「呼ばないで!!!」

 綾華は家へと辿り着き、いつものように玄関の鍵を開け扉を開く。

 中からは、香水にきつい匂いが漂い、思わず顔を歪めてしまう。


 そのまま溜息をつき、中へと入り真っ直ぐ自身の部屋へと歩き出す。

 家の中はゴミ屋敷のようになっており、廊下の至る所にビール瓶やトレーなどが散乱している。

 何度も彼女が片付けたが、直ぐにこの状態になってしまうため、綾華はもう諦め自身の部屋だけでも綺麗にしようと心がけていた。


 家は二階建てで、上に綾華の部屋がある。

 階段を登っていると、珍しくリビングから母親らしき声で彼女の名前を呼んだため、その事に驚いたらしく目を開くが、素直に答えリビングへと向かった。


「どうしたのお母さん」

「綾華、私はこれから出てくるわ。部屋を片付けておいて」

「また、行くんだね」

「文句でもあるの?」

「……いや、ないよ」

「なら、さっさと部屋の中を片付けなさい。そのあと、私ともう1人の分のご飯も作っておいて」

「わかった」


 それだけを言い残し、派手な服を身にまとった女性は、そのまま玄関を抜け外へと出ていった。

 綾華とすれ違った際、頭が痛くなるほどの甘ったるい香水の匂いが鼻に入り、彼女は鼻をつまみ、換気するため窓を開く。

 外の涼しい風が湿っぽかった部屋を乾かしてくれるように部屋の中を循環してくれる。


「…………また、別の男のところか」


 外を歩く母親の姿を目にしたあと、小さくそう呟き、綾華は散乱している部屋を見回し、ゴミ袋を手に持ち掃除を始めた。


「…………負けない。もう、私は前の私と違うんだから。どうにかして、この環境を──……」


 ※※


 次の日、朝リビングへ向かうが母親の姿がなかった。だが、玄関には女性物と男性物の靴が置かれておりため、帰ってきているのはわかる。


 気づかれないように寝室の扉を開けると、男女が裸でそのままベットの中で眠っている姿を確認できた。それを見た綾華は目を伏せ、静かに扉を閉じ、いつも通り鞄を手にし学校へと向かった。

 いつもより早いが、それでも気にせず向かい始める。


 今日の天気は微妙で、暗雲がたちこめている。

 いつ雨が降ってもおかしくない雨模様で、彼女は鞄の中に折り畳み傘を入れているか確認していた。

 しっかりと入っていたらしく、安心したように息を吐き、再度歩き始め。


「雨、降らないといいなぁ」


 雨の匂いが漂う中、綾華は不安げに言葉を零し学校へと向かった。


 ※※


 教室内に入ると、2人の女性が1つの机を囲み、笑い合いながらペンで何かを書いていた。


 その様子を見た綾華は、2人の様子など気にせず、当たり前のように近づいていく。そして、冷めたような口調で話しかけた。


「何してるの」

「あらぁ。今日は随分と早いのね。貴方の机から貧乏臭が強いから、少しでも豪華にしてあげようと思ったのよ」


 女性2人の隙間から見える机の状態は酷いもので、人を罵倒する言葉が沢山書かれている。


『きもい』『くさい』『学校来んな』『消えろ』『死んで♡』


 このような文字が机いっぱいに書かれており、それを見た綾華はため息を吐く。


「また、なにしてんの」

「はぁ? 何その反応。めっちゃウザイんだけど。つーか、前みたいに泣いて私に跪けよ。いや、その前にもう学校に来んな。くっさいんだよ。今日も何その匂い、気持ち悪い」

「なら、私と関わらなければいいと思うんだけど……」

「あんたが学校に来るだけで、周りの人は迷惑するの。もうそろそろ自覚したら? お前はゴミ以下の存在なんだよ!!」

「ったい!! やめてよ!!」


 いきなり1人の女性が興奮したように綾華の髪を掴み引っ張り出した。さすがにその行動には、一緒に机に落書きをしていた女性の友人も、少し戸惑いながら止めようとしている。


「大体!! あんたが悪いのよ!! いつも私の前を歩き、私の上を行く!! 私は一生懸命努力しているのに、貴方はそれを軽々と超えていくの!!」

「やっ、やめてよ結香!!」

「私の名前を気安く呼ばないで!!!」


 勢いのまま、女性は空いている方の手を振りあげ、綾華に向けて平手打ちをしようと下ろす。

 彼女は髪を掴まれていることもあり、避けることが出来ず、衝撃に備え目を強くつぶった。

 友人が止めようと手を伸ばした時、ドアが勢いよく開けられ何かが放たれる。


「きゃっ?!」

「っ、え……。これって、指輪?」


 投げられた指輪に気を取られ、結香と呼ばれた女性は咄嗟に髪を掴んでいた手を離し、後ろへと後ずさった。


 綾華は力を咄嗟に入れることが出来ず、そのまま倒れ込み手を床へとついてしまう。その時、床にシルバーの指輪が落ちていることに気づき拾い上げた。


「ごめんねぇ。いやぁ、結構危険な取っ組み合いだったから、入り込むのは怖くて怖くて。咄嗟に指輪を投げてしまったよ」


 マイペースに話しながら教室内へと足を踏み入れたのは、片手に出席簿を持っている雀だった。なぜかトレードマークになりつつあったメガネを今回はかけておらず、藍色の瞳が綺麗に見える。


「梨晏先生……」

「拾ってくれてありがとう。これは大事な指輪でね」


 手を差し出し指輪を受け取ろうとしたため、素直に綾華は拾った指輪を渡した。


「さぁて。今の取っ組み合いは一体なんだったのかな。理由はあるんだろう? 先生に話してみなさい」

「うるさいですよ……。どうせ、話を聞いたところで先生も、誰も何もしてくれないでしょう。成績をあげてくれるんですか? こいつより、上に立たせてくれるんですか?!」


 徐々に顔を赤くしていき、怒りの声を上げ雀に叫び散らした。

 目は血走っており、頭に血が上っている状態だ。おそらく、今は誰の言葉も届かないだろう。それを察した彼は溜息をつき「そうかい」と、それ以上追求しようとはしない。


「なら、今はやめておこうか。だが、もし何かあったり、我慢できなくなったらいつでもおいで。話くらいは聞こう。その話を元に、どう行動するか考えようか」


 それだけを口にし、雀は教室を出ていった。残された3人は何も口にせず、沈黙の時間が続く。


「…………絶対に、あんたを許さないから」


 結香はそう呟くと、廊下へと出て行ってしまい、友人はその背中を追いかけ、残された綾華は、1人溜息をつき、悲しげに目を伏せ口を震わせた。

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