「安心しろや」
「……──こんな感じの出来事があったんです。まぁ、私達は両親の身勝手な争いに巻き込まれただけなんですけどね……。でも、お互い、どちらかが負ければ、必ず親から平手打ちや罵声が浴びせられる。怖くて怖くて、堪らなかったんです。例え、幼馴染である結香が殴られている光景が目に映ろうとも、恐怖心を拭うことなどできるはずがない」
過去を思い出してなのか。
綾華は自身の震える体を抑えるように、両腕で包み込んでいる。そんな姿を目にした夜狐は、何を思ったのか自身が着ていた黒いパーカーを脱ぎ始め、乱暴に彼女へと羽織らせた。
「っ東雲君?」
「…………今は誰もいねぇよ。おめえの弱みを見る奴なんていねぇ」
顔を背け、ポツポツと口にする。ぎこちないような態度と言葉に、綾華は今まで我慢していたであろう気持ちが溢れ、透明な涙が頬を伝い、地面へと落ちる。
1度落ちてしまえば、止まることなど知らない。次から次へと綺麗に光る、透明な雫がスカートの上に落ち濡らし、彼女は必死に目元を擦り止めようとした。
「ご、ごめっ……。す、すぐに終わるから……」
慌てて涙を止めようとするも、今まで食い止めていた栓が抜けてしまったかのように溢れ出てしまい止まらない。
そんな彼女の頭に、大きく暖かい手が乗っかり、乱雑にわしゃわしゃと撫でる。
「いいから、何も気にしねぇで。おめぇは今、1歩前へと進もうとしている。それを止めようとするモンなんて、ここにはいねぇからよ。だから、今だけは、思いっきり泣け」
優しく、温もりのある声で彼はそう伝える。
そのような言葉をかけられた綾華は、もう無理やり止めようとはせず、声を上げ、泣いた。
今まで我慢していた分、思いっきり泣き、押さえつけていた思いを全て、冷たく吹いている風に乗せて、洗い流した。
※※
「…………ごめんなさい」
「別に」
やっと泣き止んだ綾華だったが、目元がすごく赤くなっており腫れてしまっていた。
それでも、どこかスッキリしたような顔を浮かべている彼女を、夜狐は横目で確認すると、すぐに顔を逸らしてしまった。
「ん? どうしたんですか」
「なんでもねぇわ」
まだ天候は危ういが、今すぐに雨が降りそうには無いため、傘は必要ないだろう。
風が先程より強くなってきており、夜狐の銀髪で隠れていた赤く染った耳が覗き見え、それを見た彼女は、薄く笑みを零した。
「あ? 何笑ってんだてめぇ」
「なんでもありません。本当に、ありがとうございます。何から何まで」
「別に。おめぇのためにやったわけじゃねぇわ」
照れ隠しのように顔を背け続ける夜狐に、綾華は何も言わず、髪を抑えながら暗雲がたちこむ空を見上げる。
「雲行きが怪しいので、私はこれで失礼します」
「おー」
「そういえば、東雲君はいつ帰っているんですか? 家はどこなんですか?」
「それ、教える必要あるか?」
「いえ、特に……」
「なら、余計なことは考えずに、さっさと帰れ。嵐が近づいてんぞ」
「あ、わ、かりました……。あ! このパーカー、洗ってから返しますね」
「おー」
夜狐の最後の言葉に、何か含みがあるように感じたが、綾華は首を傾げるだけで問いかけようとはせず、そのまま手を振り屋上を後にした。その後すぐ、柵を乗り越え夜狐の隣に立つ青年が1人、現れた。
「遅かったじゃねぇか」
「貴方が伝えるの遅かった可能性もあると思いますよ」
夜狐の言葉に返答したのは、オールバックにしている黒髪に、片目は怪我をしてしまっているのか、少し大きめな黒い眼帯をつけている男性。
左目は怪我していないらしく、紅色の瞳がしっかりと見えていた。
夜狐より年上なのか、黒いスーツをしっかりと着こなし、緑色のネクタイを閉めており、革靴を履いているため、コツコツという足音が静かな屋上に響いた。背中には竹刀袋を担いでる。
「
「貴方が僕を呼ぶほどですからね。相当、強い気配を感じているのでしょう。僕には感じ取ることが出来ませんが……。貴方のその勘は、一体なんなのでしょうか。普通、魔妖の気配は、この世に生まれ出てこなければ感じることなど出来ないのに……」
「雀のそばに居たからだろうな」
「あの人も不思議な方ですからね。マイペースに見えて、何を考えているのか分からない。心の中に潜む魔妖の気配だけでなく、その本質まで見抜く。貴方達を敵には、絶対に回したくないですね」
「安心しろや。俺達の敵は魔妖のみ。他の奴らなんぞ知ったことじゃねぇわ」
「それなら安心ですよ」
静かに会話をしていると、2人の頬に雫が落ち始める。
「…………とうとう降ってきたか」
「思ったより早かったですね。今は、ひとまず風邪をひかないように中へと入りましょうか」
「へいへい」
雨が降り注ぐ屋上から逃げるように、2人はドアを潜り、室内へと入っていった。
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