られていませんがね」

「ハッカー? それがなぜ日本に?」

「日本とイスラエルが包括的なパートナーシップ協定を結んだ成果です。この協定には、軍事的な情報交換も含まれます。あなた方が使った手術ロボットのように、イスラエルには画期的な製品を作り出す頭脳があります。兵器開発の能力も極めて高い。無人の警備システムや、無人機の技術なども世界最高です。周辺地域との紛争が絶えないために、中距離ミサイルやロケット砲弾を確実に撃ち落とす『アイアンドーム』のような防御システムも完成させました。しかし、問題も抱えています。国家規模が小さいために、部品や素材を安定的に供給する工業力が不充分なのです。半導体のような高度なパーツばかりではなく、ネジ一本、バネ一個のような基礎中の基礎の部品の精度が保てないのです。反面、日本には既存の原理を突き詰めて、高精度な部品や高品質な素材を量産する能力があります。ベアリングのような部品では精度も耐久性も世界最高で、特に望遠レンズなどの光学機器に関しては他国の追随を許しません。それらは、精密な兵器の製作には絶対に欠かせないパーツなのです。例えば、韓国がドイツの設計で作った潜水艦がいい例です。2週間潜行できるはずが、故障続きで沿岸を離れることができませんでした。その大きな原因の一つが、ボルトの精度が低かったことだといいます。1ドルにも満たないほんの小さな部品が、兵器全体の性能を決定付けてしまうのです。実際、中国の兵器にも、日本製の民生用部品がふんだんに注ぎ込まれています。一方で、日本では、純国産の戦闘機が実験機の飛行試験を終えました。完全な国産戦闘機は実現できなくとも、他国との共同開発で優位な地位を占めるための技術レベルは上がっています。この二つの国が交われば、互いの弱点を補えます。そのメリットは、計り知れないものがあります」

 私も小耳に挟んだことはある。

「イスラエルの頭脳が0から1を生み出し、日本の産業力が1を100に加速させる――ということですね」

 その国家戦略は理解できる。だが、目の前の患者とどう関係しているというのか?

 迫田は深くうなずいた。

「この協定は、さらに日本側に大きな利益をもたらします。今、世界のインテリジェンスや軍事関係者を恐れさせている最大の危険の一つは、サイバーテロです。サイバー空間ではもはや第三次世界大戦に突入していると考えるのが常識です。朝鮮半島危機では、アメリカのサイバー攻撃によって北朝鮮のミサイル発射が失敗しています。逆に、北朝鮮はハッキングによって仮想通貨を強奪しています。たった一人のエンジニアが、国家を転覆させる可能性さえあります。事実、この病院は呆気なく封鎖されました。同じように原発のシステムをハッキングして原子炉を暴走させれば、それだけで日本は滅びかねない」そしてまた間を置いた。覚悟を決めたように、小さな溜息を漏らす。「実は私は、国テロでサイバーテロの対策チームを指揮しています。国の『サイバーセキュリティ基本法』に法って強化された組織です。私の仕事は省庁間の軋轢からスタッフを守るマネジメントが主で、ハッカーとしての知識はお粗末なものですがね……。しかし、これまでの日本のレベルはそんなものです。そもそも、官僚も政治家も、ライフラインを預かる公的機関でさえ危機意識が欠落していたのです。人員を増やして能力を高めようにも、日本には本当の意味でサイバー空間でテロリストを防ぐ力がありません。それはなぜか。防ぐためには、攻撃する方法を知らなければならないからです。電子的なシステムのどこを襲えば侵入できるかという知識と技術がなければ、その穴を埋めることすらできないのです。攻撃力と防御力は、一体化しているということです」

 だから、ハッカーが必要なのだ。

「それを、彼は持っていると? あんなに若いのに……?」

「世界中を見渡してもベストの一人です。確かに、見た目はやんちゃなゲーマーにしか見えません。会話していても、まるで秋葉原で暇を潰している高校生のようです。ですが、アイアンドームの基本構想を作り上げたのも、実は彼なのです」

「あの若さで兵器開発に携わっているんですか⁉」

「そうとも言えるでしょう。アイアンドームの根本は、彼がローティーンの頃に作り出したパソコン上の『ミサイル撃墜ゲーム』でした。実在する製品や武器の性能を組み合わせて、どうやってミサイルを探知して撃墜するか――その精度を競うパズルのようなものです。そのゲームの結果を具体化したものが、アイアンドームです。だから開発期間が極めて短く、ほんの3年ほどで実践的なミサイル防御システムができあがりました。その上、膨大な予算と年月をかけたアメリカのパトリオットよりも、はるかに高い撃墜率を誇っています。ロケット弾の着弾地点を予測してスマホの警報が鳴るシステムを組んだのも彼です。このおかげで民間人の犠牲は劇的に減少しました。ソフトウェアの勝利です。イスラエルは、デイビッドの頭脳によってガザの砲撃から守られました。彼だけではなく、イスラエルには伝統的に最高峰のサイバー攻撃の能力が備わっています。現実に、イランの核開発を『スタックスネット』というコンピュータウイルスで阻止したという実績もあります。しかもデイビッドは8200部隊というハッカー集団の創立メンバーで、今でも中心的人物です。我々は自衛隊と共同して精鋭部隊を組織し、デイビッドからその技術を学んでいたのです。これからは、民間の若いハッカーをリクルートして、組織を活性化する段階に入っていました。契約期間は2年ですが、1年を過ぎた時に不運にも彼が発作を起こしてしまったのです……」

 話は予想外の方向に進んでいる。私が巻き込まれたのは医学界の利権争いなどではなく、軍事的な国際紛争の渦だ。

「だから、犯人は1000億円もの身代金を要求できるんですね……」

「金額は法外ですが、政府は真剣に検討せざるを得ません。デイビッドを失えば、その知識と能力が消失するだけではすみません。保護の過程に落ち度があれば、イスラエルとの関係は破局を迎えます。今の日本に絶対に必要なテロ対策や兵器開発も頓挫するでしょう。その損失を金額に換算すれば、おそらく10兆円単位か、もう一つ桁が上がるでしょう」

 疑問が沸いた。

「なのに、警備はあなた一人で?」

「デイビッドが患者であることは最高機密ですから。不用意に警備を強化すると、逆に情報漏洩につながる恐れがあります。それでもイスラエル側は了解済みの手術ですから、彼らは保安員を病院内に配備しているでしょう。警備態勢も人員数も、こちらには知らされていませんがね。しかし、彼らとて病室内までは入れません」

「ですが、なぜそれほど重要な人材を日本に呼ぶことができたんですか? イスラエルにだって欠かせない人材なんでしょう? いくら協定を結んだからって、普通はそんな重要な頭脳を何年間も国外には出したがらないでしょう?」

「後で知った事実ですが、デイビッドはカリフォルニア工科大学やプリンストン高等研究所から教授として招聘を受けていたそうです。ですが祖国の防衛のために、あくまでもイスラエルに残ってアイアンドームのアップデートの指揮を取っていたといいます。それほど重要な頭脳ですから、我々も派遣されるのはもう少し能力が劣る人物だと想定していました。デイビッドほどのエリートを派遣してもらえたのは、かつて『独立戦略ラボラトリー』を率いていた藍沢茂明氏の尽力があったからです。民間シンクタンクの『独立ラボ』は、政府の原発セキュリティ対策のコンサルティングも担う組織です。元々はジャーナリストだった藍沢氏は、世界の軍事やインテリジェンス、シンクタンクのリーダーと強力なネットワークを構築しています。その個人的な繋がりを生かして、熱心にイスラエル側を説得してくださったのです。サイバー空間で日本との連携を強めることは、必ずイスラエルの将来を明るくする、とね。彼がいなければ、これほど深い人的交流は実現できませんでした。そもそもイスラエルと日本は、第二次大戦以前から良好な関係を築いています。日本のシンドラーと呼ばれる杉原千畝はイスラエルで顕彰されています。A級戦犯とされている東條英機は、同盟国のドイツの意向に背いてまで数万人のユダヤ人救出を積極的に進めていました。その歴史がなければ、イスラエルもこれほどの〝冒険〟には出なかったでしょう。何より、デイビッド自身が日本に戻ることを切望したそうです。アニメオタク、ではありますからね。デビットが極めて重要な〝預かりもの〟だというのは、そういう意味なのです」

 それでさまざまな疑問が解けた。

 藍沢茂明の名前はよく知っている。

 現在は参議院議員になったために独立ラボを離れたと聞くが、セキュリティーや世界情勢、政治・軍事関係などを解説するコメンテーターとして、テレビにもたびたび登場していた。危機管理の専門家として、エボラ出血熱などの感染拡大予防対策への提言も多い。その意見は大胆だが、どれも医師としてうなずけるものばかりだった。

 関西へ出張した時に見たローカル番組では、韓国との歴史を保守的視点から説明していた。その観点は新鮮だったし、震災ボランティアで知り合ったアメリカ軍医の考えとも合致していた。

 その軍医――サミュエル・パーカーは、藍沢氏の講演会で直接意見を交わしたこともあるという。

 サミュエル――サムは言った。

『なぜサトシたち日本人は、自国を誇れないんだ? こんなに素晴らしい人々が暮らす、世界で一番古くから続く国なのに』

 私の心を揺さぶり、立ち直るきっかけを与えてくれた言葉だ。

 あれから、独立ラボの活動には注意を払うようになった。藍沢氏はエネルギー問題にも詳しい。

「藍沢さんといえば、メタンハイドレート開発の先頭にも立っている方ですよね?」

「ご存知でしたか。藍沢さんは、AGU――アメリカ地球物理学連合という、世界最大の地球物理学の学会の定例総会で、メタンハイドレートの専門家として招待講演もされています。日本政府では、原発のテロ対策を主体に、エネルギー政策策定にも意見をいただいています。セキュリティーの専門家でもありますから、洞爺湖サミットでは我々と協力して、近海と湖にソナーによる対テロリスト警備システムを設置していただきました。その技術は伊勢志摩サミットにも活かされました。事故後の福島原発に、作業員以外では最初に入った言論人でもあります。今の首相とも繋がりが強く、個人的に参院選への出馬を口説かれたと言います。すでに藍沢さんの提案は政府の方針にも大きな影響を与えています。たとえば現在、硫黄島で戦死者の遺骨収集が進められていますが、それも藍沢さんの提言がきっかけで生まれた事業です。他にも、軍事、安全保障、テロ対策、原発セキュリティ、エネルギー事業、憲法改正……政府が考えるべき多くの分野で発言力を強めています。マスコミを通じての世論形成への影響力も、多大なものがあります」

 と、迫田のスマホにコールが入った。警察関係者かららしい。いったん席を外して壁側に立ち、小声で通話を終えると言った。

「一部でテレビ報道が始まったようです」

 迫田は私の横に戻った。スマホを操作してワンセグ画面を表示して、私にも見せる。

 電波が弱く画面は荒れていたが、はくちょう病院本館一階の総合待合所を見下ろした映像が流されている。病院内の二階の吹き抜けから、入院患者が撮ったものらしい。

 撮影している女の声が入った。

『――あー、ここは「札幌はくちょう病院」の待合室ですぅ。さっきからぁ正面玄関のドアが開かないみたいでぇ、閉じ込められちゃったみたいですねぇ……ほら、こんなにみんな慌ててぇ……やだぁ、押さないでくださいってぇ……』

 映像がぐらぐら揺れる。

 確かに本館の待合所のようだ。広いフロアに多くの人たちが右往左往している。職員たちが玄関前に立ち、ドアが開かなくなったことを説明し、パニックを抑えているようだ。

 画面がテレビ局のスタジオに変わった。

『ニュースセンター12』――午前中最後のニュースバラエティ番組で、1時まで続く。息子はこの局の取材スタッフだ。もしかしたら一瞬でも息子の姿が目にできるのではないかという淡い期待を抱いて、ほぼ毎日見ていた番組だ。

 若い女子アナが緊迫した表情で語った。いつもの、過剰な〝演技〟とは違う。

『札幌はくちょう病院の内部の映像をご覧いただきました。この映像は約5分前のもので、現在病院内に閉じ込められている入院中の方から「ニュースセンター12」へ送られてきました。繰り返しお伝えいたします。本日11時38分、「ニュースセンター12」他、報道各社に、テロ組織と思われるグループから「札幌はくちょう病院を封鎖、占拠した」との犯行声明が届けられました。組織の名称はまだ明らかにされていませんが、警察庁の了解を得られましたのでここで声明文を読み上げます。

――「我々は札幌はくちょう病院を占拠した。警察庁に対して身代金50億円を用意して連絡を待つように要求している。各報道機関はこの事実を至急確認し、速やかに放送、報道すること。次の連絡があるまでは病院の出入りを一切禁じる。ロックがかかっていない窓からの脱出も、許可しない。マスコミ各社は、速やかに分担してはくちょう病院のライブ映像を放送し、死角を生まないように全体像を放映すること。その際、必ず画面にデジタル電波時計の表示が写り込むようにすること。画像の小細工を防ぐためだ。我々は病院内部にもメンバーを潜入させて現状を確認させている。要求が聞き入れられない場合、あるいは一人でも脱出した者が確認された場合は、重症患者から順に生命維持装置を停止させていく。一人逃げれば、誰かが一人死ぬ。五人逃げれば、五人死ぬ。従って、我々を欺こうとはしないように勧める。警察は、脱出者の阻止に専念するように。抵抗がなければ、出入りを禁じる以外は危害を与えない。猶予は10時間。10時間後に、警察が準備した現金をテレビ画面に映させて確認する。なお、携帯電話での情報交換は規制しない。札幌はくちょう病院の現状は、内部の人間に直接確認することを要求する。だが、どんな形であれ我々への抵抗が確認されれば、現在稼働中の非常用電源を遮断する。その結果、どれだけの命が失われるかに関しては、一切関知しない。それは、日本政府の問題だ」――以上です』

 10時間――。最低でもそれだけの時間がかかるなら、手術を引き延ばすわけにはいかない……。

『「ニュースセンター12」では、札幌はくちょう病院に入院中の患者さんと連絡を取り、病院内の様子を撮影した映像を送っていただきました。現在病院のすべての出入り口はロックされ、犯行グループ側から出入りを禁じられています。内部の警備担当者からの情報によりますと、院内のコンピュータシステムが制御不能になっており、犯人にハッキングされた模様です。なお、電力は遮断されていますが、非常用電源が正常に機能しています。水道などのライフラインにも異常はないということです。また今のところ、職員や患者に怪我人は確認されておりません。現時点では犯人についての情報は一切得られておりません。現在、北海道警察及び警察庁が緊急出動し、病院を包囲する準備が進められています。「ニュースセンター12」では通常の放送予定を変更して、引き続き札幌はくちょう病院の占拠事件を報道いたします――』

 病院は間違いなく占拠されていたのだ。

 しかも犯人はマスコミを煽りたて、明らかに事件を拡大しようと企んでいる。世間の注目を充分に引きつけてから自分たちの見解を主張しようという目的なら、それも理解できる。

 だが彼らは、同時進行で国テロを通じて大金を要求している。真の目的は1000億円を奪うことだ。

 マスコミへの通報は、このブレインサイトから注意を逸らせる陽動作戦だ。だからこそ、50億もの〝現金〟をかき集めるための騒動を引き起こしてテレビ局を煽ろうとしている。本当の身代金の受け渡しは、当然電子送金で行われるのだろう。

 公安以外の警察でさえ、真実を知らされていない可能性がある。本当のテロはオペ室で進行していて、病院の占拠は〝イスラエルの天才ハッカー〟を隔離するためだ。金を手にするまで警察の突入を防ぐ目的で、ブレインサイトの周囲に数百人の病人による〝城壁〟を築いたのだ。

 だとするなら、病院で人が殺される危険は少ないともいえる。

 政府がイスラエルとの関係を重んじるなら、むしろ身代金を払って速やかに事を収めたいはずだ。いかに大金でも、日本の国家予算から考えれば支払えない額ではない。政府にはそのための資金――外交機密費や官房機密費が準備されていると聞いたこともある。財務省が抱え込んだ何100兆円もの〝埋蔵金〟もあるはずだ。

 問題はむしろ、テロリストに巨額の身代金を支払ったことが公になることだ。

 そうなれば、間違いなく国際的なバッシングを受ける。国家の威信も失墜するし、更なるテロリズムの標的にされる。

 結果的に、政府も犯人も取引は秘密裏に行いたいことになる。

 だから身代金は電子送金される。金だけが目当ての犯行なら、犯人は入金を確認して病院を解放する。閉じ込められていた人々が一斉に解放されれば、そこにまぎれて姿を消すことは容易い。病院に侵入したテロリストは正体不明のまま、大金を奪取して立ち去れるわけだ。

 病院で人が死ねば、そのシナリオが崩れかねない。犯人も、不確定な要素は極力避けたいはずだ。

 ならば我々は、患者――デイビッドの命を守ることに全力を尽くせばいい。医師として当然の職務を果たせばいいだけだ。

 問題は、支払いがいつ行われるか、だ。それまでデイビッドの命が保つなら、不利な環境で危険を冒して手術を強行する必要はない。一方で、デイビッドの脳が限界を越える瞬間は確実に近づいている。

 いったんは伊藤に手術の続行を進言したが、決断を迷うところだ。

 私は伊藤に目をやった。スタッフを指揮して、今の条件下でできる限りの準備を進めていた。

 壁際に片付けてあった手術用顕微鏡を患者の頭上に移動し、頭蓋の〝穴〟を覗き込める位置にセッティングしている。さらに、術野を斜め上から照らす無影灯がその上に覆い被さる。通常、手術中は顕微鏡が発する照明で充分な明度が得られるが、万一それが不足した場合に備えたのだろう。伊藤らしい堅実な考え方だ。

 その上で、生命維持に絶対に欠かせない最低限の機器だけで手術を進める――。

 極めてアナログでプリミティブな方法だ。

 頼れるのは、執刀医の手技だけになる。

 最新医療技術の粋を集めたブレインサイトが、まさかこんなに無様な状況に陥るとは……。

 私は再び伊藤のもとに向かった。

 気配を察した伊藤が、振り返って言った。

「やはり逃げ道はないか?」

 私はうなずくしかなかった。

「そのようだ。この部屋だけじゃなく、病院全部がテロリストの人質になっていて、警察も突入できない。占拠がどれだけ長引くかも分からない」

 伊藤は溜息を漏らしてから、応援麻酔医の田辺に言った。

「手術再開だ。患者の意識を戻してくれ」

 いよいよ覚醒下手術の本番に突入するのだ。

 田辺はプロポフォールの量を調整して麻酔深度を浅くし、覚醒させる準備に入った。

 最初の問題は、意識が戻った時に何が起きるか、だ。

 アスクレピオスの暴走で負った損傷は、画像で見た範囲では脳に致命的な影響を与えてはいないと判断できる。だが、実際には〝目が覚めて〟みなければ異常の有無は判定できない。

 そもそもが、巨大な腫瘍によって大きく変形した脳だ。マイクロハサミがどこかに刺さって脳を傷つけているかもしれない。アタッチメントが脳を叩いたことで、脳挫傷による脳浮腫が起きるかもしれない。その先端が腫瘍まで届いていたなら、圧迫されていた脳を更に潰して、遅発性の脳浮腫を誘発するかもしれない。そうなれば手術中に術野が確保できず、最悪の場合、中止せざるを得なくなる。患者が死亡する可能性が高まる……。

 本当に意識が回復するかどうか――それが最初の関門だ。

 そこを無事に越えられれば、聴覚や視覚に異常がないか、四肢を動かせるかなどを患者自身に確かめることができる。

 まるで何10年も以前のオペ室にタイムスリップしたような感覚だが、最新の画像診断機器が使えない以上、素朴な方法で進める他はない。

 私は言った。

「患者にはどう説明する?」

 伊藤はずっと答えを考えていたようだ。

「すべてを正確に話す。その上で、手術を続行するかどうか、患者自身に決めてもらう」

 インフォームドコンセントだ。通常なら当然の判断ともいえるが、この厳しい状況で常識が通用するものか? 

 患者自身は自分の脳がどれほど危険な状態か分からないだろう。今まで大きな変調を感じなかった人間が、『実は目隠しをされて崖っぷちで踊っていたんだ』と教えられても、素直に信じられるはずがない。しかも、あまりにも不利な状況下での強行手術だ。手術を選択するとしても、前例がないので判断の足掛かりすらない。

 それでも他に方法はない。

 意識を戻さなければ、脳の現状は把握できない。意識を戻せば、この状況を説明しないわけにはいかない。

 伊藤は、厳しい立場に追い込まれている。

 患者の知性を信じるしかない。これほど深く軍事に関わっていたなら、命の危険があることは了解していたはずだ。天才ハッカーなら、現状を冷静に分析することができるはずだ。

 すべてを話すことには、私も賛成する。

 私は伊藤に言った。

「状況は私が説明しよう。公安から詳しい話を聞いたから」

 執刀医の負担は、少しでも減らしてやりたい。

 伊藤は安堵の溜息を漏らしたようだ。

「ありがたい」

 その時、患者が口を開いた。

「あれ……死んじゃったのかな……? なんでこんなに暗いんだろう……」

 見事なまでの日本語だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る