第1話

「ヴァン……」

黒髪の少年は『ヴァン』という名らしい。よくいる名前だ。平民ならば付けがちな。

「お前の名前はなんだ?」

「……俺には名前はない。親も家もないから、必要ない」

誰に呼ばれることもなかったから。そう言うと、ヴァンは小さく息をついた。

「そうか……じゃあ俺が考えてやるよ」

「必要ない」

「俺が必要なんだって。これから友達になるわけだし」

「トモダチ?……知らん言葉だ」

「……知らないのか」

少年は学校に行ったことがなかった。他人と仲良くなったこともない。大人たちの言葉を真似て話すくらいはできるが、意味がしっかり理解出来ていることの方が少なかった。

「じゃあ俺が全部教えてやるよ」

ヴァンがニヤリと笑う。

「まずは名前だな。ええと、濁っていない方が良いな。だがあまり突飛なのはダメだ。お前、他の人に覚えられちまうと嫌だろう?」

「……」

強引な性格らしい。まぁ勝手に呼ぶだけならいいか、と妥協してやる。

「リ……タ……リータ……いや……うーん」

「それでいい」

「リヒター!これだ!苗字はどうする?俺と同じだと目立つしな」

「苗字はいい。それでいいと言った」

「あー、じゃあ今日からお前はリヒターだ。よろしく頼むぜ!」

上機嫌で肩を抱かれる。リヒターになった少年はため息をついた。

「これからってなんだ……。なにをさせるんだ。トモダチというのは労働力か何かの隠語か?」

「っははは!いやいや、ただの楽しい関係だぜ!」

(楽しい?)

「……俺には友達はいないんだ。お前と一緒でずっと一人だったから。だが、それも今日で終わりだな!」

「……」

ただの平民とはいえ、自分よりも金を持ってそうなこの少年が、寂しいことなんてあるのだろうか。

「俺と友達になっても楽しくない。生きていくのがやっとだから、楽しいことなんて分からない」

本当は『楽しい』という言葉も今知ったから意味は分からない……とは、言えなかった。

「俺も知らないぜ。楽しいこと。だが、そうだな……あそこにいる商人は楽しそうだよな?」

リヒターが視線を路地裏の外に移すと、酒を飲んで踊っている男たちがいた。月明かりに照らされた大通りで踊るのは楽しいらしい。

「あいつらが飲んでいるモノ、飲んだことあるか?」

「何度か……」

飲み物は貴重だ。盗んで一気飲みしたことがある。頭が痛くて動けなくなったが、何度か試すうちに加減を覚えた。

「俺はない。だから飲んでみたい。買ってこよう。あ、パンを持っていてくれるか?食べていていいぜ」

「……」

ヴァンが路地裏から抜け出して大通りの商人に話しかける。瓶と金を交換するのが見えた。

「ダメだったぜ。どうやら子どもは買えないらしい」

「その瓶は?酒じゃないのか?」

「これはジュース。ブドウ味だ。お……家でよく飲んでいるやつか?味が強すぎて苦手なんだよな……」

ヴァンが瓶を開ける。

「まっ……待て!今、何したんだ!」

「ん?」

「瓶は鉄の器具を使わないと開けられないはずだ……」

リヒターはそれを持っていないから苦労して飲んでいたというのに。

「あ、これ魔法。大丈夫だぜ。この程度だったら少ない魔力で出来るから」

「魔法……?」

「やっぱりこの辺では使ってるやつの方が少ないのか……まぁその話はまたにしようぜ。とりあえず乾杯……はできないな。コップがない」

「……」

「さっき貰ってこれば良かったな。まぁいいか。パンを貸してくれ」

リヒターがパンを手渡すと、ヴァンがそれを2つにちぎった。片方をリヒターに渡す。

「乾杯だ。なんてな」

カンパイという言葉も知らなかったが、笑ってパンを食べるヴァンを見て、きっと楽しいものなのだろうと思った。


「っ!?ま、まっず!?味薄っ!?嘘だろ……」

ヴァンがジュースを吐き出す。

「ブドウの味が微かにする程度だぜ。やけに安いと思ったら薄めて売ってやがった。やられたぜ……」

リヒターが瓶を取って口をつける。

(……!う、美味い……)

「うちで出ているジュースは味が濃すぎて嫌いだが、こっちのは薄すぎて……げほっ、げほっ」

噎せてしまったようだ。

しかしリヒターは薄いジュースを飲み干してしまった。

「……」

「おいおい、無理しなくてもいいのに」

「お前、何者だ?これは平民の間では普通の味の飲み物だ。まさか貴族……」

「貴族が好き好んでこんな場所に来るかよ」

ヴァンは涙目で笑っていた。何がそんなにおかしいのか。

「俺の正体なんて見たら分かるだろう?リヒター」

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